日々の音色とことば:

移転しました。新URLはhttp://shiba710.hateblo.jp/です。ここは更新されませんがアーカイブを置いておきます
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原発とメリーゴーラウンドとロイコトーム

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 僕はわりと本気で、言霊の存在を信じている。

 それはオカルトでも何でもなくて、少なくとも人が願いの気持ちと共に発した言葉は、その人とその人の周囲に何らかのプラスの作用をもたらすと思っている。強い意志をこめて、かつその責任をきちんと引き受けることのできる身体から発せられた言葉は、(それが100%実現するかどうかは別として)きちんと結実をもたらすはずだと思っている。

 僕がそう思うようになったきっかけの一つは、以下の文章を読んだことだった。


「仕方がないよ」彼らは言いました。「そういう仕組みなんだから。」

もともと、彼らは、仕組みに気がついて、ささっとそれに従うことが、だれよりも得意な人たちなのでした。

 そんな彼らが、長いあいだ従いつづけて、せっかくついた地位でした。

(中略)

灰色のつくり出す世界で、「仕方がない」と言って、「仕組み」に従っている人たちは、うすうす、あることに気がついていました。

 それは、自分たちのように「仕組み」に従って、人をあやつっていた者たちは、歴史の中で、いつも、倒されて、殺されてきたということでした。

 二百年くらい前には、王様たちが倒される「革命」が起こりました。「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから」と言って、王様の命令に従っていた人たちはみんな、ギロチンにかけられたり、銃殺されたりしました。

 百四十年くらい前には、人を売り買いする、「奴隷制度」が倒されました。それは、たくさんの人が、「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから」と言って、疑うこともなかった仕組みでした。

 ほんの八十年くらい前には、それまで投票することが出来なかった女の人たちが、たくさんの国で投票できるようになりました。「女の人なんて、投票できなくていいんだよ。男にまかせておけばいいんだよ。」と言っていた人たちは、女の人たちに、こっぴどくこらしめられました。

(後略)




>  小沢健二『うさぎ!』(季刊 子どもと童話 26号)  <

 そして文章は、

 どの「仕組み」が倒された時も、それが倒れる直前まで、だれもが、「仕組み」を倒すことなんて不可能だ、と思っていたのでした。



 と、続く。

 9月11日。東日本大震災から半年が経った。同時多発テロから10年が経った。

 ちょうど5年前に書かれた上の文章は、不思議なほど的確に2011年の日本を覆っている問題を指し示している。ここで書かれている「仕組み」に共通しているのは、力と権益をもたらすシステムが、それにアクセスする術を持たない多くの人たちの命や生活をコントロールするという構造。もちろん、原発も、その一つ。震災は巨大で無慈悲な被害をもたらしたけれど、それは決して「一夜にして全てを変えた」天災ではなかった。原発の事故が明るみに出した宿痾は、それ以前から、ずっと社会に巣食っていた。それが「どこかの悪い奴らがあくどいことを企んでるからだ」みたいなことでないのは、たとえば年金資金と穀物市場と食糧危機の関係を考えれば明らかなことで、誰もが小さくそこに加担していた。

 そして「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから」という言葉は、ある種の呪詛となり、強い閉塞感を生み出してきた。その言葉は、システムへの依存であり、“当たり前”への依存だった。


 THE NOVEMBERSというバンドがいる。3枚目のアルバム『To (melt into)』とシングル『(Two) into holy』と8月に二枚同時発売した。全曲の曲と詞を手掛ける小林祐介は、それを「震災を受けて作った作品」と明言した。僕はこのアルバムを聴いて、二つのメタファに気付いた。まず一つ目は「メリーゴーラウンド」という言葉。「降りられないメリーゴーラウンド」というイメージで、「システムへの依存」を表している。キラキラと輝く素敵な乗り物。でも、一度回り続けるとそれは決して止まらない。

 『MARQUEE』誌に掲載されたインタヴューで、彼と以下のような会話をした。

――アルバムの価値観についての話なんですけれども。震災後のショックや不安から、どういう気持ちが作品に向かっていったんでしょうか。

「人生で初めてすごくシリアスな気持ちになって。それがそのまま価値観として作品に出ている気がします。あと、すごくポジティヴに、よりよく、健康的に生きたいという気持ちでした」

――これは訊きたいんですけれども。怒りはありましたか?

