日々の音色とことば:

移転しました。新URLはhttp://shiba710.hateblo.jp/です。ここは更新されませんがアーカイブを置いておきます
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10-FEET“シガードッグ”と「ギャグの形見分け」

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備忘録のようだけれど、気付いたことを後で思い出せるように、きちんとここに書いておこう。

今年の夏、RUSH BALLで観た10-FEETのライヴ。takumaは、ニューアルバム『thread』に収録された“シガードッグ”を披露する前に、こんな風に言っていた。

「先月37歳になりまして。この年になると、死んでいった奴も多くおる。大体思い出す時は、そいつのギャグとかを思い出すことが多いんやけど、そいつのギャグを他の仲間と遺産相続のように分け合って引き継いでいく。この思い出し方、結構オススメです」



もちろんそれは作り話でもなんでもなくて、この曲はその「死んでいった奴」に捧げられた曲なのだろうと思う。TAKUMA自身のブログに記述がある。

2011年1月7日に京都ウーピーズで開催された、「山田仁追悼ライブ~あなたの心に希望の光を2011 ~」についての記録。

山田仁君は持ちギャグをたくさんキープしていたらしく、死後その数々のギャグは居酒屋「ポン」にてまるで遺産相続権の分配会議の様に仲間達に分けられたと言う(笑)そのウチ有名なのがこの「パイパン!」と酒を口に含んで志村けん並みに「ダァ~」と速攻でこぼす技などがある。この2つはドクター長谷川が譲り受けた。



昨夜イベントを終えて朝帰宅して気絶して今日の午前中目が覚めたんやがえらい長い夢を観た。それは昨夜のイベント後にみんなで打ち上げをやる夢で、山田仁君も参加してた。その打ち上げの最中に僕が山田仁君の酒を口からこぼす「ダァ~!」っていうギャグをこっそりRIZEのkenkenに教え、それをkenkenが山田仁君やハヤチンやドクターの前で会話の最中にいきなり披露して一同大爆笑。ドクターは「凄い!なんで知ってんの!?」とお腹をかかえて笑ってた。山田仁君は「うわぁ~パクられた~wwwww」とちょっと嬉しそうに爆笑(笑)ハヤチンは「やるね~kenken(笑)」と写真を撮ってた。僕は自慢げに「俺が教えたんやで!俺が教えたんやで!」とドクターに自慢(笑)なんかめちゃくちゃ楽しい打ち上げの夢やった。。いい夢を観ると嬉しいけどちょっと寂しい。でも心は優しくなるからいい夢を観るのは好きだ。



http://www.10-feet.com/diary/(2011年1月)


“シガードッグ”は、そういうことについて歌った曲なのだろう。
山田仁の“心”という曲をTAKUMAがカヴァーした動画もYouTubeにアップされていた。

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「そんな場合じゃない」という時にこそ、音楽が鳴っていてほしい

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くるりのニューアルバム『坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)』を聴いている。とても素敵な音楽で、そして時代というものにとても誠実に向き合った表現で、本当はそのことについて書こうと思っていたんだけれど、今日は、取り急ぎ、別の話。


■中国の情勢と公演中止について



尖閣諸島の問題に端を発する中国の情勢の悪化を原因に、いくつかのアーティストの中国での公演が中止になっている。

ナタリー - KREVA、現地情勢を考慮し香港公演中止を発表
http://natalie.mu/music/news/76666

9月22日に開催予定だったKREVAの香港公演が中止となることがアナウンスされた。

今回の公演は9月20日の台湾公演とあわせ、アジアツアー「KREVA LIVE in ASIA」の一環として開催が予定されていたもの。しかし行政と現地主催者側の指導を受け、昨今の日中関係および香港の情勢を考慮した結果、観客の安全確保の観点から中止の決定に至ったという。KREVA側は時期を改めての香港公演実現に意欲を見せている。

なお20日の台湾公演は予定どおり行われる。



ナタリー - world's end girlfriend中国ツアー中止に伴い国内公演
http://natalie.mu/music/news/76677

9月29日から10月4日にかけて予定されていたworld's end girlfriendの中国ツアーが全てキャンセルとなった。このため、代替公演として10月5日に東京・WWWでワンマンライブ「We Couldn't Go」が行われることが急遽決定した。

北京、上海、武漢、広州で行われる予定だったwegの中国ツアー。しかし興行ビザが取得できず、また反日デモが拡大している現在の状況から大きなフェスへの出演は危険と中国サイドが判断したため、今回は全公演キャンセルとなった。



とても残念だけれど、こういう事態になっている。懸念されていた「九一八事変(柳条湖事件の中国側呼称)」の9月18日は過ぎたが、おそらくこの先もしばらく緊迫感のある日々が続くだろう。

ただ、あくまで排他的な熱狂と攻撃性の興奮に煽られているのは一部の人達なんじゃないかと思っている。日本でも(そして中国でも)、落ちついた冷静な態度を取ろうと心に決めている人は多いのではないだろうか。敵対心に噴き上がっているのはきっと一部の人達だと信じている。

以下の記事にこうある。

中国に対して理性的な態度を取るといっても、どう取ったらいいのか分からない人のために
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/09/post-6e06.html


