日々の音色とことば:

移転しました。新URLはhttp://shiba710.hateblo.jp/です。ここは更新されませんがアーカイブを置いておきます
kokuchi.jpg

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恍惚と暴力の間――MY BLOODY VALENTINE、2月10日新木場

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マイブラ看板

マイ・ブラッディ・バレンタインの来日公演に行ってきました。

僕が行ったのは、2月10日の新木場STUDIO COAST。東京の最終夜にあたる追加公演。

それはもう思い入れのあるアーティストだし、22年ぶりの単独来日だし、単純にめちゃめちゃ素晴らしいライヴだったし、終わった後にはいろんなことを思って感無量だったんだけど、結局最も拡散された感想ツイートはこちらでした。





これ、ほんとにいたからね。

最高だったなぁと思ってフロアを出て、バーカウンターでドリンク引き換えをしようと思って並んでたら、聞こえてきたのが件のカップルの女子の方が発した「なんなの? 歌とか全然聴こえなかったんだけど?」という不満気な感想だったのでした。たぶんその言葉を聞いた瞬間、ここ数年で一番、眉をしかめたと思う。自分ではわかんないけど、たぶん、マジで睨みつけてたと思います。ちなみにツイートでは書ききれなかったけど、男の方はいかにもナードっぽい感じの気弱そうな外国人で、女の子のほうはよくいる「外人狙い」っぽい感じのファッションをしたギャルでした。

別れてしまえ!!(←悪意)


まあ、それは置いといて、本当に最高のライヴだったのと、たぶんSNSだけでなんとなく情報を知ってる人は誤解を抱いていることもいくつかあると思うので、ここでレポ書きます。


■マイブラ=「轟音」ではない




開演前に耳栓が配られていたことも話題になっていた今回の来日公演。

マイブラ耳栓


僕のも含め、感想ツイートも結局最後のノイズの部分のところばかり拡散されたので、ひょっとしたら、終始耳が痛いほどの爆音が鳴り響いたライヴだったと思う人もいるかもしれない。「シューゲイザー=轟音」という一般的なイメージも、それに拍車をかけていると思う。でも、それは実は間違い。

爆音のノイズがマイブラの真骨頂なわけではなくて、それはあくまで一部。ラストに披露された「You Made Me Realise」の“ノイズビット”(もしくは“ホロコースト・パート”)と呼ばれる箇所だけが耳栓が必要なほどの強烈なノイズで、それ以外はとても耳に優しい音が鳴っている。たぶん、ただ単純に音量のデシベルが高いという意味での「うるさい音」なら、他にもっとそういうものを鳴らしているバンドはいると思う。

そうじゃなくて、いわば「恍惚」という概念をそのまま体現したような音を鳴らすことができるのがマイブラというバンドの特異性であり、ケヴィン・シールズという人の天才性だと僕は思っている。

『シューゲイザー・・ディスク・ガイド』という本を執筆した黒田隆憲(@otoan69)さんは、今回の来日公演の全部に密着しただけでなくマイブラを追いかけてオーストラリアにまで行った本物のダイハードなファンで、彼のツイッターのプロフィール欄に書いてある「My Bloody Valentineを液体にして体内摂取したいくらい好き」という言葉が、すごく象徴的だなあと思っているのです。だって、普通どんなに好きな音楽でも、そのバンドのファンでも「液体にして体内摂取したい」とは思わないでしょ? でも、マイブラの音を液体化して体内摂取したいという気持ち、どこかでわかる気がする。しかもトロトロに気持ちよさそう。


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(2010/03/05)
黒田隆憲

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今回も、基本的にはそういう音がずっと鳴っていたライヴだったのです。1曲目から14曲目までは。しかも背景には『ラブレス』のジャケ写を映像化したような、ゆらゆらと揺らめく映像がうごめいている。すごく気持ちいい。いいなあ、桃源郷だなあと思ってると、ラスト「You Made Me Realise」約20分のノイズ・ビットでぶっ飛ばされる。そういう体験だったのです。


