日々の音色とことば:

移転しました。新URLはhttp://shiba710.hateblo.jp/です。ここは更新されませんがアーカイブを置いておきます
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「FUJI ROCK FESTIVAL 11」3日目twitterまとめ

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フジ3日目。宿に雨具忘れて涙目だったけど晴れ間が見えてきた。link
コトリンゴ@木道亭、フリッパーズ「恋とマシンガン」をアコースティックでカバー。これはきゅんきゅんする!link
森ガールの真髄を観た……。link
アトミック・カフェ、MANNISH BOYS(斉藤和義×中村達也)、スタート。後ろまでぎっしりの満員。おそらく入場規制。新曲「猿の惑星」。link
斉藤和義「中国の新幹線……埋めんなよ(笑)」「最近Facebookで俺に成り済ましてるヤツがいるらしい(笑)」(バカにすんなよ!)link
MANNISH BOYSは「ずっとウソだった」で終了。アトミック・カフェ、続けて加藤登紀子とYMOの三人が登場。link
坂本「プルトニウムが身体にいれても安全だって言うんなら、自分の子供に食わせろってんだ」細野「事故後すぐに3万でガイガーカウンターを買った。昨日も東京で測った」link
細野「みなさんの本能がちゃんと機能するように祈ってます」高橋「これは子供の世代以降も続いていく問題」坂本「俺は日本が好き。国を憂いてます、ほんとに」link
アトミック・カフェ終了。終わった後に喋ってるステージMCの二人が頭悪すぎて萎える。「原発が安全だと思う人、手をあげて!」「…」「じゃあ危険だと思う人!」「(数人が挙手)」「みんな、さっきのトークで原発が危険だってわかったことだね!」……。幼稚園の先生か。link
tinariwenじわじわくる良さだな。link
YMO最高だなあ。そしてすごい混雑。link
「ライディーン」が、こんなにもエモく洒脱にアップデートされるとは……。小山田圭吾のギターも効いてる。完全に2011年仕様。すごい。link
東風もやったし、ベストセットの選曲でした。しかもメロだけ残してサウンドは換骨奪胎。YMOすごい。link

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「FUJI ROCK FESTIVAL 11」2日目twitterまとめ

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おはようございます。二日目の苗場はぽつぽつと降りながらも晴れ間も見えるお天気。すごしやすいといいなあ、今日も。link
ラストの轟音がヤバいくらいフリーキーだった「バイタルサイン」、イル・ボスティーノが熱のこもったライムを届けた「あかりfrom here」、レイ・ハラカミさんに捧げた「folklore 」。今回のクラムボンは、いつもにまして魂がこもってた。link
星野源の歌声を堪能。アヴァロンがぎゅうぎゅうの満杯だったから、もう少し広いところでもよかったのにね。そしてBATTLESへ。link
the HIATUS終わってぼうっとしてる。圧倒的。ナノムゲンの時にも思ったけど、「hatching mayflies」以降はまるで別のバンドみたいだ。link
トッド・ラングレンに行こうと思ったらアヴァロンから聴こえてきた歌声にわしづかみにされて、行ってみたら小南泰葉だった。ピアノがハジメタルくんだった。いいものをみた。link
トッド・ラングレン、「I saw the light」聴けた!link
そういえば数年前ジャスティスに取材したとき「最近お気に入りの音楽は?」と訊いたら、にやりと笑って「トッド・ラングレンしか聴いてないや」とiPodのプレイリストを見せてくれたことがあった。ホントにトッド・ラングレンしかなかった。link
マイア・ヒラサワにうるうるしてる。link
マイア・ヒラサワは今年の2月までの一年間を仙台で暮らしてて、そこでできた大切な友達の母親を津波で亡くしたという。その子のことを歌った「fragile」と、「希望と友情と幸せの歌」とMCで言ってた「BOOM!」は、やはり何度聴いても涙腺がゆるむ。link
congotronics vs rockers最高だなあ。link