戦争にならないように願いましょう。外交や、国民としての態度をもって、領土を譲る以外のあらゆる平和的、外交的手段が講じられるように、礼を失さず日本人として然るべき態度で中国人と接し続けることを誇りとしましょう。

 危機が去ってから、教訓を得て国民全体で議論しましょう。

 それまでは、これは有事であると弁えて、問題に対処する人たちの妨害とならぬよう、国民一人ひとりが考えて行動しましょう。



異論はない。ただ、言葉の重みは、ずしりと感じる。「戦争にならないように願いましょう」。「これは有事であると弁えて、国民一人ひとりが考えて行動しましょう」。

有事、か。僕はそんな時だからこそ、音楽のことを考える。

■戦争に反対する唯一の手段は



まだ居ないようだし、そんなことを言う人が誰も居ないことを願っているけれど、もし状況が悪化したら、きっと「こんな時に音楽なんか聴いてる場合じゃない」なんて言い出す人が出てくるだろう。音楽じゃなくても、お笑い、映画、マンガ、アニメ、いろんな類のエンタテインメントについても、きっとそうだ。

今はそんな場合じゃない。有事なんだから。

眉をひそめながら、都市生活者が自分の生活の中での楽しみや、息抜きや、よろこびや、そういうものを享受しようとすることを萎縮させようとする人が出てくるだろう。

何故僕がそう予測するかというと、震災の後に、やはりそういうことを言った人が居たから。名前は挙げない。でも僕はその時からずっと思っている。

きっと、そういう人は、戦争をしたくてたまらない人なのだろう。

小西康陽は、コラム集『ぼくは散歩と雑学が好きだった』に収録された「人が楽しく毎日の暮らしを営んでいるところ」というコラムで、以下のように書いている。僕がとても好きな一節だ。


ぼくが大人になって選んだ仕事は音楽で、他人に楽しみやよろこびを与える仕事だと信じているのですが、戦争などが起きるとまずいちばん先に切り落とされてしまう職業であることも覚悟しているつもりです。

「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」

これは吉田健一氏の言葉です。ルネッサンス、という思想をこれほどわかりやすく言葉にしたものが他にあるでしょうか。この言葉を懐に抱いた建築や建築家、政治や政治家、教育や教育者がいつかは現れるとぼくは信じています。

話が大きくなってしまったような気がしますが、ただ毎日を楽しく、という話です。そしてそういう暮らしを営む人が集まるところが美しい街だと思います。



同じコラムの中で、小西康陽さんは、こうも書いている。

世界中どこへ行ってもレコード屋さんと本屋さん、夜には美味しい食事とお酒があるレストランがあれば、そこは僕の好きな街、ということになります。

そう、ぼくは人間が人間としての生きるよろこびを享受できるところこそが都市だと考えているのです。



僕はこの小西康陽さんの考えに同意する。

たとえば格好いい音楽を聴いて胸を熱くしたり、美味しいものを食べたり、お酒を飲んだり、アイドルについて口角泡を飛ばして語り合ったり、本やマンガを読んだり、映画に没頭したり、芸人のトークに腹を抱えて笑ったり。

そういう「毎日の生活を楽しくしていくための沢山の些細なこと」こそが、社会の内圧が高まり「そんな場合じゃない」という気分が蔓延していく時にこそ、僕はとても大切なものだと思っている。僕にとって、その大きな一つが、音楽。

冒頭に書いたように、すでにいくつかの、音楽が鳴り響くべき機会が「まずいちばん先に切り落とされて」しまった。

だからこそ。



ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008
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小西 康陽

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2012年の「シーンの垣根を壊した5曲」(その3:ryo(supercell)feat.初音ミク“ODDS&ENDS”)

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2012年の「シーンの垣根を壊した5曲」(その1:米津玄師“vivi”/livetune feat. 初音ミク“Tell Your World”)
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-512.html

2012年の「シーンの垣根を壊した5曲」(その2:ナノウ”文学少年の憂鬱”)
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-515.html

の続きです。

■「状況」に対してのアンサーソング



前回の記事で

ナノウ=コヤマヒデカズ少年が10代半ばの頃に感じていた「これは自分の歌なんじゃないか」という、魂を揺さぶられるような共感の磁場を、今、ボーカロイドやインターネットミュージックシーン発の楽曲たちの一部が生み出しているんじゃないか――と、書いた。

今回は、じゃあそういう曲は一体どんな曲か?という話。まずは再び引用から。

「ニルヴァーナとかシロップ16gは、当時の自分にとって、自分がなかなか言えないことを、代わりに言ってくれるような存在だという気になっていたんです。これは自分の歌なんじゃないかって思ってた。人付き合いが苦手で、友達が少なくて、鬱屈した高校時代を送っていて。周りの人達が聴いてるようなJ-POPの曲には全然共感できなかった。でも、この人だけはわかってくれている。音楽を聴いて、そう思ってたんです。そういう音楽によって救われた気がした。そういう経験が多々あったんです」(ナノウ『UNSUNG』オフィシャルインタビューより)