■ほんわかした『ラヴレス』と前のめりな『イズント・エニシング』



で、今回のマイブラの来日で最も驚愕したのが、リズムの格好良さだった。やっぱり、ケヴィン・シールズとビリンダ・ブッチャーの二人に注目が集まりがちだし、基本的には彼らのライヴはそのツートップが鳴らすギターの音を“浴びる”という体験なのだけれど、それをがっしりと支えていたのがコルム・オコーサク(Dr)とデビー・グッギ(B)のリズム隊だった。特にコルムのドラムが、かなりの迫力を叩き出していた。

ちなみに、セットリストは以下の通り。これは今回の来日公演ではどこも同じだったよう。

01. I Only Said(ラヴレス)
02. When You Sleep(ラヴレス)
03. New You(m b v)
04. You Never Should(イズント・エニシング)
05. Honey Power(EP's 1988-1991)
06. Cigarette in Your Bed(EP's 1988-1991)
07. Come In Alone(ラヴレス)
08. Only Shallow(ラヴレス)
09. Thorn(EP's 1988-1991)
10. Nothing Much To Lose(イズント・エニシング)
11.To Hear Knows When(ラヴレス)
12. Slow(EP's 1988-1991)
13. Soon(ラヴレス)
14. Feed Me With Your Kiss(イズント・エニシング)
15. You Made Me Realise(EP's 1988-1991)

見ての通り、『イズント・エニシング』と『ラヴレス』という2枚のアルバムと『EP's 1988-1991』から満遍なくセレクトし、新曲「New You」を加えたセットリストになっている。

こういう流れで体感すると顕著なのだけれど、実は、名盤とされている『ラヴレス』は、彼らのキャリアの中ではわりと異端な音楽性を持っている。端的に言うと、すごくほんわかしてるのだ。「I Only Said」や「To Here Knows When」がわかりやすいけど、『ラヴレス』の音は、ギター以外は、ちょっと遅めのBPMでゆったりしたグルーヴと、上のほうでループするシンセ、ウィスパーボイスのヴォーカルで成り立っている。とても甘くて優しい音色が揃っている。

なので、南波志帆さんがインタヴューの中でマイブラについてこんな風に言っているのは、実はすごく正しい感覚だと思うのだ。

マイブラは最近リマスター盤が出た『ラヴレス』を「おやすみBGM」として聴いているんですよ。ボリュームを小さくして聴いていると、すごく気持ちよく眠れるんですよね


CINRA.NET - 南波志帆インタヴュー「今の自分だからこそ感じる10代の世代感」

http://store.cinra.net/static?content=interview-namba3

ちなみに、今回のセットリストで新曲として唯一披露された「new you」も、新作『m b v』の中では一番「ラヴレスっぽい曲」だった(新作については後日改めてレヴューします)。


で、逆にリズムが前のめりで荒々しくて刹那的なのが『イズント・エニシング』や『EP's 1988-1991』の曲群。ここで大活躍してたのがコルムだった。ここでコルムがドカドカとなぎ倒すようなリズムを叩きだし、デビーのベースがそれをドライヴさせたことで、ライヴならではのダイナミクスと迫力が生まれる。宇野維正さんがこんな風に感想ツイートしてたけど、これには完全同意。





■特別な「最後の20分」



というわけで、マイブラはひたすら完璧でした。嬉しかった。今回のアジア〜オーストラリアツアーの初日になったソウルのセットリストを見て「やり直しばっかりじゃん」と思った人もいるかもしれないけど、ミスとかやり直しのたぐいは、少なくとも僕が見た限りでは一切なし。韓国の人達には悪いけど、あれはウォームアップギグというか、リハスタ感覚だったんじゃないかな。

で、「爆音のノイズがマイブラの真骨頂なわけではない」とは最初に書いたけど、いろんなものをふっ飛ばして、やっぱり記憶に焼き付いたのは、「You Made Me Realise」のラスト20分だった。あればっかりは、じかに浴びた人じゃないと共有できない類の体験。音源には収録されてないし、探せばYouTubeとかにライヴ映像が上がってるのかもしれないけど、それを観たってしょうがないしね。




