日々の音色とことば:

移転しました。新URLはhttp://shiba710.hateblo.jp/です。ここは更新されませんがアーカイブを置いておきます
kokuchi.jpg

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ロッキング・オン2008年2月号/個人的怒りと闘いのアルバム3選(その1)

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rockin'on 2008年2月号にて原稿を書きました。

rockin'on (ロッキング・オン) 2008年 03月号 [雑誌]rockin'on (ロッキング・オン) 2008年 03月号 [雑誌]
(2008/02/01)
不明

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特集「怒りと闘いのアルバム100選」にMOGWAI、APHEX TWIN、ASIAN DUB FOUNDATIONの紹介レヴューの原稿をかきました。

面白い特集だし読み応えのある文章が並んでいるんだけれども、僕個人的には特集には、若干不満あり。「これが入ってないのはおかしいんじゃない?」というアルバムが何枚か抜けてる感じがするんですよね。編集部にも掛け合ってはみたけど難しそうだったので、100選に漏れた中から「“個人的”怒りと闘いのアルバム」を3枚紹介していきます。

まずはゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!『ヤンキーU.X.O』

ヤンキーU.X.O.ヤンキーU.X.O.
(2002/11/10)
ゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!

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ポスト・ロック/轟音インストゥルメンタル・シーンを代表するバンドの、今のところの最新作。無音の静寂から地鳴りのような爆音に到るサウンドを作り出す彼らだけに、歌詞の言葉もなく、メッセージ性をそこに宿すこともない。しかし、これほどまでに「敵」を明確にしたアルバムは、00年代には他に中々ないと思う。

ジャケットは落ちていく爆弾。裏ジャケにはアメリカの4大レコード企業(AOLタイムワーナー、ソニー、BMG、ユニバーサル)が、系列会社や資本提供を通じてどう軍需産業に結びついているかが、詳細に図式で書かれている。そして、全ての矢印が「YANQUI U.X.O」という一言に向かっている。

当時、彼らのHPに掲載されたコメントは、こうだ。

「”U.X.O”とは不発弾であり、地雷であり、クラスター爆弾である。”YANQUI”とはポスト・コロニアル帝国主義であり、国際的警察国家であり、多国籍企業の寡頭政治である。ゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラーは共謀者であり、有罪であり、抵抗勢力である。この新しいアルバムはただの音楽である」


クール! しかも当時僕はBUZZ編集部に属していたのだが、メンバーの意向で商業ベースにのった雑誌でのインタヴューは一切行わないと取材を断られてしまった。その一方、日本でもファンサイトなどでの取材には意欲的に応えていた。

シーン全体での注目度は低いけれど、その姿勢は、オアシスやベックなんかより、ずっと「怒り」と「闘い」に満ちていると思う。

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著作権には相続税を導入すればいいのではないか(東浩紀)

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先日書いた話で取り上げたニュース

作り手を“やる気”にさせる著作権とは――島本和彦氏など語る (1/3) - ITmedia News

に関して、批評家の東浩紀さんがコメントを書かれていた。

東浩紀の渦状言論: 著作権とか白田さんとか
http://www.hirokiazuma.com/archives/000364.html
東浩紀の渦状言論: 著作権とか白田さんとか2
http://www.hirokiazuma.com/archives/000365.html

いくつか肯ける部分があり、僕としても整理しきれない部分があったのが解消された感じ。先日、僕は「どこに立って物を言うべきかは定まりきっていない」という風に書いた。そのときに感じたモヤモヤは、実は「ポジション・トーク=当事者トークができなきゃこういう話には参加できないのかなー」ということだったのだ。これは僕がライターという立場だからという特殊なものではなく、きっとみんなに当てはまる話だと思う。ブログでも書いていれば、そこに「著作権」は存在する。今の時代は、誰もが著作権を持つ側の立場になりうる。同時に、他の誰かが作った沢山の著作物のユーザーでもある。

本当はぼくたちはこういうときこそ、著作権は「本来」どうあるべきか、という原理論を行うべきなのです。そして、結果として出てきた結論が実現可能かどうか、クリエイターが損をするか、消費者が損をするか、そんな話はとりあえず二次的なものとして横に措くべきなのです。その水準では、クリエイターのやる気が湧くかとか、コミケが潰れるかとか、そんな当事者トークはすべてどうでもいい。そういう抽象性が知性というものです。


確かに、そうだと思う。著作権についての制度や形などの話ではなく、「じゃあそれって結局なんなの?」と問われたら僕には明確な答えは(いまのところ)出せない。

もう一つ、実はニュースで取り上げられていた島本和彦の発言で、なんか気になっていたものがあった。

「一番考えるのは、ぼくが死んだ後家族はどうするのということ。国から税金の形とか、そういう形で出てくるようになると、クリエイターになってよかったなぁ、と思う」


もちろん、島本和彦自身が家族のことを考えるのは間違っちゃいない。自分が死んだあとにも遺族を食わせていきたい、というのは人の願いとして本道だとは思う。ただ、それなら「カネを残せばいいんじゃね?」と思ってしまうのも、また事実。

この辺の話は、作家の三田誠広あたりのロビイストが展開すると、より生々しくえげつない話になってくる。

「谷崎潤一郎、江戸川乱歩、横山大観などはあと数年で保護期間が切れる。彼らの遺族が受け取る著作権使用料は、それぞれ年間100万円を超える額だ。これらが突然切れるのはショッキングなこと。遺族の権利を守りたいし、それが作家のインセンティブ向上をもたらす」

著作権の保護期間延長問題、権利者側への反論相次ぐ――文化審:ITpro

著作権の本質を考えるならば、それは作った人のものであって、遺族のものじゃない。作家のインセンティヴとか芸術家へのリスペクトという「ポジション・トーク」を切り離すと、「死後50年たった遺族の権利を守りたい」というのは何か不自然な感じがする。

ぼくは著作権には相続税を導入し、遺族への権利の移譲そのものを制限して、何世代かたつと自然にパブリックドメイン化するように制度設計するのがいいのではないかと思う


という東浩紀の発言のほうが、しっくりくる。


ジミー・ペイジの「別に」

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〆切が差し迫っているので、終日家で原稿書き。

食事をしながら何気なくテレビのスイッチを入れるとワイドショーをやっていて、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが映っている。まずそこで驚いたんだが、レポーターが「沢尻エリカについて、どう思うか?」を質問。さすがに、これは観ていて「ひどい」と思ったなあ。「ジミー・ペイジにそんなこと聞くのかよ!?」というのと、「で、そこだけ使うんだ」という、ダブルの「ひどい」。スポーツ新聞のニュースもそこがメインになっていた。

来日ジミー・ペイジ「別に…」通訳の機転?意訳で会場大爆笑
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080129-00000004-sanspo-ent

おそらく通訳の方は、質問が来るだろうことも「Unfortunately I don't know her.」という答えになることも予期していたんだろう。そういう意味では、ワイドショー・メディアに対応するウィットに富んだコメントを用意できたという意味で「グッジョブ」と言っていい。でも、ニュースでは「会場大爆笑」と書いてあるけれど、テレビで観たそれは、すごくイヤな感じの笑いだったよ。何かをないがしろにしたような、表層だけかすめとったような笑い。僕は、そういうのは、あんまり好きじゃない。

「この反応を見ると、彼女に会っておいた方がよかったのかな?」と続け、「音楽をやっているのなら頑張りなさい」とエールを送った。



うん、ジミー・ペイジは紳士だ。

ちなみに、RO69のサイトでは、“沢尻以外”の質疑応答がUPされていた。

レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが緊急来日、記者会見
http://ro69.jp/news/archive.html?1845

いったい現場はどういう雰囲気だったんだろうな。


作り手を“やる気”にさせる著作権とは

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作り手を“やる気”にさせる著作権とは――島本和彦氏など語る (1/3) - ITmedia News

著作権については様々な立場からの様々な意見があり、僕自身は、まだ、どこに立って物を言うべきかは定まりきっていないのが現実だ。たとえばクリエイターとしての立場。たとえばユーザーとしての立場。そして、メディア=媒介としての立場。流通業としての立場。できるだけ「win-win」が成り立つように――と考えても、どこかで損をする人は出てくる。ただし、この記事に書かれているように、

「現行の著作権法は時代に合っていない」


という認識は、もはや揺るがない。

そのうえで、どうすればいいのか。記事のシンポジウムでは、有効性ある方法がいくつか提言されている。法律家に加え、漫画家・島本和彦氏などクリエイター側のパネリストが発言しているのも大きい。

ダイナミック・プロの幸森氏の発言はどうもズレてるんじゃない?と思わせるものも多いけれど(「漫画家でもうかっていると言える人は、日本に10人いないだろう。」……ってホントか!? もうかっていると言える、の基準って!?)、「現場からの意見」としては貴重。