「これは自分の歌なんじゃないか」と思わず感じてしまうような音楽。「この人だけはわかってくれている」、そう思わせてくれる音楽。それが、ボーカロイドのシーンから今、生まれているんじゃないか、と僕はなんとなく予感していた。それが確信に変わったのが、この曲を聴いた時。

ryo(supercell)feat.初音ミク“ODDS&ENDS”。




この記事のシリーズでは、“2012年の「シーンの垣根を壊した5曲」”と題して、ボーカロイドやインターネットミュージック発の楽曲を紹介してきた。その括りでとらえると、実はこの“ODDS&ENDS”は、ちょっと位相が違う。米津玄師『diolama』やナノウ『UNSUNG』が、ボカロP自らが歌い手となることでボカロ・カルチャーとバンド・カルチャーの壁を打ち破り、橋を渡すような作品になっているのと対照的に、この曲はボーカロイドであるからこそ、初音ミクが歌っているからこそ輝くタイプの曲になっている。そして、黎明期からボーカロイドのシーンを支えてきたオリジネーターの一人であるryo(supercell)が作ったからこそ、強い説得力を持つ曲だ。

この曲では、キャラクターである「初音ミク」の声で、こんな歌詞が歌われる。

きっと君の力になれる
だからあたしを歌わせてみて
そう君の 君だけの言葉でさ

綴って 連ねて
あたしがその思想(コトバ)を叫ぶから
描いて 理想を
その思いは誰にも 触れさせない



クリエイターとボーカロイドの関係性を歌ったこの曲。これは、前の記事で紹介したlivetune feat. 初音ミク“Tell Your World”(彼もシーンのオリジネーターの一人だ)へのアンサーソングになっている。ツールとしてのボーカロイドをきっかけに、クリエイター同士の才能が繋がり点と点が結ばれることを表現した「インターネット讃歌」の“Tell Your World”に対し、キャラクターとしての初音ミクの視点からの言葉が綴られている。ryo(supercell)自身もこう語っている。

ちょうどこの曲を作るタイミングで、livetuneのkzさんが久しぶりに新曲を切るっていうので、聴いてみたらその曲がすごく良かったんです。それを聴いてて昔の雰囲気を思い出したんですね。

自分としてもボカロPでデビューさせていただいてから結構経ちましたし。5年も経てば、さすがにいろいろ言えることもあるんですよ(笑)。例えば昔はこういう「私は存在しないけど、みんなの歌姫だよ」みたいな悲哀を歌うボーカロイドの曲はすごく多かったですよね。だけど自分はその頃、こういう曲は作らなかったし作れなかったんですよ。それもやっぱり、時間が経ったからできるんでしょうね。



ナタリー - [Power Push] スプリットシングル「ODDS & ENDS」ryo&じん(自然の敵P)インタビュー
http://natalie.mu/music/pp/ryo_jin


そして、この曲は、数多くのボカロPがメジャーデビューを果たし、歌い手として活躍したり、女性ヴォーカリストを迎えて楽曲を発表するようになった今の状況に対してのアンサーソングにもなっている。

いつからか君は人気者だ
たくさんの人にもてはやされ
あたしも鼻が高い
でもいつからか君は変わった
冷たくなって だけど寂しそうだった

もう 機械の声なんてたくさんだ
僕は僕自身なんだよって
つい君は抑えきれなくなって

あたしを嫌った
君の後ろで誰かが言う
「虎の威を狩る狐のくせに」
って君は
一人で 泣いてたんだね

聴こえる? この声
あたしがその言葉を
掻き消すから
解ってる 本当は
君が誰より優しいってことを



メジャーデビューを果たし、傍目には華々しい成功を収めているように見える数々のボカロP。一見、状況を謳歌しているようにも見える。しかし、だからこそ彼らが抱えている葛藤や悩みにも踏み込んだ楽曲になっている。初音ミクの登場当初にも“みっくみくにしてあげる”など自己言及の曲は人気を博していたが、確かにこの曲は2012年の状況を経たことでリアリティが生まれるものだろう。上記のインタヴューでも、彼はこう語っている。

最近、ニコ動でボーカロイドを使っていた人たちがどんどんCDデビューしたりして、すごく人気になってるんですよね。昨日も「ボカロP音楽界を席巻」みたいな新聞記事がありましたし(笑)。ただそうやって世に出ていった人たちは、一方で「ボカロを踏み台にしてメジャーになった」みたいなことも言われるんですよ。でも実際そんなドライな気持ちを持ってボカロに関わったりはしてないんですけどね。みんな、ちゃんと音楽が好きで、ボカロが好きで、キャラクターが好きで、真剣なんです。だけどそれをうまく口で説明できなかったりして、説明不足によってファンと齟齬が起きることもある。そうやってメジャーになった人たちでも、それに悩んでしまったり、葛藤することもあるんです。そういうことを曲にしようと思ったんです。



■1992年の“CREEP”と2012年の“ODDS & ENDS”



この曲が公開されてから、YouTubeやニコニコ動画のコメントには、沢山の人達からの「泣いた」という書き込みが並んでいる。日本だけでなく、海外からも同じような反響が集まっている。

海外もみっくみく: 「初音ミク:ODDS & ENDS」への海外の反応
http://afiguchi.seesaa.net/article/289331176.html


【世界をつなげる声】初音ミクの新曲『ODDS&ENDS』が最高すぎて世界中のファンが大感動!! ロシア人「ミクは魂を持っている」
http://rocketnews24.com/2012/08/17/241343/