ツイートでも書いたけど、ほんと、凄まじかった。まさに爆風を浴び続けるような体験。

ケヴィンもビリンダもデビーもギターやベースを激しくストロークしている。コルムはずっとスネアを叩いている。でも、スピーカーから放たれるのは、音程感の一切ない、ひたすら押し寄せる地鳴りのような音の波のみ。しかもずっと同じ音が鳴ってるのではなく、それが少しずつ展開していく。ステージ背後の映像は、森の中を進む光景が繰り返される中でどんどん高速になり、ブレていき、なんだかわかんない抽象的な模様になっていく。ガラス窓が割れ、木々やビルがなぎ倒され、都市が壊滅していくさまを、そのまま音として「聴いている」ような感覚、というのかな。

で、ステージ上の4人が目を合わせて合図をするとノイズパートが突如終わり、メインのリフに戻って、あっけにとられる間もなく終了。気付いたら耳がキーンとしていて、それは一昼夜くらい続いてました。

マイブラ久々のライヴは、純度の高い恍惚と暴力をそのまま音にして、それをひたすら浴び続けるような90分でした。

最高だった。

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雷雨中断のRADWIMPS at SETSTOCK '12 レポート

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ライヴが終わったあと、しばらく呆然としていた。放心状態だった。それくらいの体験だった。


10周年を迎えた西日本最大級の野外フェス「SETSTOCK '12」。その1日目のヘッドライナーをつとめたのがRADWIMPSだった。ちなみに、彼らが2012年に出演した夏フェスは、「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZO」とこのフェスの二つだけ。すごくレアな場だったし、キャリアの上での重要なマイルストーンを示すシングル『シュプレヒコール』をリリースしてからの大事なライヴの場所だった。それを目撃したいと思って、会場に向かった。

会場についたのは正午12時頃。その頃の会場の写真がこれ。





眩しく照りつける太陽。でも芝生が広がり木々が点在する丘には、時折風が吹き抜ける。快晴の一日。この時点では、あんなステージになるなんて、誰も想像していなかったと思う。

この日出演したその他のアクトの速報レポートは、以下のページに書きました。

SETSTOCK'12 速報レポート | Just another NEXUS site
http://www.nexus-web.net/column/setstock/

ここに書いてある通り、夕暮れまで、とても心地いい空気だった。後で知った情報によると、この地域の雨雲レーダーは19時30分頃から強い雷雨を予報していたらしい。もちろん、会場にいた2万人のほぼ全員は、あの時点ではそのことは全く知らない。

19時15分。桑原彰、武田祐介、山口智史、そして野田洋次郎の4人が登場。大歓声。おそらく彼らを一番の目当てに集まった人たちなんだろう。興奮が伝わってくる。1曲目は“DADA”。スネアのイントロから、爆発するようなアンサンブルに飛び込む。目線で会話する4人の息遣いが伝わるような演奏。すごい! すごい!と思っていると、顔にポタリと水滴が落ちる。雨?

続いては、“ます。”“有心論”。どちらもメジャー2ndアルバム『RADWIMPS 4 ~おかずのごはん~』に収録されたナンバー。疾走する2ビートのサビに飛び込んでいく“ます。”と、半径の大きなメロディで包み込むような“有心論”。どちらも過去の曲だけれど、『絶体絶命』を経て格段にブラッシュアップされたバンド・アンサンブルで鳴らされる。《息を止めると心があったよ そこを開くと君がいたんだよ》。会場から合唱の声が上がる。次第に雨が強くなる。

そして、“G行為”。打ち込みのビートの向こう側に、雷の音が響き始める。ドーン、ドーンという低い音。バーン!という爆音。強くなる雨。曲調の不穏さに拍車をかけるように、稲光が瞬く。大丈夫? そんな風に見回す表情がちらほらと見え始める。そして、スタッフがメンバーに駆け寄り、音が止む。