たとえば商標や特許のように、著作権を「お金を得るための仕組み」として運用するためには、登録制にしていくのも一つの方法だと思う。いちユーザーとしての視点で考えると、どこまでが違法でどこまでが問題なくて、どの範囲が「お目こぼし」なのかがすごく曖昧になっているのが、著作権に関するもろもろをややこしくしている一因になっているのではないだろうか。

簡単に答えが出るような問題ではないので、とりあえずパネリストの方々の書籍を読んで勉強を続けてみる所存です。


橋本治『日本の行く道』と堀井憲一郎『若者殺しの時代』

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日本の行く道 (集英社新書 423C) (集英社新書 423C)日本の行く道 (集英社新書 423C) (集英社新書 423C)
(2007/12/14)
橋本 治

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若者殺しの時代 (講談社現代新書)若者殺しの時代 (講談社現代新書)
(2006/04)
堀井 憲一郎

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橋本治『日本の行く道』を読む。タイトルは非常にシンプルだが、内容は「日本の行く道とは?」みたいな明快な提言には決してなっていない。橋本治らしく、まだるっこしい論法で(でも誠実に)ひとつひとつの「NO」をつぶしていくような文体で、結論に辿り着こうとする。

出発点は「日本は、なにか変」。いじめ問題、地球温暖化etc……様々な日本の「行き場の無さ」とそれによる閉塞感を語っていく。で、辿り着いた提案が「産業革命以前の段階に戻せばいい」。それは無理だとしても「高層ビルを解体してしまえばいい」。無茶な提案である。実現は、まあ、不可能だといっていい。ただ、ここにヒントがあるとするならば、「もういいじゃないか」という一言になるんだと思う。

学校ではおそらく、「貿易」というものを、「国同士で、必要のあるものをやりとりする」というふうに教えるでしょう。「物の売買」も、同じように理解されるはずですが、でもこれは、現実のありようとは大きくかけ離れています。現実には、「いらないかもしれないけど買え。これは必要なはずだから、これは便利であるはずだから買え」ということが、売買の原則になってしまっています。(中略)「必要か不要かを無視して、”ほしい”と思ったものはどんどん買え。なぜならば、個人消費こそが、景気の動向を左右するのだ」という考え方は、この産業革命以来のあり方をストレートに受け継ぐものです。だから、「もうそんなのいいじゃないか」という成熟した声が、地球の上に生まれたっていいのです。



これとほぼ同じことが、堀井憲一郎『若者殺しの時代』の中で書かれている。著者のバックグラウンドも、テーマも主張も全く違う二冊ではあるが、「日本の閉塞感」ということに触れると、同じ理由にならざるを得ないのかもしれない。

僕たちの社会は、ずっとがんばってきた。明治維新からがんばって大きな敗戦をくらい、大敗戦からまたがんばった。1945年。僕たちの社会はとりあえず国をあげて、経済発展に取り組むことになった。みんなで豊かな社会をめざすことにした。オーケー。1945年の誓いだ。豊かな社会は達成された。誰もなんとも言わないが、1945年から始めたレースはだいたい1995年にゴールに到達した。五十年かけてのゴールだ。(中略)
でも、誰も区切りをつけなかった。1945年の誓いを守ったままなのだ。現場の声は届かず、司令部は戦い続行を命じる。ここでもカラダよりもアタマなのだ。だから停滞しはじめたのだ。問題はここにある。五十年かけて作ったシステムを、誰も手放すことができなかったのだ。ゴールしたことも知らされなかった。そのまま走り続けた。1995年のゴールから十年。無意味に走り続けたのだ。息も詰まってくるはずである。でも次なる目標が設定されない。目標がおもいつかないのだ。おもいつかないのなら、しかたがない。



誰もが消費によって充足する時代は、もう終わったのだ。日本は十分に豊かになった。“豊かでない”という状態がスタート地点にないかぎり、それはゼロではなくマイナスになる。貧乏は相対的なものになる。格差社会と言われているものの多くの原因は、そこにあると僕は思っている。

消費することがそのまま自己表現に繋がるという「80年代パルコ的価値観」も、もう有効性を失い始めている。でも、メディアも、広告も、そこから脱することはまだ出来ていないように思う。

団塊~バブル世代の先人たちは、「もういいじゃないか」と警鐘を鳴らすだけですむかもしれない。けれど、その下の世代にとっては、新たな価値観を、新たな目標を設定することが「生きやすさ」への必要条件になるのではないだろうか。


cruyff in the bedroom取材

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日本の“キング・オブ・シューゲイザー”、cruyff in the bedroomに取材してきました。昔から好きなバンドだったので、ようやく会えたという感じ。嬉しかったです。

イベント「Only Feedback」を主宰し、下北沢のインディー・シーンで長くにわたって存在感を発揮し続けている彼ら。日本のシューゲイザー好きなら彼らの名前を知らない人はいないはず。シューゲイザーって何?っていう人にも、2月27日にリリースされる新譜はキラキラとしたポップ・アルバムになっているので、シンプルにオススメです。

去年の秋から今年の春にかけて、COALTER OF THE DEEPERS、LUMINOUS ORANGE、そしてこのcruyff in the bedroomと、“日本三大シューゲイザー”(まあディーパーズは他にもいろんな要素があるけど)を取材できたというのも、かなり嬉しい。

メジャー・レーベルからのリリースではないけれど、もっと知られていいバンド達だと思っています。


どうして、そこでシャッターをきってしまうんだろう

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新木場STUDIO COASTで行われた「GAN BAN NIGHT SPECIAL」に行く。メインアクトはJUSTICE。さすが、今一番勢いあるアクトだけあって、強烈なライヴだった。詳しいレポは他で書く予定なのでここでは書かないでおくけれど、フジで観たときとは全然違う、よりフリーな感じ。やっぱインパクトあるなあ。

ただ、書こうと思っているのは、「ライヴがすごかった」ということじゃない。もっと、悲しいこと。今回のJUSTICEのライヴは、僕が観た中でも最も「容赦なくカメラのフラッシュがたかれた」ライヴだった。僕はレポートということもあり上の客席で見ていたのだが、まるでフロアは記者会見の場のようだった。もちろん、ほとんどの人は笑顔で踊ってるし、そこかしこで熱狂が生まれていた。でも、ライヴの最初から最後まで、デジカメや携帯カメラを構えてステージを撮っている一部の人が、各所にいた。そのせいで、個人的にはどうにも熱狂の空気に身を任せられないような、どうにも歯がゆい思いを感じていた。

どうして、そこでシャッターをきってしまうんだろう。フラッシュをたいてしまうんだろう。

もちろん、どんなアーティストのライヴの場でも「デジカメや携帯電話による撮影」は、ルールとして禁止である。いろんな場所で、そのことは問題になっている。ただ、今回はそれだけじゃなかった。JUSTICEのステージの演出はフラッシュの光で台無しになってしまうのだ。

ステージには沢山のマーシャルアンプが積まれ、その中央に十字架型のライトをかたどった巨大な卓が設置してある。卓の前面では数々の機材が放つLEDライトが明滅している。そして、彼らのステージには通常のバンドのようなスポットや照明装置は、ほとんどない。基本、ステージは暗いのだ。闇の中でぼぅっと巨大な光る卓が浮かび上がるような感じになっている。で、ここぞという盛り上がり所で、さぁーっと客席を照らすライトが光り輝く。

つまり、JUSTICEのステージにおいては、光は重要な演出要素となっているわけである。そこを写真に撮ろうというのは、少し大袈裟だが、演劇の舞台や映画のスクリーンに向けて、暗転時にフラッシュをたくというようなイメージ。僕の感じた「台無し感」は少しは伝わるだろうか。

それに、僕はクラブやライヴハウスでの撮影の経験もあるから、そうやって撮った写真が「まるで臨場感のない写真」になることを、よく知っている。暗いフロアでフラッシュをたいて撮った写真は、必ず動きのない、味気ないものになる。カメラをしまって踊っていたらそこで感じることができただろう興奮とはとても引き換えられない、単なる記録の一枚になる。

確かに、自分の行ったライヴを写真に残したいという“思い”はわかる。ブログにアップしたい人もいるだろう。でも、それは、やっちゃだめなんだ。

アナウンスとか係員の制止とか入場口での荷物チェックとか、撮影禁止を徹底するためのルールと対策の話は、ここではおいておく。もうすこしだけ、想像力を働かせられる人が増えればいいなあ。せめて。――という話。


うすた京介「僕はきっと『形無し』をやりたいんですね」

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「僕はきっと『形無し』をやりたいんですね」

12月にインタヴューした中で、もっとも印象的だった発言が、これ。週間ジャンプで『ピューと吹く!ジャガー』を連載し続けているうすた京介先生が、自作について語った一言。