【動画に寄せられていた日本ユーザーのコメント】
「泣いた。感動した。もう手が震えててあまりコメントも打てないくらい感動した」

「ミクは世界を繋げてくれる。僕も頑張ります」

「感動した。生まれて初めて曲を聴いて泣きました。こんなに感動させてくれた曲に出会えて、本当に『生まれてきて良かった』と思った」

「一般人が見たら 『こんなのただの映像じゃん(笑)』 ってなるけど、私達がその映像に叫び、コールを送ることでミクさんはそこにいる!ってなる。何が言いたいかって? ミクさんは私たちの『好き』が詰まって、汗と涙、いろんなものの結晶つまり天使なんだよ!」

【動画に寄せられていた海外ユーザーのコメント】

「オーマイガー、自分泣いてる。これは本当に素晴らしい」(アメリカ)

「ロボットが宙に浮くシーンは、僕たちがボーカロイドのハートであり、そしてこの革命の一部であることを示しているんだと思う」(シンガポール)


(上記記事より抜粋)


何故、国境を超え、これだけ沢山の人たちが涙を流しているのか。それはきっと、最初に書いた「これは自分の歌なんじゃないか」という、魂を揺さぶられるような共感の磁場を、この曲が作り上げているからだと僕は思う。

そういう磁場を作り上げた曲を、僕は一つ知っている。およそ20年前のこと。

レディオヘッドの“CREEP”が、シングルとしてリリースされたのは1992年のことだ。まだデビューしたばかり、まったくの無名のロックバンドだった彼らは、まず本国イギリスよりも先にアメリカで火がついた。当時の映像が、YouTubeにある。



(トム・ヨーク、若い……)

この曲が予想以上のヒットを収めたことがバンドにとっては重荷となり、その後『OKコンピューター』『キッドA』から『イン・レインボウズ』へ、レディオヘッドは独自の思索と音楽性をどんどん深めていくことになるわけだけれど、それはここでは別の話。“CREEP”が、何故90年代初頭のアメリカのティーンの心を射抜いたか。それは、やはりそこに「あらかじめ疎外された者たち」の自意識が鮮やかに描かれていたからだ、と思う。

When you were here before
Couldn't look you in the eye
You're just like an angel
Your skin makes me cry
You float like a feather
In a beautiful world
I wish I was special
You're so fucking special

But I'm a creep
I'm a weirdo
What the hell am I doing here
I don't belong here

君がここにいた時
君の目を見つめるなんて出来なかった
君はまるで天使のようで
その肌に触れるだけで涙が出るくらい
君は羽のように舞っているのさ
美しい世界で
僕もそんな風に特別になりたいんだ
君はほんとうに特別な存在なんだ

だけど僕はつまらない奴なんだ
君とは違うおかしな野郎なんだ
こんなところで一体何をしてるんだろう
ここは僕の居場所じゃないのに




これが、レディオヘッド”CREEP”の歌詞。

そして、20年後の日本。“ODDS & ENDS”の歌詞が、以下だ。

いつもどおり君は嫌われ者だ
なんにもせずとも遠ざけられて
努力をしてみるけど
その理由なんて「なんとなく?」で
君は途方に暮れて悲しんでた

ならあたしの声を使えばいいよ
人によって理解不能で
なんて耳障り、ひどい声だって
言われるけど

きっと君の力になれる
だからあたしを歌わせてみて
そう君の 君だけの言葉でさ



もちろん、時代も国もカルチャーも違う。二つの曲を単純に並べてしまうことに違和感を持つ人もいるかもしれない。でも、「思わず泣いてしまった」とか「なんでだか涙が止まらない」みたいなコメントが国境を超えて集まっている状況を前にすると、僕にはまるで、二つの曲が時代を超えて呼応しあっているように思える。

「You're just like an angel」と「ミクさんマジ天使」、みたいなね。

そう考えると、この二つの曲のタイトルの意味も、とても示唆的だ。

“CREEP”は「蛆虫」。“ODDS & ENDS”は「ガラクタ、半端者」。


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ウィキペディアにのってないロックヒストリー 書評『ダンス・ドラッグ・ロックンロール』【追記あり】

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久保憲司さん著、鈴木喜之さん監修の一冊。出版社より献本いただきました。ありがとうございます。

まずは目次から。

第1章:ストーン・ローゼズ/プライマル・スクリーム/オアシス

ストーン・ローゼズは何がスゴかったのか?
エクスタシーというドラッグ
ローゼズが初期のプライマルから受け継いだもの
オアシスが成し遂げたこと

第2章:パンクの終焉からセカンド・サマー・オブ・ラヴまでを繋ぐ者たち

ロック暗黒時代と言われた80年代中盤
『C86』の悲喜劇/ジーザス&メリー・チェインが起こした“暴動"の真実
新たな才能と先代からの恩恵の賜物『C81』
時代を代弁しながらも異端であり続けたザ・スミス
マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ケヴィン・シールズの狂気

第3章:グランジの深層

ニルヴァーナとUK
グランジ夜明け前
グランジの中のパンクとハード・ロック
レディング92の目撃者
カートの思い出
グランジあれこれ

第4章:エレクトロニック・ダンス・ミュージック史概略

UKエレクトロニック・ミュージック黎明期
舞台はアメリカ中西部へ
US←→UK←→ベルギー、そしてジュリアナ東京
ロックをもってロックを制したビッグ・ビート
テクノあれこれと、その頃のオリジナル・パンク世代
ダンス・ミュージックのピークと終焉