雷雨により、一時中断。スタッフがステージからアナウンスをする。「近くに雷が落ちました。みなさんは、落ち着いて、ゆっくりとその場にしゃがんでください」「木やテントから離れて下さい」。その時のツイートと写真がこれ。



後々思えば、パニックが起こらないように、そして安全を考えて高い木に近づかないよう誘導したスタッフの方の尽力は素晴らしかったと思う。僕はバックステージのテントに戻り、Webレポート用のノートPCが雨を浴びないようにビニール袋で覆うなどの作業をしていた。フジロックで毎年活躍しているレインウェアを上から着込んだけれど、それでも服まで水が染みてくるほどだった。雨脚はこれくらい強かった。



そして、40分~50分くらいの時間が経過した。その間、土砂降りの雨の中、じっとしゃがんで待っていたお客さん全員の忍耐力は、すごかったと思う。なにせ、そのままライヴが中止になってしまう可能性だって、あったのだ。僕の脳裏には、いくつかの風景が浮かんだ。2000年、ROCK IN JAPAN FESTIVALの初年度の中村一義。1997年、FUJI ROCK FESTIVAL初年度のレッド・ホット・チリ・ペッパーズ。どちらも台風による中止。僕はそのどちらの場にも居合わせている。後からはいくらでも「伝説」なんて言えるけれど、リアルタイムでのやるせない気持ちは肌身で知っている。こんな形でRADWIMPSのライヴも語り継がれることになるのかな、なんて一瞬思う。

しかし、中止になることはなかった。スタッフから復旧に向けて作業が続いていることが告げられる。安堵のような歓声が上がる。幾分弱まった雨の中、サウンドチェックが続く。





そして、再び4人がステージに登場。

僕は、復旧が決まってからの短い時間のあいだ、野田洋次郎がどんな第一声で戻ってくるのかな?と考えていた。「ごめんね」「待っててくれてありがとう」「大丈夫だった?」。そのどれか、かな。そんな風に思っていた。でも彼の第一声は全然違った。

「%&$#&!!」

文字で書こうとするならそうとしか書けないような、言葉にならないハイトーンの絶叫。思わず鳥肌が立った。「ちくしょう! もう知らねえ! 好き放題やります!」。そして“おしゃかしゃま”。ゾクゾクした。まるでそこら中で火薬が爆発してるみたいな演奏だった。

さぁ無茶しよう そんで苦茶しよう
二つ合わさって無茶苦茶にしよう.

さぁ有耶しよう そんで無耶しよう
二つ合わさって有耶無耶にしよう


この冗談みたいな歌詞の言葉が、あんなにリアリティを持って響いた場所は、僕は他に知らない。まるで天に喧嘩を売ってるみたいだ。そう直感で僕は思った。大抵の人なら「しょうがないよね」であきらめてしまうことすら、全身全霊でひっくり返してしまおうとしているかのようなエネルギー。続けて、“君と羊と青”。やっぱり、途轍もないテンションの高さ。4人が円になって、目を見合わせて演奏する。

そして、“トレモロ”。野田洋次郎はこんな風に言った。「今、こんな天気だけど、この雲の上に満天の星空があるの、想像できますか? お前らの想像力を見せてくれよ」。そして、こう歌い始めた。

満天の空に君の声が 響いてもいいような綺麗な夜
悲しみが悲しみで終わらぬよう せめて地球は周ってみせた




満天の空に君の声が 響いてもいいような綺麗な夜
悲しみが悲しみで終わると疑わぬように 神様は僕に夢を見させた
今開いていたページの上に描いてみようかな
「離さないよ 繋いでたいの 僕は僕の手を」
今 止まっていた景色が動き出した気がしたんだよ