連載を読んでいる方はわかると思うけれど、『ジャガー』を読んでると、時々「え?」と思うほどの「逸脱」があったりする。本編と全く関係なく、登場人物もタイトルも全然違う話が掲載されたりする。絵柄や話の構成が、わざと稚拙になったりする。オチがついてないまま話が終わったりする。もちろんそれは全て作者の意図であって、自分に気合を入れるために定期的に気を抜いた回を入れるようにしてるそうだ。ギャグ漫画がパターン化しないようにするための、ストイックな意識の産物なわけである。

でも、そういう実験は得てして評判にならなかったりする。「なんじゃこれ」で終わったりする。パターン化した「型」が読者の安心感につながってるわけだ。

そういえば――と僕が話を振ったのが、「形無し」と「型破り」の違いの話。「形を持つ人が、形を破るのが型破り。形がないのに破れば形無し」。無着成恭という人物の言葉を中村勘三郎がどこかで言っていたのを思い出した。

(調べてみたらすぐ見つかった。http://www.asakyu.com/column/?id=90

もちろん、この話においては「形無し」はダメなものの象徴である。辞書で語義をひいてみても、「形無し: 面目を失うこと。さんざんなありさまとなること」とある。だから、その話を振ったときに、うすた先生から「でも僕は、きっと『形無し』をやりたいんですね」と言われたとき、すごく驚いた。目から鱗が落ちるような思いがした。そして、続けて「『型破り』と言うのはもうやっているんです」と言う。確かに、『ジャガー』はそういう漫画だった。単にシュールなギャグ漫画というだけじゃなく、ギャグ漫画の表現そのものに、メタな視点から「ここまでやって大丈夫か?」というチャレンジをしている。作者としても、そういう自負があるという話だ。だから、

「『本当はダメなこと』をやっていかなきゃいけないんですよ」

という言葉はすごく力強い説得力を持って聞こえた。そういう視点でもって『ジャガー』を再読すると、「ダメなこと」の意味合いがまた違って見えてきて、とても興味深かった。

インタヴューは、ロッキング・オン・ジャパン2月号「この人に訊く!」のページにて掲載されています。


ピューと吹くジャガー 14 (14) (ジャンプコミックス)ピューと吹くジャガー 14 (14) (ジャンプコミックス)
(2008/01/04)
うすた 京介

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ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2008年 02月号 [雑誌]ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2008年 02月号 [雑誌]
(2008/01/19)
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サイゾー2008年2月号

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サイゾー 2008年 02月号 [雑誌]サイゾー 2008年 02月号 [雑誌]
(2008/01/18)
不明

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サイゾーの2008年2月号の特集「良い会社 悪い会社」で、「トヨタ本から見える“善”と“悪”」という記事に参加しました。

思えば、2007年はかなりトヨタに関しての取材をしてきたように思う。「世界一の自動車会社」「日本を代表する大企業」――という枕詞だけではあらわしきれないトヨタの“強さ”の秘密は、それこそ山のように出版されている「トヨタ本」に書いてある。独特の企業文化も、実際に肌で体験してきた。ただ、会社が大きいだけに抱える矛盾や問題も大きい。どの立場に視点を置くかで、見えるものも変わってくる。

そういう意味でも、とても興味深い企画でした。他の記事にもとても面白いものが多いです。


iTUNESアフィリエイトを試してみる

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iTUNESのアフィリエイトを導入してみることにした。

ディスクレヴューや書評だったらamazonへのリンクで紹介できるけど、「この一曲」について書きたいときに不便だよね――という話を聞いて「なるほどなあ」と思ったのが契機。確かに、アルバムの中で「キーになる曲」というのは確実にある。他が捨て曲だと切り捨てるつもりはないけど(まあ明らかにそういう場合もあるけどね)。そういうわけで、自分の備忘録も兼ねて、導入する手順を書いておこうと思う。

調べてみると、登録するためのサイトはあっさり見つかった。

iTunesアフィリエイトプログラム
http://www.apple.com/jp/itunes/affiliates/

そこから、「LinkShareアフィリエイト登録」というページに飛ぶ。どうやらLinkShareというサイトと提携してるみたい。初めて聞く名前だけど、どうやらアフィリエイトの大手サイトのようだ。

リンクシェア
http://www.linkshare.ne.jp/

LinkShare登録フォーム
https://ssl.linksynergy.com/php-bin/affiliate/registration/register_ja.shtml?mid=13894&no_r=1

サイト運営形態、年齢、住所やら、 銀行の口座番号やら、いろいろ入力して登録。「さあこれで完了!」と思ったら、こんどは登録したIDでログインして、URLやら何やらを入力してサイトアカウントを登録しなきゃならんらしい。随分ここで手間取ってしまった。

その後、リンクシェアの「プログラムへの参加」というメニューをクリックするとECサイト一覧が表示されるので、iTUNES(Japan)を選んで「提携承認」を申し込む。「提携申請承認のお知らせ」というメール(僕の場合はすぐに来たけど場合によっては数日かかったりするらしい)が届いて、ようやく準備完了。

というわけで、今度はブログへの貼り付けに着手。リンクシェアの「リンクの作成」メニューを選び、iTUNES(japan)から自分のブログにリンクを貼るための方法を調べる。どうやら、「iTUNES リンクメイカー」というサービスがあるらしい。

iTUNES リンクメイカー
http://phobos.apple.com/WebObjects/MZSearch.woa/wa/itmsSearch?lang=9&country=JP

ここのフォームにアーティスト名、アルバム名、曲名などを入力して検索すれば、ずらっと並んだリストの中が出てくる。そこから曲へのリンクを選択して、あとは出てくるHTMLコードを自分のブログにコピー&ペーストすればいいわけだ。

てか、今気付いた。アフィリエイトの収入がいらないんだったら、この「iTUNESリンクメーカー」だけ使えばいいんだ。ずいぶん面倒くさい道のりを来たような気もするが、まあこれも勉強、勉強。アフィリエイトの仕組みだったり実際の結果は自分も知らないことが多いし。かと言って、検索してもなんだか血眼になって「お小遣いゲット!」な感じのブログやサイトが多くてちょっとげんなりするし(嫌儲!)。こういう風に、いろいろと調べつつ、あんまり血眼にならずにやっていこう。

そういうわけでiTUNES導入顛末期でした。

初リンクは今の僕の気持ちを曲名で。

ダフト・パンクの「仕事は終わらない」。……つーか、マジで仕事が終わらない!

Daft Punk - Harder Better Faster Stronger (Alive Radio Edit 2007) - Single - Harder Better Faster Stronger (Alive Radio Edit 2007)

Daft Punk - Harder Better Faster Stronger (Alive Radio Edit 2007) - Single - Harder Better Faster Stronger (Alive Radio Edit 2007)


ライター新年会

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渋谷にて、古い付き合いのライター仲間たちと新年会。

だいたい、僕が音楽雑誌の編集を始めた頃に同僚だったり上司だったり後輩だったりした方々。その後もみな、音楽ライターとして方々で活躍している人たちです。普段はどうしても一人で篭って仕事をしがちなので、話をすると刺激になることばかり。

なかでも、ライターの上野三樹さんは、今年初めという僕と丁度同じタイミングで実名でのブログを立ち上げたばかり。いやあ、奇遇だなあ。というわけで、この先もいろいろとネットを使ってできることを模索していきたいと思ってます。

上野三樹さんのブログはこちら。

歌うカプチーノと夢子の城
http://utkp.jugem.jp/


2007年ベスト5の“私”

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CD Journal (ジャーナル) 2008年 02月号 [雑誌]CD Journal (ジャーナル) 2008年 02月号 [雑誌]
(2008/01/19)
不明

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1月19日発売の『CD Journal』で、MASS OF THE FERMETING DREGSのインタヴューと、「2007年私のベスト5」の原稿を書きました。

この雑誌の年間ベスト企画に参加するのは初めてだったんだけど、予想以上に皆“私の”というところを強調していて面白い。『rockin'on』誌の年間ベストは、出る前に「1位レディオヘッド、2位アークティック・モンキーズ……」とだいたいの順位が推察できるんだけど、さすがに“CDジャーナル大賞”のゆらゆら帝国『空洞です』は予想できなかったです。

よりパーソナル化する音楽の楽しみ方の中で、メディアがリスナーに対しての的確なガイドであるにはどうすればいいのか。僕はそういうことを難しく考えがちではあるけれど、「私」に徹するというのは一つの方向性かもしれないな、と思います。


ドンキホーテの「音楽の安売り」

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「安売り」と言っても、別にCDを安く売ってるとか、そういう話じゃなくて。
こないだ、ドンキホーテの環七方南町店に買い物に行った時の話。

だいぶ久し振りだったんだけど、いつの間にか店内がずいぶん広くなっていて驚
く。リニューアルしてたのか。火災の影響もあったのかな。通路も広くなってい
た。

なんてことをつらつらと考えながら店内を歩いてるうちに、ふと気になったのは
音楽のかけかた。ひょっとしたら、ドンキって、意図的に「安く聞こえる」よう
に音楽を流してたりするんじゃないだろうか?そんなことを思ったりした。