補章:僕から見たヒップホップの歴史

エピローグ:ロックンロールの未来



この本は、一言でいうなら80年代から90年代のアメリカやイギリスのロックヒストリーの「現場からの証言」からなる一冊。クボケンさんは80年代にロンドンでカメラマンとしてのキャリアをスタートさせた人で、当時から『NME』など現地の音楽誌で活動していた人で、なので、一つ一つのエピソードが生々しい。

ジーザス&メリー・チェインの暴動の現場にはいたし、ストーン・ローゼズのスパイク・アイランドにもいた。1988年のイビザにもいた。オアシスが初めてグラストンベリーで大合唱になった時も、レディング・フェスティバルのニルヴァーナも、僕は本当にあの場にいたのだ。

それを繋ぎ合わせて、“みんなが知っている”ロック史を書いてみたいとずっと思っていた。(まえがきより)




題名にも、帯にもドラッグのことは取り沙汰されているけれど、別にそれをテーマにした本というわけではない。というか、その現場にいたら、普通にあったんだろうね、というくらいの話。むしろ、面白いのはクボケンさんの「ほんと、それ?」と思ってしまうようなエピソードの数々。


クリエイションのオフィスでボビーに初めて会ったとき、彼が何か歌っていて、それティアドロップ・エクスプローズの「タイニー・チルドレン」でしょ? って言ったら、ボビーがそうだよって喜んで、微笑んでくれたのが第一印象



あるときケヴィンがツアー・バスの中で、むっちゃ僕に話しかけてきたことがあった。いきなり「クレジットカードの会社に増額を頼んでたのに、やつら何もしてくれなかった! だから、俺は日本に来てエフェクターを買いまくろうと思ってたのに、買えないんだ!」って訴えてきて。(中略)。結局「そうなん?」としか答えなかった。あの時に僕が投資してあげたら、その後のマイブラの歴史は変わっていたかもね(笑)。



僕が着ていたモヘアのセーターを、カートに「それカッコいいね、ちょうだい」って言われて。まあ向こうだと、ライヴ後のTシャツ交換とか普通にあるんで、お返しに彼からは少年ナイフのTシャツを貰った。だけど本当に汚くって、それでも捨てるに捨てられないし、結局ソニー・マガジンズが発行していた『ポップギア』という雑誌の読者プレゼントとして提供しちゃった。



マジかよ。思わずそう思ってしまうロックスターたちとの距離の近さ。ボビー・ギレスピーも、ケヴィン・シールズも、カート・コバーンも、クボケンさんの目と語り口調を通すと、みんな「気がよくてちょっとネジが外れた兄ちゃん」に見えてくるから不思議だ。文章だけだと半信半疑に思えてしまうようなことも、ところどころに挟まれる写真のリアリティが、その説得力を増している。特にカートとコートニーのツーショットの写真は、すごく美しい1枚になっている。

ただ、その一方で、思いっきりハズしたことをそのまま隠さず書いてたりもするのも、この本の面白さ。

その時イギリスでプッシュされてたのは、スウェードとアドラブルとオアシスで、僕はアドラブルがいちばん売れるだろう、逆にオアシスは絶対売れないだろうと思って、ライヴに呼ばれても行くのを断ったりとかしていた。(略)超満員のクアトロでやったオアシスの初来日公演は、もはや伝説になっている。じつは正直に言うと、僕はその時もまだあまりピンと来てなくて、このバンドはスゴいって初めて実感できたのは、1994年のグラストンベリーで観客が大合唱してる光景を見た時だった。



……遅い! 遅いよ!っていう。(笑)

渋谷の「Li-Po」というお店で行われた「クボケン’s Rock Bar」というトーク・イベントの内容をまとめたのが本書。そんなわけで、基本的にはロックオヤジの昔語りって感じで話は進んでいくのだけれど、決して「エラそう」じゃないというのが、この本の面白さかな、と思います。クボケンさんの関西人らしい愛嬌たっぷりの語り口と自由な発想力、ロックヒストリーの文脈にそってそれをきっちりとまとめる鈴木喜之さんのシュアな筆力が、うまい具合にミックスされている本だと思います。

昨今では何かと、やれデータの細かい部分が間違ってると揚げ足をとられたり、極端な意見はいさめられがちだったりするような状況で、そのせいか、なんとなく防御的で杓子定規な文章ばかりが既存の音楽メディアを覆っているように感じるのですが、そんな中、一味違うものを世に問うことができたのではないでしょうか。(鈴木喜之さんの「あとがき」より)



まさに「ウィキペディアには乗ってないロックヒストリー」。眉唾上等!みたいな一冊です。


あと、一つだけ僕から追加したいところが。本書の最後で

たいして根拠のないような話だから、今のところはなんとも言えないんだけど、イギリスでは6とか7の年に何か新しいことが起きると言われていて……1977年のパンク、1986年のセカンド・サマー・オブ・ラヴ、1997年のドラムンベース、2007年は今から考えるとダブステップ……かな? だんだんショボくなってるような気もしなくはないけど、2016〜7年には何かあるかもしれない。