鳥肌が立ちっぱなしだった。音源で聴くより数段激しく、そして強い意志をこめた演奏。歌詞の言葉の持つ意味が、「いま、ここ」の現実とリンクする。そうだ、RADWIMPSは「このこと」を歌ってきたバンドだった。この日はやらなかったけれど、“オーダーメイド”にしても、“シュプレヒコール”にしても、そう。「神様が決めたこと」に対して、「決まってるんだからしょうがないね」じゃなくて「なんでそうなってるんですか?」と問いなおすような曲を歌ってきたバンドだ。だからこそ、再登場のときの第一声が「ごめんね」でも「大丈夫?」でもなくて、言葉にならない叫び声だったんだと思う。

曲を終え、野田洋次郎は、雷雨と嵐による中断のなか、スタッフにライヴを中止する判断の話を持ちかけられたときのことを語る。

「SETSTOCKは2005年からオープニングアクトで出させてもらったフェスで、ウチらが初めて出たフェスで、ウチらが心より愛するフェスです。そのフェスで、初めてトリをつとめさせてもらいました。だから終われねえって言ったんだよ!」

そして「SETSTOCK、10周年おめでとう!」とフェスの歩みを祝い、「ありがとう、愛してます」とオーディエンスに感謝を告げ、未来の再会を約束して、最後に一曲“いいんですか?”。

いつの間にか、雨は上がっていた。あの曲を一緒に歌っていたオーディエンスの一人一人は、ずぶ濡れだったけれど、それでも不思議なほどの肯定感に包まれていたと思う。少なくとも、僕が見回した範囲ではそうだった。そして、終演後には、花火が上がった。ほんの数十分前の豪雨を思うと、ウソみたいな夜空だった。






■想像力が現実を上書きする




中断後からのたった4曲で、とても鮮烈な物語を彼らは描いた。喜怒哀楽のそれぞれの極限、その点と点を結んで線にしたようなステージだった。おそらく、雷雨による中断で誰よりも口惜しい思いを抱えていたのは野田洋次郎本人だったと思う。でも、限られた時間の中で、雷雨の記憶をクリアに塗り替えるようなステージを、彼らは見せた。

帰り道。僕が考えていたのは、「想像力が現実を上書きする」ということについて。あのとき、フィールドでは沢山の人たちが、震えながら膝を抱え、雨に打たれていた。寒かったし、ずぶ濡れだった。あんな状況の中「この雲の上に満天の星空があるの、想像できますか?」なんてことを言える人、なかなかいないと思う。

でも、確かに“トレモロ”を聴きながら、僕はあの公園の上に広がる綺麗な夜空のイメージを思い描くことができた。ひょっとしたら、数年後に振り返ったこの日の記憶の中では、激しい雷雨と、ライヴの興奮と、そして(見えなかったはずの)満天の星空が、一緒になっているかもしれない。

想像力は、ときに目の前の現実を、上書きする。そういうことを可能にするのも、彼らの音楽が持つ不思議な効力のひとつ。

そんなことを考えながら、東京への帰途についた。


[セットリスト]

1.DADA
2.ます。
3.有心論
4.G行為
——————————–
雷雨により中断
——————————–
5.おしゃかしゃま
6.君と羊と青
7.トレモロ
8.いいんですか


PEOPLE IN THE BOX「『Citizen Soul』 release tour」@中野サンプラザについて

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(2012/01/18)
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PEOPLE IN THE BOXの『Citizen Soul』 release tourファイナル、中野サンプラザに行ってきた。
彼らもMCで言っていたけれど、約1年前に同じ場所で行われた『FAMILY RECORD』のリリースツアーの“リベンジ”を意識させるようなタイミングの公演。あの時は波多野いわくの「あの忌々しい計画停電(笑)」のおかげで、照明も演出も節電を意識したものになっていたそうな。

セットリストは以下の通り。

1.沈黙
2.笛吹き男
3.市民
4.親愛なるニュートン街の
5.見えない警察のための
6.ペーパートリップ
7.技法
8.レテビーチ
9.冷血と作法
10.ブリキの夜明け
11.ニコラとテスラ
12.月曜日 / 無菌室
13.はじまりの国
14.スルツェイ
15.ニムロッド
16.旧市街
17.汽笛
―――――――–
18.泥の中の生活
19.火曜日 / 空室
20.完璧な庭
21.She Hates December
―――――――–
22.ヨーロッパ