音を流しているのは棚や階段の上に置かれた小さいCDラジカセ。それもかなり年季の入った安物。普通この手の店だったら天井に埋め込みのスピーカーをつけるなり、天吊りのスピーカーを吊るすなりして、統一のBGMを流すだろう。でも、そこかしこに置かれたCDラジカセがかなりの大音量で(だから音も割れていて)それぞれに音楽をかけている。別のドンキに行ったときもそうなっていて、そのときは「スピーカーがないからしょうがないのかな」と思っていたんだけれど、もし「しょうがなく」だったら、かなり大掛かりな改装をして尚且つスピーカーを設置しないというのは不自然な感じがする。

選曲も独特のJ-POPというか、単なるヒットチャート物をかけているというよりは若干バイアスが掛かっているように思える。メロディとビートと言葉がはっきりしていてシンプルなもの。かと思うと、そこに別のスピーカーから流れる「♪ドン、ドン、ドン、ドンキー~」のあのメロディが混ざる。いわば音楽の雑踏になる。

個人的には「無意図に混ざった音楽が聴こえる」というのはすごく苦手なので、このことに気付いてからは店内はかなり過ごし辛い空間になっていた。ただし、これは推測というか妄想に過ぎないんだけれど、もし「無意識的に音楽が“安く”聴こえる」→「売ってるものが“安く”思える」という狙いがあるんだったら、それは成功しているように思える。そういうことに音楽が使われてるとしたら、ちょっと悲しいというのは置いておいて。


サカナクション『ナイトフィッシング』

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北海道を拠点に活動する5人組、サカナクション。現在も活動の中心は札幌だし、まだまだ全国的な知名度はないバンドなんだけれど、2008年はもっと注目を集める存在になりそうな気がしてる。最近はよく彼らの新作アルバム『ナイトフィッシング』を聴いている。

最初に彼らの音を聴いたときは「へえ、なかなかいいバンドだなあ」くらいの印象だったんだけれど、なんだか知らないうちに繰り返し聴いていて、徐々にずぶずぶハマってきた。まだ2枚目のアルバムだけど、新作もそういう「効き」を見せる一枚。すげえ!とか必聴!とか、そんな風にこめかみに青筋立てて人に推薦する感じじゃないんだけど、なんか、いいんだよなあ。

彼らのサウンドをすごーく簡単に大雑把に言うと、フォークとテクノ~エレクトロニカが一緒くたになったような感じ。バンド編成だけど打ち込みも使っていて、かなり凝ったリズムの抜き差しも見せる。キラキラとしたシンセ・フレーズもある。Vo/Gの山口一郎の声はどこか繊細な”青さ”を持っていて、それが強力なフックになっている。以前話を訊いたところによると、彼のルーツは“なごり雪”とか友部正人とか、そういう日本の70sフォークにあるらしい(まだ20代そこそこなのに!)。そういうディープな少年期を経て、クラブ・ミュージックに耽溺する青年期を過ごしてきたらしい。ずいぶん屈折してるなあとは思ったけれど、確かにサカナクションには彼の通ってきた道筋がストレートに現れている。

そういえば、昨年はUKやヨーロッパでもロックやポップとダンス・ミュージックを横断するミュージシャンが現れた年だったけれど、エレクトロを取り入れる向こうのロック・バンドがことごとくぶっきらぼうで無頼な“不良性”を匂わせるのに対して、ここ日本ではテクノと“文学性”が自然に結びついてるんだよなあ。国民性のせいだろうか。YMOなど偉大な先達のおかげだろうか。いずれにしろ、興味深い現象だなあと思う。

アルバム最大の聴き所は、ラスト曲「アムスフィッシュ」の中盤。一瞬すべての音が消えて、山口が「アムステル……」って呟きかけて、すぅっと息を吸う瞬間。こういうセクシャリティを持つバンドは、結構好きです。アルバムは1月23日リリース。


NIGHT FISHINGNIGHT FISHING
(2008/01/23)
サカナクション

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高木正勝という人

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映像作家/ミュージシャンとして活躍する高木正勝に、取材で会ってきた。初対面だったんだけれど、すごく面白く興味深い話を訊くことができた。インタヴュー中に時間を忘れて予定より大幅に話し込んでしまったのは、すごく久しぶりのこと。

タイミングとしては、特にCDや出版や映像作品のリリースがあったわけではない。まさに現在次の展覧会のための映像を手探りで作り上げている途中だという。なので話は個々の作品論ではなく必然的に表現の本質へと膨らんでいく。その探究心、しなやかな知性、気概。どんな話をしたかは詳しくは書かないけれど、なんだかすごく感服してしまった。

展覧会は、インドネシアで開催されるグループ展。
Japanese Artists Meet Indonesia(仮題)
http://www.jpf.go.jp/j/culture_j/exhibit/contemporary/indonesia.html

観たいなあ。

インタヴューは『PAPYRUS』2月28日発売号掲載予定。


コンテンツ産業の未来について

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音楽のレッスン - 池田信夫 blog
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/3d1f9d50de25a2761161a068c3b1fdb3

テーマは「あなたが音楽業界(の崩壊)から学べること」。原文は、元Yahoo!副社長にしてマーケティング界のカリスマ、Seth Godin氏のブログより。

これは音楽業界に対する教訓ではなく、他のビジネスが音楽産業の失敗を繰り返さないための教訓である。企業に生存権はない。消費者に見離されたビジネスは、消滅するのが資本主義のルールだ。かつてレコードが出てきたとき演奏家の組合が反対したのと同じ失敗を、レコード業界が繰り返しているのは、悲しい笑い話だ。


と、池田氏は書いている。現実は、悲しいかな、確かにその通りだと思う。ただし、見出しだけ読むとただ「m9(^Д^) 音楽業界オワタ」とただ指摘されてるような気になるけれど、Seth Godin氏はちゃんと“対処”というか“方策”というか、そういうものについても書いている。僕の英文読解力のレベルは残念ながらあんまり高くないので誤読している可能性はあるのだが、キーとして語られているのは「Permission」と「subscriptions」。それを一つにすることが、音楽業界にとっての最も大きなチャンスとなる、と書いてある(あってるかな)。

口惜しながら、辞書を引きました。「承認」と「購読」? 無理やり意訳するなら、コンテンツとの“つながり”ということになるのかな。

ミュージシャンにとっては、1万人のファンがいれば十分潤沢に「食っていける」。レコード産業が成り立たなくなろうとも、ライヴなどを足場にしてその“つながり”が維持する道筋をきちんと作り上げることができたなら、(ダウンサイジングされ再構築はされているだろうけれど)音楽というコンテンツをビジネスにしていくことは可能だと、僕は思う。悲嘆と希望なら、僕は希望のほうにベットする。

一方、今日発表されたニュース。

吉本興業がブログサービス「ラフブロ」開始。約500名の芸能人が参加(Impress Watch)
http://bb.watch.impress.co.jp/cda/news/20657.html

吉本興業が、遂に自前のブログサービスを立ち上げるという。芸人だけじゃなく、他事務所のミュージシャンやタレントも参加。もちろん、「ブログサービス」なのだから登録すれば誰でもブログを開設することが可能。集客向上のために芸能人ブログの開設に躍起になっている現ポータルサイトにとっては、脅威の的となるはずだろう。ただ、話はそれだけの規模のものではない、と僕は思う。これって、ひょっとしたらSeth Godinが書いていた「Permission」と「subscriptions」のための装置になるんじゃないだろうか? 将来において、様々な形で「お笑い」をはじめとしたコンテンツとの“つながり”を供給する一つのプラットフォームとなる可能性があったりするんじゃないだろうか。

運営するのは、株式会社よしもとファンダンゴ。前身の株式会社ファンダンゴは、まだYahoo!BBが街頭でモデムを配りまくったりする前の2000年に、吉本興業とKDDIの出資で設立。ブロードバンドという言葉に今のようなリアリティが全然なかったころに、コンテンツのネット配信に取り組み始めている。

これは重要:ビジネスモデルを変えるのは、過去の勢いがあるうちだ


という言葉の意味を痛感する。


奥田民生『FANTASTIC OT9』

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アルバムを最初に聴いて、まず音の良さに驚いた。クリアだとかハイファイだとか、そういうことじゃない。生々しいとかリアルというのも(近いんだけど)ちょっと違う。言葉で言い表すなら「美味しい音」という感じ。日本で「この音」を出せるバンドは、ちょっと他にはいないだろう。ギターの鳴り、スネアの重さとキレ、グルーヴの溜め、そういう一つ一つが、絶妙のポイントで鳴っている。そういう、熟成された「深み」がある。