ってあるんだけど、これは僕としては違う見立てを挟みたいところ。ダブステップも確かにあのあたりだけど、もはや音楽のムーヴメントとかアートフォームで語れないのが00年代のシーンなんじゃないんじゃないかな?と、個人的には思っている。この直前まで00年代の音楽シーンの変化をインターネットの潮流と絡めて語っていた章があるんだけれど、そこはやっぱり、80年代や90年代の生々しさに比べてずいぶん駆け足の距離感ですまされているなあ、という印象がある。特に語りから漏れているものがあって、それがYouTube。

こないだアニマル・コレクティヴに取材したんだけれど、様々なインターネット・サービスの中でも、00年代の音楽シーンに最大の影響を与えたのはYouTubeだって、エイヴィ―もジオロジストも声を揃えて言っていた。

ローリングストーン日本版WEB限定インタヴュー|アニマル・コレクティヴ
http://www.rollingstonejapan.com/music/animal-collective/


——ご自身としてはこの10年の音楽シーンをどう見ていますか。

エイヴィー・テア「どう言えばいいのか難しいな。人によって見方は違うだろうし。僕は90年代に育って、90年代終わりくらいから自分で音楽を作るようになって、2000年代を経て今の場所にいるわけだけど、振り返った時に、例えば今大衆に支持されている音楽でも、もし90年代に出ていたらここまで認知されなかったんじゃないかって思うんだ。やっぱりインターネットの存在は大きいよ。当時と比べて信じられないくらい幅広い音楽へのアクセスが今はある。だから、何が支持されるかは単純に人々が何を聴くかを選んだ結果で決まる。90年代はそうじゃなかったと思う。もっと不揃いだったような気がする。だから、そこに大きな変革を感じるね」

ジオロジスト「インターネットのせいで、実際よりも話題になっているように見えることもあるけどね」

エイヴィー・テア「でも、やっぱり2000年代の一番大きな変化は、聴きたいものへのアクセスがずっと容易になったことだと思う。90年代は、パンク・ミュージックやアンダーグラウンド・ミュージック、実験的な音楽は今よりもずっと少ないオーディエンスにしか届かなかった。それがインターネットのおかげでより幅広い人にも浸透するようになった。2000年から2010年代にかけての若者は、かつて入手困難な音源とされていたニッチな音楽もネットで検索すればすぐに聴くことができる。それがより多くの若者や多くの人たちに、既成概念に捕われない自由な音楽を作る刺激になった。それが、この10年で特筆すべきことだと思う」

——インターネットにここ10年で生まれたサービスで言うと、myspace やYouTube、twitter、facebookなどいろいろありますが、どれが一番大きな影響を音楽に与えたと思いますか?

エイヴィー・テア「僕たちにとってはYouTubeじゃないかな。ぶっ飛んだニッチな音楽が発掘できるってだけじゃなくて、音楽的な部分以外でも刺激を受けるものがたくさんある。今回のアルバムは変なラジオ番組やCM、古いジングルみたいなのにもインスピレーションを受けたしね」

ジオロジスト「去年うちのツアー・マネージャーが『もしかしたらYouTubeは今の時代におけるレコード店なんじゃないか』って言ってて、なるほどって思ったな。動画を見てるっていうよりも、アルバムのジャケットを眺めながら音楽を聴いてる感覚なんだよね。レコード屋の試聴で、気に入ったジャケットのアルバムを片っ端から聴きまくったのと同じ感覚で、今はYouTubeが新しい音楽と出会う場所になっているんだ」



カルチャーの20年周期説というのがある。それは、1967年にヒッピー・ムーヴメントの「サマー・オブ・ラヴ」があり、そしてその再来として1986年のダンス・ムーヴメント「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」があったという見立てだ。

これは単なる思いつきなんだけど、ひょっとしたら、1967年、1986年に続いて、誰も言ってなかったんだけど、2005年に実は「サード・サマー・オブ・ラヴ」が起こっていたんじゃないか?というのが、僕の見立てだ。もちろん、それはYouTubeのスタートを指す。ヘイトアシュベリーでもイビザ島でもなく、世界中のコンピューターの画面上でそれは起こっていた。ネットワークを通して、今までになかった形の音楽の自由が生まれていた。そして、前にも書いたことだけれど、2007年には、USTREAMとSoundcloudが生まれている。その一連の変革が「6とか7の年に起こる何か新しいこと」だったんじゃないか、という。

まあ、これも眉唾の話のひとつだけどね。

【追記】

久保憲司さん、鈴木喜之さんから反応いただきました。僕が上で書いていた話、本には載っていないけれど実はイベントや別の場所ではしていた、とのことでした。













2017年に何が起こるか。正直、まだ想像もつきません!(笑)。


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2012年の「シーンの垣根を壊した5曲」(その2:ナノウ”文学少年の憂鬱”)

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■2010年末〜2011年春に生まれていた萌芽



前回の記事

2012年の「シーンの垣根を壊した5曲」(その1)
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-512.html


では、米津玄師“vivi”と、livetune feat. 初音ミク“Tell Your World”を取り上げた。そこで書ききれなかったことなんだけれど、米津玄師=ハチは「balloom」(バルーム)という「インターネット発アーティストによるインディペンデントレーベル」に所属している。その設立は2011年3月5日。レーベルのサイトに掲げられたヴィジョンを見ると、すでに2011年の春の時点で、前回の記事に書いたような「島宇宙を繋ごうとする意志」があったのだということがわかる。