こんな風に帰宅後はツイートしたんだけれど、どうもそれだけじゃ整理がつかない感じがあるのだよな。

もちろん、ライヴはすごくよかったし、活き活きしていた。MCでもだいぶ笑いを呼んでいた。

波多野「帽子の中は完全にハゲてるからね!」→「うっそー!(笑)」→「エイプリルフールの責務を果たしました」

とか。

アンコールでの、

大吾「男子に訊きたいんだけど、三人の中で誰が好き?」
客席「健太さんです」
波多野「僕も男子に人気あるはずなんだけどなー」

とか。

終盤、“泥の中の生活”で帽子を脱いで、ギターも置いて、謎の舞を踊りだしたり、とか。


MCだけじゃなく、鳴らされている音にもステージの上で演奏を全身で楽しんでいる感じがあって、そのことが伝わってくる。以前の彼らのライヴじゃ信じられないことだよなあ、と思う。以前はもっと表現主義的な、楽曲の世界を見せるための演奏をしていた感があった。そういう結び目がほどけて、どんどん自然体になっている、というか。

ただ、ずっと彼らの音楽を追ってきた身として、新作『Citizen Soul』を聴くと、その“自然体”に、もう一つの側面があるような気がしてならない。それは、ざっくりと言うと、


「誰よりもほがらかに怒っている」

というか。その怒りはある種の抑圧として働く世の中の“当たり前”に、人々の価値観を“本能”から遠ざけるものに、向けられている。そういう規範や善悪の基準よりも“美しさ”が上位にあるという意識は、波多野裕文という表現者の核にあるものだと思う。


「表現の元々の出発点ていうことですか? それは……なかなか一言では言えないんですけど。僕が表現したいものは、誰もピックアップしたくないような美しいところをピックアップすることですね。それは、あるときは、善悪とか、倫理観に触れることだったり、人が傷ついたりすることだったりとかするかもしれない。その行為や物事の美しい部分、そういうものに対するまだ言葉になっていない部分、感情みたいなものを、音楽で表現したい。音楽ならそういうことができるんで。そういうのをやっていきたいと思ってます」
(『MARQUEE』2009年10月発売号インタヴューより)




で、『Citizen Soul』は、そういう意識が、これまでの中でも最も直接的なメッセージとして立ち現れたアルバムだと思っている。

《あの太陽が偽物だって どうして誰も気付かないんだろう》(“ニムロッド”)



という歌詞の一節が、とても象徴的だ。で、怒りが強くなっているぶん、音楽自身はどんどん楽しくなっている。満面の笑顔と強い怒りを矛盾せずに同居させていて、それが自然体の表現に結実している。

なんか、そういうライヴだったと思ったんだよね。


cinema staffと、巨大で無慈悲で美しい「海」について

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(2011/06/01)
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渋谷クラブクアトロでcinema staffを観た。これまで残響レコードから3枚のミニアルバムをリリースし、1枚目のフルアルバム『cinema staff』を6月にリリースした彼ら。今回のライブはそのツアーファイナルにあたる。

 ライブは、ファーストアルバムを作ったこと、とりわけそのラストに収録された“海について”という楽曲を完成させたことで、バンドが大きく化けたことを証明するようなものだった。正直、昨年のミニアルバムがリリースされた頃くらいまでは「かっこいい歌モノのバンドだなあ」くらいの印象しかなかったんだけれど、今は全く違う。相変わらずMCはグダグダだったり、キャラは人懐っこい感じだったりするんだけれど、曲の世界観に“凄み”のようなものが生まれてきた感じがする。