「FUJI ROCK FESTIVAL 11」1日目twitterまとめ

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ようやく苗場到着♪link
The pains of being pure at heartできゅんきゅんしてる。シューゲ好きにはたまらない。link
GRUFF RHYSもキュートでほんわかしてよかった。今日のred marqueeは勝ち組感あるな。link
ジップロックの上からでも普段通りの感覚でスマートフォンを操作できるとわかった時の全能感! link
サケロックも幸福感たっぷりでよかった。フェス映えするよねえこういうバンドは。ライブ中は雨も上がっていて、のんびり。link
the Birthday、フジイさんのギターの音がとにかくよくて、スイートスポットを付いてくる感じ。新作の曲をがんがんやってた。そして連絡もろもろで一時離脱。アクモン…link
コールドプレイ待ち中。おそらく映像や演出も使ったスペクタクルなステージになるはず。楽しみ。link
開演と同時に花火!!link
「イエロー」に「イン・マイ・プレイス」で総天然色の紙吹雪……すごい!link
クリス・マーティン、震災以降の日本への思いを伝えるMCの後に、弾き語りの新曲。歌詞の中に「ジャスト・リロード・ザ・シナリー」という一節があったような………。link
アンコールでfix you。そして再び花火。歌詞がしみる。link
ラストはやはり「every teardrop is a waterfall」。万感。この曲の歌詞の「ガレキの下にレベルソングが鳴り響く」という一節がすごく好き。link
「every teardrop is a waterfall」が鳴り終わった瞬間に、まさに滝のような雨が降ってきて、おいおいこんな演出ありかよって思った。粋すぎる。link


cinema staffと、巨大で無慈悲で美しい「海」について

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cinema staffcinema staff
(2011/06/01)
cinema staff

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渋谷クラブクアトロでcinema staffを観た。これまで残響レコードから3枚のミニアルバムをリリースし、1枚目のフルアルバム『cinema staff』を6月にリリースした彼ら。今回のライブはそのツアーファイナルにあたる。

 ライブは、ファーストアルバムを作ったこと、とりわけそのラストに収録された“海について”という楽曲を完成させたことで、バンドが大きく化けたことを証明するようなものだった。正直、昨年のミニアルバムがリリースされた頃くらいまでは「かっこいい歌モノのバンドだなあ」くらいの印象しかなかったんだけれど、今は全く違う。相変わらずMCはグダグダだったり、キャラは人懐っこい感じだったりするんだけれど、曲の世界観に“凄み”のようなものが生まれてきた感じがする。

 バンドは今年の初めに代表曲“daybreak syndrome”と“GATE”を収録したシングル『水平線は夜動く』をリリースしている。どちらもライブでは定番の人気曲で、特に“daybreak syndrome”は10代の頃に作った、彼らにとっての初期衝動の塊のような曲だ。それを何故アルバムに収録しなかったというと、アルバムが“過去の楽曲をコンパイルした”ものではなく、明確なコンセプトに基づく一枚だったから。そのコンセプトの中心になったのが、「海」に対するアディクションだった。

三島「海に関しては、自分の中ではこのアルバムで完結させようと思ってました。それは制作の中盤あたりで思うようになりましたね」
――そう思うきっかけになった曲は?
三島「それが”海について”ですね。その断片ができてきた時に、海のスケールに負けない曲がほしいと思ってたときにそれができてきたのがあって」
久野「この曲は、最初から『これはもう最後の曲だ』って言いながら作ってましたね。アルバムの最初の曲と最後の曲は決まってたんです」
――”白い砂漠のマーチ”で始まり、”海について”で終わるという構成が決まると、アルバムは必然的にロードムービーになるんじゃないですか。出発点に砂漠をおいて、ゴール地点に海を置いたわけだから。
三島「なりますね。それは思ってました。砂漠から海に至るまでのドラマというか。物語性は持ってると思いますね」




上記は『MARQUEE』85号に掲載された彼らのインタヴューからの抜粋。cinema staffの音楽の世界観において「海」は重要なキーワードになっている。そのイメージが象徴するのは、人の営みや感情や、そういう一切のものを覆い尽くしてしまうほどの巨大さ。時に無慈悲で、時に残酷で、だからこそこに美しさと憧れを感じるという心性。J-POPによくある“夏”=“海”=“リゾート”というような消費社会のイメージ連想とは全く逆のものだ。

だからこそ、震災と津波で多くの命が失われた今に、こういうアルバムを一切内容を変えることなく発表したことは、とても勇気のいることだったと思う。このアルバムが完成したのは3・11の直前だったという。日本中をくだらない“不謹慎”の波が覆っていた頃、そして「一つになろう」という共同幻想が繰り返し繰り返しTVに踊っていた頃に、僕はこのアルバムの音源を初めて聴いた。それは、その時に世の中で自粛を要請されていた(ただ陽気なだけの)表現とはレベルの違うクリティカルなものだった。言ってしまえば、悪い意味でとてもタイムリーだった。