「いや、怒りはないです。怒りって対象があるってことですよね。それはないかな」

――僕が思うには、作品に、わかりやすい怒りはないと思うんです。でも、メタファとして表現されているものがある。震災があったからどうこうではなく、その前からずっと変わらずあったものとしての、「何が息苦しくしているのか」ということの象徴を、きっちりと指し示していると思ったんです。固有名詞としてではなく、それを隠喩で表現している。僕の解釈だと、その言葉が「メリーゴーラウンド」。どうでしょう? これは大事な言葉ですよね。

「今仰った一連の話は、まさにその通りです」

――でしょ?(笑)

「新たな価値観が芽生えたというよりは、今まで呼び方とか触れ方がわからなかった気持ちにようやく名前がついたような気持ちというか。僕が思ってたのはこういうことだったんだっていう」

――“はじまりの教会”で〈降りられないメリーゴーラウンドを降りたい〉って歌ってますよね。このことをちゃんと言わないと、救いを歌っても上滑りするんですよ。

「おお、なるほど。上滑りするんですね」

――そういう音楽って、世の中に沢山出ているんです。無難な救いという。THE NOVEMBERSというバンドがこの作品で書いたものというのは、それとは違うと思うんです。単に健康的に、ポジティヴにというだけじゃなくて、「ここから降りる」という価値観の対象をちゃんと標的にしている。たとえば〈息がしにくいのは 水の中だけじゃない〉と歌うというのは、その存在を表現しているわけじゃないですか。

「はい。そうです」





シングルのほうに収録された“夢のあと”のPVにもメリーゴーラウンドは出てくる。そしてもう一つ、作品から受け取ったメタファが「ロイコトーム」だった。


――シングルとアルバムの両方に出てくる言葉に「ロイコトーム」というのがありますよね。

「あ、知ってますか?」

――これはすごく大事な言葉だと直感で思ったんで、調べました。ロボトミー手術に使うメスなんですね。

「そうなんです。これは『MISSTOPIA』の“dysphoria”という曲を書いた時に知った言葉で。あれは僕の中でロボトミー手術について書いた曲なんです。すごくないですか? ロボトミー手術って。あれが医学として成立しているような素振りを見せていたわけじゃないですか。だから、今の世の中で『科学的だ』って言われているような話も、何をもって信じていいのか、自分自身で選ばなきゃ危ないですよね。ロボトミー手術されてるようなもんですからね(笑)」

――だから「ロイコトーム」という言葉の使い方は、メタファの使い方として、すごく正しいんですよ。

「いやあ、そうですよね」

――この言葉は、ちゃんとこの作品を聴いた人は原発のことだってわかるんです。

「はい」

――ヒップホップのようなやり方はあるけれど、原発のことについて「原発」という言葉を使って歌うのは難しいんですよね。でも、メタファを使えば、現実にどう対処するかということを、おとぎ話の言葉を使って言い表すことができる。ファンタジーはそういう役割を持っているということを作ってる途中で気付いたんじゃないかと。

「そうです。そういうことは気付きましたね。そこまで意識してはなかったですけど」



 ロイコトームという言葉の持つ「脳に突き刺さったメス」としてのイメージを、僕は「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから」というシニシズムへのカウンターとしての表現として受け取った。当たり前のような顔をして人の幸せを阻害する「仕組み」は、それが現前している時こそ普遍的に見えるかもしれないけれど、後から振り返ったら一瞬で崩れてしまうような流動的なものでしかない。だからこそ、「よりよく生きたい」という願う時の「よりよく」という価値観自体を、誰かに与えられるものではなく、主体的に選んでいくことが必要だと思う。そして、人は誰しも、そうすることができる。