引用します。

“日本の音楽シーンは終わった”
“**年のシーンが一番熱かった”

本当にそうでしょうか。
私たちは知っています。この広大なネットの中に熱い情熱を持った音楽がたくさん埋もれていることを。
音楽シーンが熱くないと言われている今でさえ、私達は音楽が大好きで仕方が無いんです。

でも、もしかしたら、その熱い情熱を持った音たちはネットの世界が広すぎて
気づくことさえ、知ることさえ難しいのかもしれません。

私たちballoomレーベルは、そんなアーティストを皆さんに気づいてもらえる、知ってもらえる橋渡しができたら、そう思って生まれました。

2011年のシーン“から”が一番熱い。そう思ってもらえるように。


http://balloom.net/about.html

前回の記事でも書いたけれど、2012年に突然シーンの垣根が壊れたわけじゃない。それはここ数年ずっと脈打っていたマグマのような胎動が、ようやく洗練された表現として花開き、広く知られるようになったということだった。

そういえば、僕もちょうど「balloom」レーベルが立ち上がった同時期にそんな記事を書いていた記憶がある。その時に僕が取材して書いていた記事が、これ。

【FLEET】──現役プロミュージシャンが「初音ミク」に見出した音楽の未来とは?
http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2011/03/post_2105/
(全文を読むには会員登録が必要です)

このリード文にある「初音ミク文化論」というtogetterまとめが以下。
http://togetter.com/li/70435

2010年の秋には、バンドシーンとボーカロイドやインターネットミュージックシーンの壁を壊そうという萌芽が生まれていた、ということが上記のまとめからは見て取れる。つまりは、それが音楽シーンにとっての「10年代」の始まりだった。しかし、当時はむしろバンドシーン側の生理的な違和感や拒否反応の方が強かったという。

上記記事からの引用。

――“Cipher”という曲を作った背景には、バンドシーンとボカロのシーンの間にある壁を壊したいという意志があったわけですよね。そういう問題意識を持ったきっかけは?

「僕がボカロを面白いと思っていても、それを理解してくれない周りのバンドマンが多かったんです。話題を共有している少数を除いて、眼中にない人が多い。『ネタで言ってんの?』とか、バカにする反応もあった。ボカロ楽曲の作り手がバンドシーンのことを知っているのと対照的に、バンド側はなかなかボカロのカルチャーに繋がろうとしないんです。その二つのどっちのあり方が望ましいかと考えたら、他の世界を知った上で、自分が何をやるかを選択するほうが望ましいと思うんです。そうすれば“◯◯なんてくだらない”という不要な対立が生まれない。今の社会、価値観は多様化してるわけじゃないですか」

――価値観が島宇宙化しているということですよね。

「そう。“全員が好きなもの”をもう一回作り上げようと思っても、それは無理。だから“それぞれが好きなもの”が平和な状態で共存するほうが望ましいと思うんです。他を否定しないあり方で、いろいろな文化がゆるくつながってる状態が、僕は世の中全体としても望ましいと思う」



「balloom」レーベルの立ち上げも、この記事が公開されたのも、2011年3月のこと。ほぼ同時期に行われている。つまり、ボーカロイドとバンドシーンの間で島宇宙化した価値観をつなげ、垣根を壊そうとする動きの萌芽が2010年末から2011年初頭にかけて起こっていたというのが、00年代以降の日本のポップカルチャー史に対する僕の見立てだ。

■バンドマンとボカロPの二つのペルソナ



前置きが長くなりました。で、ここから2012年の話題。

すでに状況は変わった。前回の記事に書いたように、米津玄師の登場がシーンを大きく変えた。そういう状況の中、同じballoomレーベルに属するナノウがリリースした『UNSUNG』は、まさに「シーンの垣根を壊す」意志を、もう一つのやり方で形にしたアルバムになっている。

スリーピースのロックバンド「Lyu:Lyu(リュリュ)」のギター&ボーカル「コヤマヒデカズ」として、同時にボカロP「ナノウ」として、二つのペルソナを持ちながら活動してきた彼。ただ、このアルバムではそのどちらの表現方法もとっていない。無人のコンサートホールで、アコースティックギター1本の弾き語りによってレコーディングされたアルバムになっている。そして、自身の曲とカバー曲を交えた選曲なのだが、そのラインナップが、非常に戦略的なものになっている。まず、ロックカルチャー側からは

“遺書”(Cocco)
“creep”(RADIOHEAD)
“月に負け犬”(椎名林檎)
“Rape me(NIRVANA)”
“Just the way I'm feeling”(FEEDER)

そして、ボカロカルチャー側からは、

“From Y to Y”(ジミーサムP)
“いろは唄”(銀サク)
“神様はエレキ守銭奴”(家の裏でマンボウが死んでるP)
“死にたがり”(梨本うい)
“コノハの世界事情” (じん(自然の敵P))



しかも、曲順も、双方が交互に現れるような並べ方になっている。本人も、違うカルチャーの中で育ってきた楽曲を「同じ土俵に乗せる」ということに非常に意識的だ。そのためにとられた手法としての、アコギ弾き語りだったりするわけだ。今回、リリースにあたってプレスリリースに掲載するための取材を行ったのだが、その中で彼はこんな風に語っていた。