――ひょっとしたら「これ、今回はちょっとヤバいかもしれませんね」とか「時期も時期なんで、やめときましょうか」って、誰かに言われたりしてもおかしくない曲だと思うんですよ。でも、この曲を出したということは、自分の表現を背負ってるということ。たとえそういうことを言われても「これは自分の音楽で、自分の表現で、最終的にポジティヴなものなんです」と言い切る芯があったんじゃないかな、と。
三島「“海について”に関しては、僕はそう思ってますね。自分でも相当タイムリーだと思ったんですけれど」
――“海について”という曲から僕が感じ取ったのは、海というものの巨大さ、人の営みとか感情とかとは関係ない圧倒的な巨大さ、というイメージなんですけれども。
三島「そうですね。海というものは、そういうレベルじゃないところにあるわけで」
――そこに美しさと、ある意味の救いを感じている、というのが“海について”にあるんじゃないかと思っていて。
三島「救いは求めてました。そうですね、本当にその通りなんですけど……。海の“負”の部分みたいなことを、震災で目の当たりにさせられたこともあって。でも、それでも、海の存在そのもの、象徴的な意味で僕が救いを求めていることは変わらないんです。だから、あれで、僕が海に関して言及を辞めるのはちょっと違うなと思うので。もちろん、いろいろ思うことはありましたけれど……」
――レコーディングの真っ最中だったわけでしょう?
三島「完成した3日後だったんです。3月8日に作業が終わって。本当に直後ですね」
――愕然としましたよね。自分が作った音楽が目の前の情景にリンクするものだったわけで。
三島「愕然としたというか、こんなことってあるんだろうか?ってのはすごく思いました。不思議な気持ちでしたね」
――でも、自分の表現を曲げなかった。それは、作った作品に自分が救われたからだったと思うんです。
三島「僕はもう、完全にそうでした。すごく救われたし、今でも一人で聴き返すんです。それくらい、自分の中ではものすごく意味は大きいです」




きっと、彼らは“海について”という曲をきちんと世に放ったことで、自分たちににとっての「音楽を鳴らすことの意味」を形にすることができたんだと思う。

僕がライヴを観て感じとったのはそういうことだった。


DOESは何が「和風」なのか

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FIVE STUFF(初回生産限定盤)(DVD付)FIVE STUFF(初回生産限定盤)(DVD付)
(2011/07/27)
DOES

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7月15日発売のMUSICAでDOESの新作『FIVE STUFF』についてのレヴューを書いたんだけれど、その300字ではとても書ききれなかった「DOESが“和”であることの考察」について補足しておこうと思う。


MUSICA (ムジカ) 2011年 08月号 [雑誌]MUSICA (ムジカ) 2011年 08月号 [雑誌]
(2011/07/15)


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 DOESは、そもそもバンド名の由来(氏原ワタルがザ・ブリーダーズの“Doe”という曲を好きだったこと)からしても、非常に洋楽的なルーツを持つバンドである。その根っ子には90年代のUSオルタナティブ・ロックがある。

「国内のロックはまるで聴いてなかったし、シーンの状況も、メジャーがどういうところかも知らなかった」

(氏原ワタル、http://natalie.mu/music/pp/does03


そして、今の彼らが目指す音楽的な方向性にも、USインディ・シーン、00年代後半からのブルックリンのバンドたちのテイストが大きく刺激になっている。具体的な名前をあげるならば、たとえばMGMTやヴァンパイア・ウィークエンド。それを日本のギターロックにどう“接続”するかが、今の彼らの追求する大きなモチーフになっている。『FIVE STUFF』に収録された“タイニー・パンク”なんかは、まさにそういう曲になっている。

「MGMTとかは、去年くらいからずっと聴いてますからね。これは来たな! って思ったんですよ。新しいって思った。基本的に古い音楽は好きなんだけれど、閉塞的になってもダメだから。彼らは古い音楽を今の解釈と新しい発想でやっている。それは賛同できますね。日本の3ピースのギターロックとして、そういう刺激をどう昇華していくのか。そういうことをずっとやってますね」