いつのまにか「飄々とした」とか「マイペース」みたいなイメージが定着している奥田民生だけれど、すでに多くの人が指摘している通り、その実像は全くそれとは異なる。もちろん本人の人柄やキャラはあるだろうけれど、ソロ・デビューから今に到るまで13年間「リリースもライヴもない年は一年もない」という、ミュージシャンとして働き者であることは間違いない。特に、ここ1~2年の動きは激しかった。一昨年の末にスティーヴ・ジョーダン率いるthe verbにギタリストとして参加したかと思えば、昨年初めには井上陽水奥田民生として9年ぶりのアルバム『ダブルドライブ』をリリース。その一方で、「AFCアジアカップ2007」NHKテーマ曲となった「イナビカリ」や星野JAPAN公式応援歌となった「無限の風」など、いわゆるタイアップも精力的にこなす。その活動の充実ぶり、外から受けた“刺激”が、アルバムには結実している。スティーヴ・ジョーダンは「愛のボート」「明日はどうだ」の2曲にドラム/ベースと共同プロデューサーとして参加。「鈴の雨」は井上陽水のナンバーやかつて彼と共作した「2 cars」を思わせるようなヘヴィ・ブルースだ。

アルバムの雰囲気は、おおよそ4つに分かれている。疾走感あるキャッチーなナンバーが並ぶ「イナビカリ」から「愛のボート」の4曲、スロウ・テンポでどことなくジャズや古いポップスの雰囲気も持つ「いつもそう」から「3人はもりあがる(JとGとA)」の3曲。「カイモクブギー」から「鈴の雨」の4曲では、激しくパワフルなバンド・セッションや70年代サイケデリック・ロック風のサウンドが繰り広げられる。そして最後の「なんでもっと」から「明日はどうだ」の3曲は、民生の楽曲の中でもカラフルな色合いを持つ、力強い王道のロック・ナンバーだ。なかでも、個人的な愛聴ナンバーになりそうなのは、「なんでもっと」。後期ビートルズを思わせるシタールとオルガンの音色、包容力あるメロディが心地いい。

繰り返して聴くうちに、どんどん新たな「味」を発見しそうなアルバムだな。



Fantastic OT9Fantastic OT9
(2008/01/16)
奥田民生

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再掲:イチローと証券会社のCMと戦争について

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以前にやっていたブログから、自分の思考の記録として残しておきたい文章を、再構成してここにも掲載していこうと思う。

以下は、2006年3月22日に書いた文章。あのときに書いた「同じ文化の違う世代の闘い」ということは、赤木智弘の書いた「希望は、戦争」という言葉、彼が巻き起こしている反響として顕在化しているように思える。

ただ、僕の“釈然としなさ”は、今でも解消されてはいない。

*****

06-03-22(Wed)

 最近、イチローが出演しているCMで、どうしても解せないものがある。どういう意図で、何を考えているのかわからない。正確に言うと、大体わかるんだけどその真意を考えるとゾッとするというほうが近いかもしれない。日興コーディアル証券の“資産「100年」計画”というヤツだ。メジャーリーグ黎明期の白黒画像にイチローが合成されるやつ。最近はもうやってないのかな? まあ、いいや。

 商品の中身は分散投資のファンドだかなんだからしい(よく確認してない)が、こういうキャッチコピーをつけて大々的にCMが打たれるということは、その「資産を100年残す」という考え方に、人をキャッチする魅力があると考えられている、ということなのだろう。おそらくマーケティング対象は団塊の世代以上。これから退職金をゲットして運用でも始めようか、という人たちだろう。おそらく彼らは自分の子や孫にストックを継承しようとするだろうから、そのコピーがアピールすると考えるのは、確かに正しい。

 が、立場を変えて、たとえば20代の自分が「100年前の、顔も見たこともない誰だかの先祖」の残した金融資産のおかげで悠々自適な暮らしができる、というのを想像してみたらどうだろう。今から100年前は日露戦争のころだし、団塊の世代が若者だったころの100年前は廃藩置県のころである。ま、正直それくらいの昔から財産を受け継いできている「家」も実際にあるだろう。ひょっとしたら、僕のほうが鈍感なのかもしれない。が、少なくともそのコピーが示唆するのは「格差の永続的な再生産を肯定する社会」であるのは間違いない、と思う。

 今のメディアや社会が目の前の「格差」に敏感なのは、バブル時代に「マル金・マル貧」が持て囃されたのと同じ構造だと思う。が、その一方でこんな考え方がメディアで大々的に喧伝されていたりする。なんだか釈然としないなあ。

 もし日本という国に、将来的に何らかの形で「戦争」が起こるなら、それは「違う文化の同じ世代」じゃなくて「同じ文化の違う世代」の闘いになったりする可能性があるんじゃないだろうか? 


The Birthday@日本武道館

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開演時刻の19時ぴったりに武道館に足を踏み入れると、すでに2Fスタンドの上までほぼ満員のお客さんで埋まっている。The Birthday、初の武道館公演。チバユウスケにとっては、ミッシェル時代も含めて初めてここのステージに立つ。やはりなんといっても「ロックの殿堂」である。観に来る側にとっては感慨は深い。

ただ、彼らにとっては、そのことに別段何の気負いもない感じだった。ステージセットは楽器とアンプが並んだだけの到ってシンプルなもの。さすがに照明はかなり凝っていたけれど、映像その他の演出は一切なし。ただステージに出てきて演奏するだけ。でも、それだけで、まったくもって充分だった。

1曲目の「タランチュラ」、バンド・アンサンブルの最初の一音が鳴り響いた段階で、音のデカさにまず驚く。ひょっとしたらこれまでの武道館公演で観たどのアーティストよりもデカかったかもしれない。でも、びっくりするほど音が良い。武道館はそもそも音楽向けのホールとして想定されてないせいもあって、天井が高く音がまわって余計な反響がガンガン響いてしまう作りになっている(幕張イベントホールもそう)。東京ドームほどではないけれど、10数年前くらいまでは「武道館は音が悪くてもしょうがないよね」みたいな雰囲気はあった。でも、今日まず体感したのは、(これだけデカい音を鳴らしても)びっくりするほどの音の良さ。そして迫力。まるでライヴハウスをそのまま巨大にしたようなハコになっていた。PAシステムが進化したのかな。そして、彼らが武道館公演に踏み切った理由もそんなところにあったのかな。そんなことを思う。

前半は「Lust」「Lovers」などテンポを抑えた重い楽曲で徐々に熱量を高めていった彼ら。考えてみたら、まだアルバム2枚しかリリースしてないバンドなんだよなあ。それなのに、アンサンブルの“密度”が本当にすごい。クハラはこの世代での日本最強ドラマーの一人だよなあ、と思う。

後半は、「NightLine」を皮切りに溜めた熱量を一気に解き放つようにロックンロール・ナンバーを連発。「プレスファクトリー」のからっからに乾いたリリシズムは重量感ある曲の多いこのバンドの楽曲の中ではほんとに輝く。「アリシア」は音源に比べてもさらにBPM速かったんじゃないだろうか? そして、ゆっくり沈み込むような悲しみを湛えた「Kaminari Today」で本編は終了。

アンコールは2回。2度目のアンコール、ステージに出てきたチバはレナード・コーエンの「ハレルヤ」をワンコーラスだけ、歌った。あのジェフ・バックリィがカヴァーした曲。他にもいろんなアーティストがこの曲をカヴァーしたのを聞いてきたけれど、The Birthdayのカヴァーには、今までにない感慨があった。荒々しく、抑制された、にもかかわらず今にも爆発しそうなエモーション。そういう印象があった。そして最後は、EP『stupid』に収録された彼らのナンバー「ハレルヤ」。彼らの中では、とても穏やかな、包み込むようなメロディを持った曲。

切ない叙情性で余韻を残して終わることも、強烈なロックンロール・ナンバーで絶頂のクライマックスを作って終わることも、できたと思う。でも、彼らがアンコールの最後に「ハレルヤ」を持ってきたのが、なんだか感動的だった。

いいライヴでした。

プレスファクトリー(リミックス付初回限定盤)プレスファクトリー(リミックス付初回限定盤)
(2007/12/05)
The Birthday

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ザ・ゴシップ『ライヴ・イン・リヴァプール』

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かのリック・ルービンがソニーBMG社長就任後契約第一弾アーティストとして、メジャー進出を果たしたザ・ゴシップ。

昨年の来日で初めて対面した紅一点Voのベス・ディットー嬢は、予想外に「ちっちゃくてキュート」な人でした。この驚きは、バンドのことをよく知ってる人以外にはうまく伝わらないかな。