 バンドは今年の初めに代表曲“daybreak syndrome”と“GATE”を収録したシングル『水平線は夜動く』をリリースしている。どちらもライブでは定番の人気曲で、特に“daybreak syndrome”は10代の頃に作った、彼らにとっての初期衝動の塊のような曲だ。それを何故アルバムに収録しなかったというと、アルバムが“過去の楽曲をコンパイルした”ものではなく、明確なコンセプトに基づく一枚だったから。そのコンセプトの中心になったのが、「海」に対するアディクションだった。

三島「海に関しては、自分の中ではこのアルバムで完結させようと思ってました。それは制作の中盤あたりで思うようになりましたね」
――そう思うきっかけになった曲は?
三島「それが”海について”ですね。その断片ができてきた時に、海のスケールに負けない曲がほしいと思ってたときにそれができてきたのがあって」
久野「この曲は、最初から『これはもう最後の曲だ』って言いながら作ってましたね。アルバムの最初の曲と最後の曲は決まってたんです」
――”白い砂漠のマーチ”で始まり、”海について”で終わるという構成が決まると、アルバムは必然的にロードムービーになるんじゃないですか。出発点に砂漠をおいて、ゴール地点に海を置いたわけだから。
三島「なりますね。それは思ってました。砂漠から海に至るまでのドラマというか。物語性は持ってると思いますね」




上記は『MARQUEE』85号に掲載された彼らのインタヴューからの抜粋。cinema staffの音楽の世界観において「海」は重要なキーワードになっている。そのイメージが象徴するのは、人の営みや感情や、そういう一切のものを覆い尽くしてしまうほどの巨大さ。時に無慈悲で、時に残酷で、だからこそこに美しさと憧れを感じるという心性。J-POPによくある“夏”=“海”=“リゾート”というような消費社会のイメージ連想とは全く逆のものだ。

だからこそ、震災と津波で多くの命が失われた今に、こういうアルバムを一切内容を変えることなく発表したことは、とても勇気のいることだったと思う。このアルバムが完成したのは3・11の直前だったという。日本中をくだらない“不謹慎”の波が覆っていた頃、そして「一つになろう」という共同幻想が繰り返し繰り返しTVに踊っていた頃に、僕はこのアルバムの音源を初めて聴いた。それは、その時に世の中で自粛を要請されていた(ただ陽気なだけの)表現とはレベルの違うクリティカルなものだった。言ってしまえば、悪い意味でとてもタイムリーだった。

――ひょっとしたら「これ、今回はちょっとヤバいかもしれませんね」とか「時期も時期なんで、やめときましょうか」って、誰かに言われたりしてもおかしくない曲だと思うんですよ。でも、この曲を出したということは、自分の表現を背負ってるということ。たとえそういうことを言われても「これは自分の音楽で、自分の表現で、最終的にポジティヴなものなんです」と言い切る芯があったんじゃないかな、と。
三島「“海について”に関しては、僕はそう思ってますね。自分でも相当タイムリーだと思ったんですけれど」
――“海について”という曲から僕が感じ取ったのは、海というものの巨大さ、人の営みとか感情とかとは関係ない圧倒的な巨大さ、というイメージなんですけれども。
三島「そうですね。海というものは、そういうレベルじゃないところにあるわけで」
――そこに美しさと、ある意味の救いを感じている、というのが“海について”にあるんじゃないかと思っていて。
三島「救いは求めてました。そうですね、本当にその通りなんですけど……。海の“負”の部分みたいなことを、震災で目の当たりにさせられたこともあって。でも、それでも、海の存在そのもの、象徴的な意味で僕が救いを求めていることは変わらないんです。だから、あれで、僕が海に関して言及を辞めるのはちょっと違うなと思うので。もちろん、いろいろ思うことはありましたけれど……」
――レコーディングの真っ最中だったわけでしょう?
三島「完成した3日後だったんです。3月8日に作業が終わって。本当に直後ですね」
――愕然としましたよね。自分が作った音楽が目の前の情景にリンクするものだったわけで。
三島「愕然としたというか、こんなことってあるんだろうか?ってのはすごく思いました。不思議な気持ちでしたね」
――でも、自分の表現を曲げなかった。それは、作った作品に自分が救われたからだったと思うんです。
三島「僕はもう、完全にそうでした。すごく救われたし、今でも一人で聴き返すんです。それくらい、自分の中ではものすごく意味は大きいです」