 ニュースを見て、滅入るようなことも多いけれど、基本的に僕がポジティブでいられるのは、言霊の持つ力を信じるおかげであると思っている。


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インタヴューをする時に僕が心がけていること

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ある方からTwitterで

突然ですが、柴さんは、インタビューをする際、表現者の方の、どんな思いを引き出そうと心がけていますか?例えば、ナタリーやパピルスでのインタビューの際を、教えていただけたら幸いです。最近、いいインタビューとは何なのか?を考えているのですが、色んなインタビューを読んでいて、やはり柴さんの原稿が、濃厚で、「おもしろい」と感じるのです。どこを目指すことで、そのような素晴らしいインタビューになるのか、知りたいのです。よろしくお願いします。



と訊かれた。

 そんなこと言われると素直にすごく嬉しくて、思わず舞い上がってしまったんだけれど、でも、同時に「うーん」と唸ってしまった。この質問にちゃんと答えるのは難しい。いいインタビューって何だろう。どうすればよくなるんだろう。

 そういえば、最近SPBSで「作家・ライター養成講座」なる講座で喋らせてもらう機会があって、そこでも同じようなことを訊かれた。「インタビューが上手くいくやり方を教えて下さい」的な。その時は正直に言っちゃったな。「やり方なんてありません」って。いや、正確に言うと「毎回頑張ってます」というのが近いかもしれない。インタビュー相手の一人一人考えていることが違うのは当たり前で、同じ人でも作品やタイミングによって話すべきことが異なるわけで、だから目指す先というのは、毎回毎回、違う。

 でも、いくつか、僕なりに心がけていることはある。当たり前のことかもしれないけれど、ちゃんと書いておこう。

 一つめは、「相槌をうつ」ということ。相手の投げたボールを、ちゃんと一回こちらのミットで受け止める。時には相手の言葉を繰り返す。場合によっては「それって、○○ということですよね」みたいに言い換えたりもする。気になった言い回しがあったら、その意図を尋ねる。いずれにしろ、相手の言ったことが届いていることを、ちゃんと示す。これがないと、会話が乾いてくる。就職の面接みたいになってくる、というか。

 二つめは、「準備をする」ということ。もちろん作品を聴きこんで解釈するし、資料とだいたいA4一枚くらいに訊きたいことを印刷した紙は手元に置いておく。手ぶらでいくことはほとんどない。

 と、書いてみたけど、やっぱり、あまりに当たり前すぎるなあ。加えて言うならば、作品について「これって、こういうことなんですよね」という納得を最初の方で互いに共有することができたらその先に踏み込んだ話のできるインタビューになる、ということかな。こちらの解釈とメタファが上手くハマったら、共有したその前提に乗っかることで、紋切り型ではない会話ができる。ただ、それは作品やその人の生き方をこちらがどう解釈したかの問題だから、メソッド化することは不可能なんだよなあ。

 僕が覚えているなかでは、ケミカル・ブラザーズの『ウィー・アー・ザ・ナイト』についてのインタビューをした時が、“上手くハマった”例として思い出深い。あのアルバムはそれまでの派手なブレイクビーツやハウスから、ミニマルで洗練されたエレクトロニック・ミュージックへと音楽性を変えてきた作品だった。そういう「必要な音色だけが的確に配置されている」感覚を伝えたくて、「このアルバムは“禅”の感覚に通ずるものがありますね」と言って、竜安寺の石庭の話をした。「確かにそうかも!」ってずいぶん盛り上がって、次に会った時には「ああ、“禅”の話をしたライターだったよね。本国のプレスにもそうやってアルバムの説明をしたよ」と声をかけてくれた。あれは嬉しかったな。

 質問の答えになってるかどうかわからないけど、今僕が思うのは、こういうことです。


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(2009/07/01)
ケミカル・ブラザーズ、ウィリー・メィソン 他

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