ザ・ゴシップはアーカンソー州のスリー・ピース・バンド。ソウルフルでパンキッシュなサウンドと、強烈なライヴ・パフォーマンスでまずUKで火がついた彼らだけれど、特に注目されたのはNMEの選ぶ06年の「最もクールな人物」No.1に選ばれたベス・ディットー。公称95kgという巨漢。しかもレズビアン/熱心なフェミニストであることを公言していたり、ファッション・ブランドのインストア・ライヴを頼まれて「私に合うサイズの服を作ってないから」という理由で断ったり、奔放な発言でメディアを賑わせてきた人物。NMEではヌード写真で表紙を飾ったこともあり、それが下の画像。

beth_NME


まあとにかく強烈なキャラな彼女なのだが、実際に会ってみたら、疲れているにもかかわらず笑顔を欠かさず、気配りを欠かさず、こちらの質問にも100%返してくれるサービス精神旺盛の「いい子」だった。もっとフェミニスト的な、ライオット・ガールズ的な「姐御系」をイメージしてたんだけど、全然そんなことなかった。身長も、150cmくらい? 確かに横にはデカイんだけど。

アメリカ南部の中でも超保守的な土地であるアーカンソー州で育ったベスにとっては、ひょっとしたらその「性格のよさ」は生き抜くための術だったのかな、とも思う。なにしろマイノリティに対しては相当抑圧的な場所である。その抑圧がザ・ゴシップのソウルフルなところとパンキッシュなところを生んだんじゃない?というこちらの指摘には「その通り!」と彼女も言っていた。

翌日のライヴでは全身を揺らして熱唱したり、フロアに降りて客を煽ったり、かなりの迫力のパフォーマンスを見せてくれたザ・ゴシップ。やっぱりライヴで人気を得てきたバンドだけあって、グルーヴの持つパワーも圧巻。今年のフェスで是非観たいアクトだ。

インタヴューは2月1日発売の『rockin'on』に掲載されます。

ライヴ・イン・リヴァプールライヴ・イン・リヴァプール
(2007/12/19)
ザ・ゴシップ

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$55でiTMSとamazonにCDを置く方法

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終わりの始まりのあとに(1)

この記事で、「海外のサイトでバーコードを取得すれば委託でamazonに並べることもできるし、iTUNES MUSIC STOREにも置ける」と書いたことについて、詳細を捕捉しておきます。海外のサイトと書いたけれど、今ではちゃんと日本語版の案内ページもオープンしています(前は英語版しかなかったんだよなあ)。

使用するのは、「CD Baby」というサイト。

CD Baby
http://jp.cdbaby.net/

ここでミュージシャンがまずやらなくてはいけないのは、サイトのメンバー登録をすること。そして申し込み用紙に必要事項を記録して、販売用のCD5枚を送付する。ちなみに、実はプレスされたCDだけでなく、CD-Rを販売することも可能だったりする。そして$35を入金する。この時点で、iTMSやナップスターでのデジタル販売が可能になる。「CD Baby」自体でもデジタル・ダウンロードやオンラインのCD販売を手がけているので、海外向けの販路もこれでできるようになる。

amazon.co.jpにCDを置くためには、amazon e託販売サービスを用いる。

amazon e託販売サービス
http://advantage.amazon.co.jp/gp/vendor/public/join

ここに商品を登録すると、amazonに自分のCDを並べることができる。ただし、商品の登録にはJANコードと呼ばれるバーコードが必要で、これを日本で取得しようとするとかなりの金がかかってしまう。ただ、先ほど登録したCD Babyでアメリカで流通しているUPCバーコードを取得することができる。これにかかる費用は$20。先ほどの$35と合計して、流通にかかる初期費用はこの$55のみ。手元にCDがない段階でも、先にメンバー登録とCDに関する情報さえ送ってしまえばバーコードは取得できる。UPCバーコードはメールで画像データが送られてくるので、それを制作するCDのジャケットか帯に印刷すればOKというわけ。そして、商品が登録されると、e託だからといって区別されるようなことはなく、トップページからバンド名で検索すればちゃんと商品に辿り着けるようになる。

もちろん$55にプラスして郵送費はかかるけれど、それでもトータルコストとしては1万円以内で、既存のレコード店や流通に一切頼らないDIYの「自主レーベル」を立ち上げることができる。ライヴハウスで手売りでデモCD-Rを売っているようなレベルのミュージシャンでも、「amazonかiTUNESで検索してみて」と言うことができるようになるわけだ。

じゃあ、実際に使用してみたらどうなるの?という話はまた後日。


『すべらない話』収録直前の千原ジュニアとほっしゃん。に会った時の話

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そういえば、お笑いの番組で出演者が「緊張してます」とコメントをするようになったのは、ここ数年になって見られるようになったことだと思う。とは言っても、僕が観た中では二つの番組でしかそういうコメントを聞いたことはない。『M-1グランプリ』と『人志松本のすべらない話』だ(『R-1グランプリ』もそうだったかな)。

これは、「お笑い」に「勝負」という概念が持ち込まれたという変化なのだろう。特に『M-1』が定着してからはその意味合いが大きい。賞金1000万円、翌年の確実なブレイク、それが一夜にして決するわけだ。年末年始のお笑い番組を観てると、その他の番組(『ドリームマッチ』など)との、「緊張」と「弛緩」の空気の落差はとても大きい。

でも、考えてみれば、かつてのお笑い番組で出演者が自分のことを「緊張してる」なんて言うことは、あり得なかった。ドリフやビートたけしの頃にさかのぼればコントには大抵決められた台本があったし、今でもバラエティ番組での若手芸人の役割は大概が「賑やかし」である。たとえ緊張してる芸人がいたとしても、それは「言ってもしょうがないこと」もしくは「言うべきでないこと」になる。それがOKになったというのは、僕は好ましい変化だと思っている。人気でも知名度でもなく、「誰が面白いのか」を可視化する装置として『M-1』は(今のところ、ちゃんと)機能している。芸人にとっての「甘え」は存在しない。だからこそ企画自体がこれだけの成功を収め注目を集めるようになったのだろう。

ただ、優勝で明日以降の生活が一変する若手芸人が『M-1』で緊張するのは、言ってしまえば当たり前のことだ。そう考えると、すでにキャリアも地位もある芸人たちが「緊張のせいで楽屋でえづいたりする」と語る『すべらない話』の番組としての特異性は図抜けている。ゴールデンに移ってからはだいぶ番組の雰囲気も変わったけれど、特に初期は「なごやかな真剣勝負」の空気が濃厚に漂っていた。誰が勝つかというより、チーム競技として「番組を成り立たせる」ための団体戦とでも言うべきか。司会者との掛け合いも、余計な演出や編集もなしで、ただそれぞれの持っている「話の面白さ」だけで場を持たせるわけだ。お笑い芸人としての地肩が一番問われるわけである。

僕が千原ジュニアとほっしゃん。に取材したのは一昨年の12月。フジテレビの会議室で、2006年の『すべらない話 年末拡大スペシャル』収録のおよそ3~4時間前。赴く前は相当こちらも身構えた。なにせ楽屋でのエピソードは沢山聞いている。事前に担当氏から「インタヴュー内容によっては機嫌が悪くなることもあるので」というような注意も受けた。結果、話はとても和やかに進んだけれど、やはり普段の取材とは全然違う、独特のムードがあった。後方にはおそらく番組のスタッフだろう人々が待機し、インタヴュー中の会話で「~(笑)。」というような流れになると、かなり大きな笑い声が響く。バラエティ番組でよく聞くようになった、あの「スタッフの笑い声」と同じやつだ。もちろん無理して笑ってるわけじゃないんだろうけど、きっと直前のインタヴューで「すべる」と本番のコンディションに影響するという意味合いも大きかったんだろう。そういう意味では、本人よりも周囲のほうがピリピリしていたムードがあったように思う。

ほっしゃん。は「この番組に出てるのは誇りだと思う」と語っていたし、千原ジュニアは「終わったら『よくぞ無事に生還した』みたいな感じ」と言っていたけれど、その言葉はあながち大袈裟なものではないと思う。観覧ゲストの豪華さなんてどうでもいいから、一度、生でその緊迫感を視聴者に見せてほしいな。


人志松本のすべらない話 其之参 通常盤人志松本のすべらない話 其之参 通常盤
(2007/06/27)
ほっしゃん。、千原ジュニア 他

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笑いのプロに会う

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今年の初取材で神保町のタイセイ吉本ビルへ。とはいっても芸人さんのインタヴューではなく、取締役の方への取材。

芸能界の最大手のプロダクションに成長し、携帯配信や出版や映画など数多くのコンテンツのチャンネルを持つ企業となった吉本興業。僕自身は横浜で生まれ育ったので関西の方とはまた印象が異なるとは思うが、今のような“お笑い=吉本”というイメージは、子供の頃にはなかった。存在を知り始めたのは「吉本新喜劇ギャグ100連発」あたりからだろうか。それが、今ではテレビをつけて吉本興業の芸人が映らない日はないほどの盛況ぶりである。

今、「お笑い」はテレビをはじめ、DVDや出版の部門でもキラーコンテンツとなり続けている。『ガキの使い』のDVDは累計100万部を突破したし、『ホームレス中学生』は200万部に届く勢いだ。なぜ「お笑い」がここまで求められていたのか。そして、そのコンテンツをどう活かしていけばいいのか。