きっと、彼らは“海について”という曲をきちんと世に放ったことで、自分たちににとっての「音楽を鳴らすことの意味」を形にすることができたんだと思う。

僕がライヴを観て感じとったのはそういうことだった。


DOES「MODERN AGE」ツアー@渋谷AX

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MODERN AGEMODERN AGE
(2010/12/15)
DOES

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ずいぶん久しぶりにDOESのライブに行ってきた。「MODERN AGE」ツアーの最終日、渋谷AX。今まで観た中で一番いいライブだったなあ。ちょっと感動的だった。

デビューから5年、今回がワンマンとしては最大のキャパだという。そのことを知ったときには、正直、へえって思った。もっと前にこれくらいのハコはやってておかしくないはず、って。でも、やっぱりその辺は紆余曲折あったんだろうな。何はともあれ、ソールドアウトの満員になっていたのは、よかった。

驚いたのは、バンドの編成が変わっていたこと。今回のツアーから4人編成になったらしい。サポートギターの白澤修が加わり、音は格段に分厚くなっている。なるほど。イチからアンサンブルを組み直そうとしたんだな。正しい、と思う。『The World’s Edge』までの、徹底的に削ぎ落とす時期を経て、バンドとして新しい方向にむかった『MODERN AGE』の音楽性を見せるためには、必然の変化だと思う。


披露された曲のなかでは、“天国ジャム”がダントツでよかった。こういう、ゴリゴリのストイシズムじゃなくて聴き手を軽々と持ち上げてくれるタイプの曲って、これまでのDOESには無かったなあ。これから先、ライブの定番曲になっていくと思う。“ジャック・ナイフ”もいい。曲に入る前に、まるで殺陣みたいに全員が棹物とスティックを振りかざすのが、格好いい。最もフロアが湧いてたのは、“修羅”だったな。“曇天”“三月”もいいけど、爆発力が格段に違ってた。アンコールで披露された新曲の“黒い太陽”は、あからさまに「4人編成になったからこそできた曲」。まずは挨拶がわりという感じかな。


ライブを見て、何より痛感したのは、バンドが再生したんだな、ってこと。


もともとDOESは、福岡のアンダーグラウンドシーンでやってた過去を持つバンドだ。そこで持ってたアンチ精神を摩耗させることは、バンドにとっては「意志」を失うこととイコールだろう。でも、メジャーデビュー後のDOESは、タイアップの効果もあり、ロックバンドに興味を持たない人にとっての「入り口」として機能するような立ち位置にもなっていた。その二つの断絶に彼ら自身も飲み込まれそうになっていたことが、一昨年に起こった解散の危機として表出していた。でも、その断絶を繋げて昇華させる道程を見つけたからこそ『MODERN AGE』というアルバムが作れたのだろう。そして、ライブをやることでそれに気付いたからこそ、「独歩行脚」と称してリリースに関係ないツアーをがんがんやっているのだろう。


打ち上げのときに、氏原ワタルに「これをやったら、次にやれることは沢山あるね」と言った。彼も「そうなんですよ」と力強く肯いていた。

その時にはちゃんと言わなかったけど、僕にはバンドの次の課題がハッキリと見えた気がした。それは、歌詞だと思う。DOESというバンドが持っている精神性、背骨の部分を、一言で掴み取れるような言葉を書くことだと思う。必殺の一行を持つ楽曲を作ることだと思う。きっとそれは、ふとしたときに口ずさむだけで抑圧と戦う力になるような曲になる気がする。ポケットにいれておけば何かに押しつぶされそうになった時に支えになってくれそうなタイプの曲、というか。

DOESは、そういうものを作れるバンドだと思うんだ。


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