(氏原ワタル、http://natalie.mu/music/pp/does03/page/2


そういう指向を持って音楽をやっている彼らの曲に、何故“和”のテイストが漂うのか? もはや言うまでもないが、彼らのブレイクのきっかけとなったのは『銀魂』の主題歌になった“三月”や“曇天”、“バクチ・ダンサー”などの曲群。そこでの『銀魂』=“侍”=“和”という世界観が、彼ら自身の音楽の世界観やイメージにも大きく寄与している。もちろん、そういった“和”の雰囲気を醸し出しているのは、歌詞の言葉のセレクトや文体も大きい。けれど、実はそれだけじゃないんじゃないだろうか? メロディの紡ぎ方に一つの特徴があるんじゃないか? ――ということが、最初にレビューで書こうと思ったこと。でも、届いた雑誌を読んでみたら、同誌の副編集長の寺田氏のインタヴュー中に、まさにそこについて触れていた箇所があった。

――僕が今回聴いて思ったのは、ここまでアレンジが幅広くても、このメロディと歌って凄く来名声が高いなってことで。ちょっと和音階が入ってきて、そこに言葉が乗ってきた時に、音の綺麗さと流麗さ、そして凄く繊細な感情を行間に感じた歌詞っていう。これがDOESらしさなんだなって改めて気づかされたし、それが研ぎ澄まされているというか。(後略)

「うん、そう思いますね。どんどんシンプルに、『こうでしょ? ああでしょ?』みたいな感じになってるんだよね。和テイストとか和メロとかってよく言われるんだけど、前のやり方はどっちかっていうと逆輸入な感じで。(後略)」




ここの会話はまさにそのとおりなんだけど、二人が「和音階」「和メロ」という言葉で言い表してるのが、要は「ニロ抜き短音階」=「マイナー・ペンタトニック」なんじゃないだろうか? ということが、レヴューで僕が書こうと思っていたこと。そして、それに気付いたきっかけは、彼らの新しいミニアルバム『FIVE STUFF』に収録された“黒い太陽”という一曲。

この曲のサビは特徴的なメロディラインを持っている。

《高く飛び跳ねて 全てを掴めよ 僕らの命は 燃えるためにある 黒い太陽さ》

E D B D B A G E/ E D B A G A B D /E D B A G A C B /B D D E B A G A/ B A E B A E D E

これをみて気付くのは、基本的にE、G、A、B、Dの5音の組み合わせで成り立っているということ。一箇所だけCが出てくるが、それ以外は基本的にこれらの音だけでメロディが組み立てられている。これが何かというと、Eマイナースケールから「F#」と「C」を抜いた5音から成り立つ音階。2度と6度の音を抜くので「ニロ抜き短音階」とも呼ばれる。英語で言うなら「マイナー・ペンタトニック・スケール」。詳しい説明はwikipediaで。

DOES には、この「ニロ抜き短音階」を効果的に使った曲が多い。

(ちなみに“和音階”という言葉の正確な定義は存在しない。“ヨナ抜き音階”、つまり4度と7度の音を抜いた音階――CメジャーのスケールならばC、D、E、G、Aからなる音階が、民謡や唱歌や演歌に使われる“和風”の音階としてよく言われる。ただし、DOESの曲には実はヨナ抜き音階は少ない)


たとえば“バクチ・ダンサー”のサビ

A C D D C D E D C A /A C D D C D E D C A /A C D D C D E D C A/C B B A/C B B A/G A C A/

ここにはAマイナースケールのペンタトニック・スケールが、また“曇天”のサビではDマイナースケールのペンタトニック・スケールが効果的に使われている。(もちろん2度と6度の音を完全にオミットしてるわけじゃないけど)


本当はもう少し時間を欠けて検証しなきゃいけないテーマなんだけれど、DOESというロックバンドが言われる“和テイスト”の正体は、ここにあるんじゃないだろうか。

そして、もちろん僕自身、音楽理論にそこまで精通しているわけではないけれど、ホントは音専誌にこういう分析がもっと乗っててもいいんじゃないかな。音を聴いて「こんな感じがする」と印象を書くだけじゃなく、それが何故生まれているかを追求することができたら、もっと面白いよね、という。『MUSICA』に書いたレヴューの裏側にはそういう思いまで込めてたんだけど、とても書ききれなかったので補足しました。