話は「コンテンツってそもそも何だ」というところへ深まっていく。エンターテインメント業界の“勝ち組”の話はとても興味深かった。以下の本も購入予定。

吉本興業から学んだ「人間判断力」 (講談社ニューハードカバー)吉本興業から学んだ「人間判断力」 (講談社ニューハードカバー)
(2002/09)
木村 政雄

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ぼくの基本的なスタンス

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僕が文章を書くときの一つのスタンスとして、できるだけ「貶したくない」というものがある。そして、できるだけ悲観的にならないでおきたい。

新聞を読んでも週刊誌を読んでもブログを読んでも、一つの基本になっているのは「批判」のトーンである。ワイドショーのコメンテーターは自分の専門外の分野にまで眉をひそめ、2ちゃんねるのまとめブログでも「これはひどい」の大合唱になったりする。ブログでも不用意な発言があればすぐさまコメントが炎上したりする。それが一概に悪いことだとは思わない。マスだろうとネットだろうと、メディアにはそもそもそういう機能が備わっている。そして、人を攻撃する言葉は、得てしてとてもキャッチーだ。亀田興毅でも沢尻エリカでもなんでもいい。誰かが「叩かれる」瞬間、叩く側の人間には「連帯」が生まれる。その連帯感は、ある種の快楽性を伴う。そして鈴木謙介が言うところの“カーニヴァル化”が生まれる。それ自体を否定するつもりはない。けれど、僕個人としては、

言葉でできるだけ人を殴りたくない

と思っている。ライターとしても、たとえば特定の誰かを貶めたり傷つけるような記事は、できるだけ引き受けないようにしている。音楽やカルチャーを中心に仕事しているおかげで、そもそもそういう発注がほとんどない、というのもあるけれども。僕がもし週刊誌のジャーナリストだったら「そんな綺麗事言ってんな」の一言で片付けられて終わりだろう。こういう職業をさせてもらっていることに、感謝の思いは大きい。

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)
(2005/05/19)
鈴木 謙介

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パンドラの箱の底にあるもの

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先日書いた話にリアクションをいただきました。ありがとうございます。

聴きたい音楽に辿り着くための効率的な方法 /area[nothing] : diary
http://nothing.sh/blog/archives/64

確かにこのpandoraというサービス、すごく面白そう。アメリカ国内でしか使用できないというのは、とても残念。最初に自分のお気に入りのアーティストや曲を登録し、流れてくる音楽を「好き」「嫌い」で評価していくうちに、自分の好みのツボをついた音楽を選曲して流すようになってくれるという、ストリーミングのネット・ラジオだ。このモデルは僕が先日書いた“広大な玉石混合の砂漠の中からリスナーが聴きたい音楽に辿り着くための最適化されたサービス”というイメージに、とても近い。

ネットラジオサービスのPandora、「音楽の発見」を支援してファンが急増:スペシャルレポート - CNET Japan


という記事によると、ユーザーだけでなく、ハリウッドの映画音楽への起用やコンサートの興行主が前座を決める際にも使われているらしい。もしこれが日本をはじめ世界的なレベルで本格的に普及すると、状況はかなり面白いことになりそうだ。そうなったときにメディアのビジネスモデルはおそらく瓦解しているだろうという意味で個人的な不安は沢山あるけれど、それ以前にイチ音楽好きとしてワクワクする面は大きい。

老舗の音楽雑誌の記事よりもこういうソーシャル・サービスのほうが有効に機能するような時代になったときに、果たして“評論家”はその状況の中でどういう役割を果たすことができるのだろうか? それはこれから長く考えていくべきテーマだと思っている。


フェスティバルが一人勝ちした理由

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00年代のなかば頃まで「フェス・バブル」という言葉がよく使われていた覚えがある。CDの売り上げも落ちる、ライヴも芳しくない、それでもロック・フェスの動員は伸び続けている、といった時期。音楽業界の中でフェスだけが伸びていた時期。ただ、その頃までフェスのチケットが早々に売り切れるという状況はまだ今のように当たり前なものではなかった。オアシス、ニール・ヤング、エミネムと超強力なラインナップが揃った00年のフジですら、ソールドアウトには至らなかった。でも、僕の周りでは「普段CDもそんなに買わない、ライヴもそんなにいかないけど、年に一度のフジはすごく楽しみにしてる」という人は徐々に多くなっていった。その頃から僕は“バブル”なんかではない、音楽リスナーの構造的な変化だろうと思っていたけれど、最近ではもう「フェス・バブル」なんて言う人も少なくなったな。

ロック・フェスがここまで動員を増やし、規模を拡大し、人々の間に定着したのは何故か。それはひとつは、多くの人が書いているとおり「体験は複製できない」からだろう。いくらyoutubeにステージ映像がアップされようが、現場で吸う空気まではどうしたってコピーすることはできない。著名ブロガーの子飼弾氏が書いているとおり(http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20071231/290385/)である。

さらに、「特に観たいアーティストがなくてもフェスには行く」という層も増えてきている。目当てが出てなくても、のんびり寝そべってるだけで楽しむことができる――これは、ライヴハウスの対バン・イベントには決してない要素だ。特にここ2~3年は、フジもサマソニもRIJFも、それぞれのやり方で「目当てのアーティストがいない時間の楽しみ方」を提供する方向に力を入れている。いわばフェスの「おもてなし」のレベルが上がってきている、ということだろう。

もうひとつには、フェスティヴァル自体がメディアとなったという現実もある。「まだ知らない良い音楽」を探す音楽ファンにとって、フェスは格好の音楽との出会いの場になっている。フジなら王道のロックやクラブ系だけでなくジャズやワールド系もカバーし、UKやUSのイキのいい新人バンドならサマソニ、邦楽ならロック・イン・ジャパンやライジング・サンというように、それぞれの棲み分けもできている。たとえばくるりが主催した「みやこ音楽祭」のように、アーティスト自身がメディアとなって自らのファンに音楽を紹介するパターンもある。そうすると、フェスへの出演によってポピュラリティーを獲得するバンドというものも、当然出てくる。パッと思いつくのはフジでの「渋さ知らズオーケストラ」あたりだろうか。こうして、さまざまな音楽との“つながり”が提供されるわけだ。

もちろんすべてのフェスが成功をおさめているわけではない。もはや(逆の意味で)伝説となった一昨年のウドー・ミュージック・フェスティヴァルのような例もある。名前は伏せるが、チケットの売れ行きが悪く開催中止にいたった夏のイベントもある。「フェスなら何でも客が集まる」わけではないことも、フェスを巡る状況が“バブル”ではないことを証明している。そこに「おもてなし」と「メッセージ」がなければ、人は集まらない。

先日幕張メッセで行われたカウントダウン・ジャパン07/08も、ソールドアウトの盛り上がりだった。統計やデータがないので実感に基づく話でしかないのだが、アーティストそれぞれの単独ライヴやツアーの動員も右肩下がりではないはずだろう。この盛況がいつまで続くかはわからないが、すでに現在成功しているモデルがある以上、再構築はそれを軸に進んでいくと思っている。

渋全渋全
(2006/01/11)
渋さ知らズ

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終わりの始まりのあとに(2)

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終わりの始まりのあとに(1)

「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年
http://d.hatena.ne.jp/rmxtori/20071230/p1

元記事の方にリアクションをいただきました。ありがとうございます。

書かれている内容は、まさに僕自身が「まだまだ整理しきれていない」と思っていた部分について。僕もそこについて、続けて書こうと思っていた。音楽そのものがなくならないのは前提として、「それをどう人に届けるか?」という問題についてだ。同じことをリスナー側の視点からいえば、「聴きたい音楽にどうやって辿り着けばいいのか?」という問題。

今進んでいる事態は、まさに音楽業界を巡る状況がフラット化しているということに他ならないと、僕自身は思っている。そういう中で、果たして「ポップ・ミュージック」が成立するのだろうか? その問いの答えは、確かにシビアなものにならざるを得ない。

昨日書いたように、音楽の作り手と受け手との関係がパーソナルになっていくこと、フラットになっていくことを突き詰めていくと、どういうことになるのだろうか。思考実験も兼ねて、「まあそうは言ってもさ……」みたいな部分を排除して推測してみる。まず、CDの売り上げ数が減っていくのは大前提。ロングテールの尻尾がどこまで伸びていっても、頭や胴体は痩せ細っていく。音源を「みんなが聴いている」という状況、つまりポップ・ミュージックを成り立たせている共通認識は確かになくなっていくだろう。そうしたときに、どうすればいいのか?