「このアルバムで自分が歌ったボカロ曲は、ニコ動内では知名度があってもネットから外ではまだまだ知られているわけではない曲だと思うんです。そこはまだ深い溝があると思う。でも、今回はアコギ一本と自分の歌という形でやることによって、ボカロの有名曲と、ロックの名曲やJ-POP、自分の曲、それの全部を対等な土俵に乗せかったんです。自分が歌うことによって、この曲はボカロだとか、この曲はバンドだとか、そういうバックボーンに関係なく、全部を対等に聴けるんじゃないかと思って。それで、いろんな畑からごちゃまぜにとってこようと思って選びました」

(オフィシャルインタヴューより)


ただし、投稿し始めた当初は彼にとってもボカロとバンドというのは全く別のものという意識があったようだ。2008年頃は、まだナノウではなく「ほえほえP」という投稿名を使っている。二つのペルソナは、あくまで切り離されたものだったという。その二つが繋がるきっかけになった一曲が、“文学少年の憂鬱”。2010年に、ユーザーからのフィードバックをきっかけに彼の内部で壊れた壁が、この『UNSUNG』というアウトプットの形に結実している。

「最初は、ボカロの曲をニコ動にUPするというのは、自分がそれまでやってきたバンド活動とは本質的に別のことだという意識が最初はありました。ボカロ曲が好きな人達には、自分がバンドでやってる音楽は理解されないだろうなって。だから、完全に切り離してました。やっぱり自分にとってはバンドの方が本気だったし、それが受け入れられるのかずっと不安だったから。でも、あるとき、勇気を持って言ってみたんです。それが“文学少年の憂鬱”という曲を投稿したあたりでした。あの曲自体、普段自分が作るような曲をそのまま作ったような意識で作ったもので。だから、最初は受け入れられないんだろうと思ってました。歌詞がシリアスすぎるし、暗いし」

「半信半疑だったんですけど、予想以上に受け入れてもらえた。そこから徐々に意識が変わっていきました。自分の曲を好きだと言ってくれていた人は、キャラ萌えな人たちではなかった。自分が音楽で何をやりたいか、根本的にどういうことを表現してくれるのか、それをわかってくれる人だと気付いていたんです。特にバンドをやっているのをニコ動で明かして、そこからライヴに足を運んでくれるようになってからは、変化が大きいですね。僕にとってはやっぱり、ライヴのステージで歌っている自分が本来の自分という意識がある。そこにリスナーが来てくれるようになって、自分のバンドの活動と、ボカロPのナノウとしての活動が絡まりはじめた。それが、去年の一年間でした」

(同)




■「14歳」がそこにいるということの意味



彼は自分が影響を受けたルーツとなる音楽について、こんな風にも言っている。

「ニルヴァーナとかシロップ16gは、当時の自分にとって、自分がなかなか言えないことを、代わりに言ってくれるような存在だという気になっていたんです。これは自分の歌なんじゃないかって思ってた。人付き合いが苦手で、友達が少なくて、鬱屈した高校時代を送っていて。周りの人達が聴いてるようなJ-POPの曲には全然共感できなかった。でも、この人だけはわかってくれている。音楽を聴いて、そう思ってたんです。そういう音楽によって救われた気がした。そういう経験が多々あったんです」



僕が思うのは、ナノウ=コヤマヒデカズ少年が10代半ばの頃にニルヴァーナやシロップ16gに対して感じていた「これは自分の歌なんじゃないか」という、魂を揺さぶられるような共感の磁場を、今、ボーカロイドやインターネットミュージックシーン発の楽曲たちの一部が生み出しているんじゃないか、ということ。もちろん、前回の記事で取り上げた米津玄師も、そのうちの一人だ。

いくつかの統計的調査から、ボーカロイドのユーザーのメイン層が中高生であることはすでに明らかになっている。

「女子中学生の54%はボーカロイドの曲が好き アスキー総研調べ」
http://ascii.jp/elem/000/000/703/703282/

ニコニコ動画のコメントの年齢分析したら中学生がほとんどだった件 - いろいろ作りたい
http://d.hatena.ne.jp/gen256/20111105/1320503106

そして、現場には、そのことを揶揄するような声もある。「中高生向けの曲」ばかりでつまらない、とか。(ボカロにおける「中高生向けの曲」は善か悪か - 覚え書きオブジイヤー/http://d.hatena.ne.jp/colorred/20120807/chuuni)。

でも、僕は、それを揶揄するような気持ちには全くなれない。そこに14歳がいるなら、そして音楽を軸にした真摯なコミュニケーションが発生しているのなら、そのことはとても素晴らしいことだと思っている。もちろん、ボカロを聴いてる中高生の全てが鬱屈を抱えているみたいなことを言うつもりは毛頭ない。でも、もしその中のたった一人でも、かつてのナノウ=コヤマヒデカズ少年のように「音楽によって救われた気がした」人がいるなら、なんというか、それはすごくいいことなんじゃないか、と思うんだよね。

(まだまだ続くよ)


UNSUNGUNSUNG
(2012/09/05)
ナノウ

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