白石一文『翼』について

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翼 (テーマ競作小説「死様」)翼 (テーマ競作小説「死様」)
(2011/06/18)
白石一文

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“死様”をテーマにした、白石一文の最新作『翼』。読み終えてからしばらくの間、動悸が止まらないほどの熱量と衝撃のある一冊だった。

私は小さい頃から、死は「記憶の消滅」だとずっと思ってきた。


最初にどきりとしたのは、その一節を読んだとき。物語の中盤、主人公の田宮里江子と、その上司である城山営業本部長との会話の場面。城山は、「人は死んだらどうなると思う?」と里江子に問いかける。

「さあ、たぶんなんにもないんじゃないでしょうか。完全な無なんだろうと思います」
「完全な無ってどんな無なのかな」
「よく分かりませんが、何も覚えていない状態なんじゃないですか。すべての記憶が消去されてしまうっていうか」


そして、「要するにメモリーがゼロの状態に戻るってわけか」と言う城山に、“それだけではやや言い足りないような気がした”里江子が、付け加える。

「共有されたデータっていう送信済みのデータっていうか、そういう記憶は当然他のメモリーに残るので、その意味では関係者全員の死をもって完全な無になるのかもしれないですね」



まったく同じことを、僕は7年前、父の死に直面した時に強く感じた。そのことは以前に記していた

《集中治療室の入り口で身に付けた使い捨てのマスクは最早ぐしょぐしょに濡れていたけれど、それでも僕はその時、自分を「驚くほど冷静だ」と思った。死はゆっくりと訪れる。心拍を示す緑の数字が40から30へ、30から20へと徐々に下がっていくのを見ながら、そう思った。生と死とは決してデジタルなONとOFFではなく、状態Aから状態Bへと徐々に移行していくようなものだ、ということ。そして、たとえ生物的な死を迎えたとしても、その人の記憶が残された人々の間に生きている限りその人は生きていて、みんな心の中からその記憶が消え去ってしまったときに初めて、その人はこの世から消えてしまうのだ――ということ。根拠はないけれど、ただ強くそう感じた》



あの時、僕は《この先も決して回答の出ない「死」と「記憶」のことに関して考えつづけていくんだろう》と書いた。それは頭の中にずっと引っかかっていた。だから、白石一文の小説が、次のように踏み込んでいくのは、とても衝撃的だった。

「田宮の言う通りだとすると、自分のことを知っている人間が死ぬということは、自分自身が死ぬということだな」
「たとえ自分自身が死んでも、自分のことを記憶している人間がいる限り完全に死んだことにならないんなら、逆に、自分が生きていても、その自分のことを知っている人間が死んでしまえば、自分の一部が死んだことになる。そういうことだろ」


その城山の言葉を聞いて、里江子は〈いままで見落としていた大切な真実〉に気付く。

自分のことを最も深く理解できるのは決して自分自身とは限らない。だとすると自分という人間を最大限に把握している別の人がいて、もしもその人が消滅すれば、「自分というデータ」のまさに中枢部分が失われることになる。
 それは自分自身の死よりもさらに“致命的な死”とは言えないだろうか?


 物語は、この〈大切な真実〉を巡って進んでいく。そこには、常識や社会通念や保身や世間体や、あらゆる〈当たり前〉を覆してまでも、自分にとっての真実を貫こうとする人間の姿が描かれている。そして、210ページほどのこの小説が、読み返す度に何度もグサグサと突き刺さるほどに痛切なのは、その果てにある“致命的な死”が克明に描かれているからなのだろう。

結末は伏せるけれども、読み終えた時には「お前はどうなのか?」「お前は"ほんとうのこと"に向き合ってるのか」と胸先を掴まれるような感覚があった。


サカナクションのニューシングル『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』について。

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『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』【初回限定盤】(CD-EXTRA)『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』【初回限定盤】(CD-EXTRA)
(2011/07/20)
サカナクション

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When we became indifferent to stay up all through the night.2011,Tokyo



サカナクションのニューシングル『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』のインナースリーブ1ページ目とCDの盤面には、この文字が大きく記されている。「indifferent」は「無関心、不感症、無頓着」という意味。訳すならば、「僕らが夜通し起きていることに無関心になった時に。2011年、東京」。という意味だろうか。