ミュージシャン側の視点に立つならば、「マスに届けなくていいんじゃね?」ということになるかもしれない。それでよしとするならば、成り立つ音楽業界のビジネスモデルはいくらでもある。というより、小さなライヴハウスはすでにそういうシステムをずっと昔から構築している。出演する側が金を払って、チケットのノルマを買い取る。それを超える人数が集まれば、アーティストの収入になる。そういう、表現する側が金を払うというモデル。ミュージシャンがプロとしてやっていく条件は、デビューを果たして華々しい成功をおさめることではなく、兼業も含め、見合ったスケールにおけるコストを最大限まで切り詰めるということになる。もしくは「自己表現」なんて厄介なものと向き合うのをさっさとやめて、発注者の依頼に応えるサウンド・クリエイターに徹すること。”絵描き”か”イラストレーター”みたいなものか。

でも、リスナー側の視点に立つと、話は少し厄介になる。そうしてフラット化した場所から「聴きたい音楽」「(自分にとって)いい音楽」をどうやって探し出すか。amazonもITMSも、俯瞰でみれば広大な砂漠のようなものである。ランキングはあるけれど、それはビルボードやオリコンのような指標にはならない気がする。さらに、myspaceやmuzieのように無料で登録できるものなら、玉石混合の度合いは劇的に高まる。到底見つけられない。口コミは頼りになるだろうし、だからこそSNSはひとつのキーになるだろうけれど、それでもそれがこれまでの(リスナーにとっての)音楽業界やメディアの役割を補完するとはなかなか思えない。

つまり、レーベルや音楽メディアは、そういう広大な砂漠において「水脈はここにありますよ」ということを大声で喧伝することを商売にしてきた、とも言える。水脈はやがてオアシスになり、多数の人がそこに集う。そうして、集まった人たちに水を売ることで商売は成り立つ。オアシスという言葉を「音楽シーン」と言い換えてもいい。けれど、資源だと思っていた水=コンテンツは複製が容易なおかげですでに売り物ではなくなり始めている。さあ、どうしよう? ……というあたりが、ここ数年の状況なのではないかと僕は思っている。

そこで、ひとつ考えられるのが、音楽業界にはまだgoogleがいないな、ということ。googleの検索結果に並ぶのはそもそも「売り物」ではない。それをユーザーに提供することで金を得ているわけではない。それと同じように、広大な玉石混合の砂漠の中からリスナーが聴きたい音楽に辿り着くための最適化されたサービスを構築することができれば、それはきっとビジネスモデルとして成立する気がする。ただし、この場合も金を払うのはリスナーじゃない。googleが広告収入で成り立っているのと同じように、やっぱり、表現する側が金を払うというモデルだ。

そして最後に。そういうミュージシャン側とリスナー側の視点を踏まえたうえで、それでも「ポップ・ミュージック」や「音楽シーン」なるものを成立させていくにはどうすればいいのか?という問題は、やっぱり一番難しい。それだけは、さすがに表現する側が金を払うというモデルでは無理があるだろう。そこでみんな頭を抱えているわけだ。

でも、すでに多くの人が書いているように、そのキーはやはり“つながり”と“体験”にあると僕も思う。つまり、フェスティヴァルやライヴそのもの。

フェスについては書きたいことも多いので、この話題はまだまだ続きます。


終わりの始まりのあとに(1)

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「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年 /くだらない踊り方


まさに他人事ではない話。実は、僕自身も先日まったく同じ言葉をタイトルに使って同じテーマの原稿を書いたばかりである。『イッツ・アップ・トゥ・ユー?/レディオヘッドがこじ開けた「終わりの始まり」』という原稿が、ロッキング・オン誌の08年1月号に掲載されている。そこに書いた僕自身の現状認識は、この記事に書かれていることとほとんど変わらない。

レディオヘッドのやり方は確かに革新的であったし衝撃的であったけれど、きっと彼らが一歩を踏み出さなくとも状況は変わっていただろう。というか、むしろそれは、すでに後戻りできないところまで進んできている。パッケージ・メディアとしての音楽に金を払う人間は、まるで潮が引くように減少し続けている。そして、デジタル・データとしての音楽は彼らが示した通りの「ユーザーが価格を決定するもの」に近づいている。つまり、極論してしまえば、違法ダウンロードや友達との貸し借りを含めた「タダで手に入れるもの」か「ちゃんと買うもの」かを、ユーザーが選んでいるとも言える。

そういう状況下で考えるならば、「音楽業界」というものの先行きは、やはり斜陽としか考えることはできない。一番最初にダメージを受けるのはCDの流通業者である小売店、そしてレーベルだろうと思うけれど、雑誌をはじめとしたメディアも決して先行きは明るくない。もちろん変化はあるところでは早く、あるところではゆっくりと進むだろう。それでも、“冬の時代”とか“不況”という時流の問題ではなく、構造的な問題であるのだから仕方がない。

ただ、ひとつだけ。それによって「音楽がなくなる」というのは、すこし筆が感傷的に走りすぎなのではないか、とも思う。確かに、規模は縮小していくかもしれない。レーベルからデビューを果たし、育ててもらえるアーティストの数も減っていくかもしれない。ただ同時に、アマチュア・ミュージシャンの目から見た「世に出る」ことのコストが大きく減っているのも事実だ。PCや機材の進歩もあり、かなりの低予算でそれなりのクオリティを持った音源を製作することは難しいことではない。エレクトロニカや宅録の手法を用いれば、ほぼゼロに抑えることもできる。そして、DIYでCDをプレスするのにはたかだか10数万しかかからない。海外のサイトでバーコードを取得すれば委託でamazonに並べることもできるし、iTUNES MUSIC STOREにも置ける。(ちなみに、先日紹介したOPHELIAのアルバムは彼らの自主レーベルによって、そういう手法で販売されている)。


無論、ほぼ儲からない。CLAP YOUR HANDS SAY YEAHのようにそこから口コミで広まって世界的な人気を得る例もあるけれど、99%の場合はビジネスモデルとして成り立たないだろう。しかし。ミュージシャンが音楽を作る動機が「儲かるから」でなく「表現したいから」である限り、“音楽”それ自体はなくならない。そして、「売れるCDが減る」ことが、「音楽の質が落ちる」、「志の高い音楽がなくなる」ことに直結するとは、言い切れない気がしている。


まだまだ整理し切れていない部分も多いので、後日に続きます。


※追記書きました(1月10日)
$55でiTMSとamazonにCDを置く方法
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-10.html


Ophelia『楽園』

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今年はじめに聴いた音楽は、福井~京都を中心に活動するバンド・Ophelia(オフィーリア)のセカンド・アルバム『楽園』。

彼らとは古い知り合いなのだけれど、今回の音源はこちらが予想していたレベルを遥かに超えて素晴らしかった。初めて彼らのライヴを観たときに僕はその音楽を「コールタールの海に沈む薔薇」と形容したことがあったけれど、このCDにはそういう“闇”と“美”の世界が、とても鮮烈に描かれている。

ひょっとしたら、一聴して「おどろおどろしい」とか「暗い」と感じる人もいるかもしれない。メロディや言葉のセンスはわかりやすいポップ性を志向してはいないから。けれど、その音楽の中にはむせ返るような豊穣さがある。特に終盤3曲は圧巻。アコースティック・ギターの柔らかな音色、練り上げられたバンド・サウンド、そして朗々としたヴォーカルが、まるで絵巻のように幻想的な世界を作り上げていく。

「楽園」というタイトルが想起させるように、その物語は“原罪”の意識に背後から貫かれている。既に失われたものなのか、永遠に手に入らないものなのか、それともそもそも存在が許されざるものなのか。それはわからない。が、(言葉の本来の意味で)背徳的であり、だからこそ美しいものを、彼らは音楽に結実させている。サウンド・プロダクションもとてもクオリティが高い。

聴いていて、とても嬉しくなるような一枚だった。


楽園 Field of joy楽園 Field of joy
(2007/12/15)
Ophelia

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はじめまして

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そういえば、ずいぶんと遠ざかっていたような気がする。

まだ、ブログなんて言葉がそれほど知られていなかった頃。
四苦八苦しながら英語版のmovable typeを導入して、僕はそれを書いていた。

その頃すでに僕は音楽雑誌の編集者だったわけで、つまりは文章で日銭を稼ぐ立場だった。そして、大概の編集者がそうであるのと同じに、かなり多忙だった。にも関わらずほぼ毎日、僕は自分自身のことを書き記し続けた。徹夜で家に帰れなかったときは、昼飯時に会社近くのネットカフェに行って、そこで飯を食いながら更新した。同僚や先輩には勿論その存在は秘密にしていた(結局バレていたことが後に明らかになったのだが)。

今振り返ると、なんであんなに熱量を持って更新し続けたのだろう?と思う。たいしたアクセスを集めたページではなかったし、今のようなアフィリエイトの仕組みも、勿論なかった。得になるようなことは、なかった。

一つだけ理由があるとするならば、

考えたことは、言葉にしなければ僕から逃げていってしまう。

ということになるのだろう。更新が滞り、ページが消滅し、mixiに引きこもり、そこでもあまり書かなくなって、ようやく気付いた。もしくは、最初から気付いていたのかもしれない。

だから、もう一度初めてみようと思う。はじめまして。よろしくお願いします。


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