なるほど、と思った。雑誌のインタヴューなどで山口一郎がたびたび語っている通り、新作は今という時代を強く意識したシングルである。“バッハの旋律を夜に聴いたせいです。”と“years”という二つの曲が相互に補いあい、震災以降の日本に広がる空気がそこに切り取られている。そして、歌詞の言葉でもインタヴューなどでも一切触れられていないけれど、そのキーワードになるのが「indifferent」=「無関心」なのだろう。

“バッハの旋律を夜に聴いたせいです。”という曲は、曲名が一つのキャッチコピーになっている。真ん中に欠落したピースがあって、それが人を惹きつける仕組みになっている。簡単に言うと、「何が(バッハの旋律を夜に聴いたせいなの)?」という問いが生まれる、ということ。そしてサビでは〈バッハの旋律を夜に聴いたせいです こんな心〉と繰り返される。「こんな心」という言葉に、聴き手がそれに自分なりの不安の正体を当てはめることができる。そういう意味で、中心に明確な旗印としてのメッセージを掲げている“アイデンティティ”などとは違う構造の曲になっている。

そして一方で、“Years”というカップリングの曲がある。パッケージでは、黒い紙の裏側に手書きの歌詞が印刷され、まるで手紙のように折りたたまれている。それは、こんな歌い出しで始まる。

〈僕たちは薄い布だ 折り目のないただの布だ/陰は染まらず通りすぎて行き 悲しみも濡れるだけですぐ乾くんだ〉


山口一郎は“バッハの旋律を夜に聴いたせいです。”を「恋愛や仕事や人間関係や、誰もが目の前に抱えてる悩みを歌った曲」、“Years”を「時代が抱えてる不安を書いた曲」と語った。じゃあ“布”は時代の何を表現したメタファーなのか。それはきっとソーシャル・メディア以降に大きく変化したコミュニケーションのあり方、そこに表れた心性のことだろう。そしてそれは、震災以降の数ヶ月でさらに明確に顕在化したものでもある。「誰ともつながることができる」という昂揚感と、すさまじいスピードで感情すらも消費されていく切迫感。一人一人がメディアになることができるという全能感と、人の生き死にすらコンテンツになるという恐怖。その背中合わせの両面を“繋ぎ合わせて帆を張り風を受けることのできる布”“悲しみすらすぐ乾く布”というメタファーで表現している。

そう捉えると、ソーシャル・メディアが加速する「分断」にどう向き合っていくかという意識も、この歌詞からは読み取ることができる。

〈この先に待ち受けてる時代のハサミは/多分この帆を切り刻みバラバラにするけど/また繋ぎ合わせるから その時には/君のことを思い出しても許してくれるかい?〉


おそらくここで、「繋ぎ合わせた帆を切り刻みバラバラにするもの」が「無関心」なのだろう。震災後に顕在化した「誰しもが自分の見たいものしか見ない」こと(それは“バッハ~”のモチーフの一つでもある)、そしてレッテルの貼り合いと不寛容が生み出す混沌のことを指し示しているのではないだろうか。

『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』の2曲で歌われているのは、受け手が簡単に自分を重ね合わせることのできるような、安っぽい「希望」ではない。人を勇気づけたり鼓舞したり癒したりするような類のものではない。むしろ極めてパーソナルな「覚悟」に近いものなんじゃないか、と思う。


BASS MAGAZINE

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BASS MAGAZINE (ベース マガジン) 2011年 08月号 (CD付き) [雑誌]BASS MAGAZINE (ベース マガジン) 2011年 08月号 (CD付き) [雑誌]
(2011/07/19)
ベース・マガジン編集部

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『BASS MAGAZINE』に、ねごとのアルバム『ex negoto』のレビューを執筆しました。


MUSICA8月号

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MUSICA (ムジカ) 2011年 08月号 [雑誌]MUSICA (ムジカ) 2011年 08月号 [雑誌]
(2011/07/15)
不明

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『MUSICA』8月号にて原稿執筆を担当しました。

ストレイテナー『ストレイテナー』、School Food Punishment『Prog-roid』、OKAMOTO’S『欲望を叫べ!!!!』、DOES『FIVE STUFF』、東京スカパラダイスオーケストラ『Sunny Side Of The Street』のレヴューを担当しています。

DOES『FIVE STUFF』については、まったくもって書き足りなかったのでこちらにも書きました。


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