日々の音色とことば:

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花澤香菜『claire』と「“渋谷系”を終わらせたのは誰か?」という話

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claire

■作り手の「本気」が伝わってくるということ



花澤香菜の1stアルバム『claire』が素晴らしい。


花澤香菜さんの透明感ある歌声とキラキラした存在感が真ん中の軸にあって、様々な方向からそれを全力で引き出す制作陣の意地のようなものが全14曲に形になっている。

楽曲サウンドのトーンは、ネオアコやソフトロックやモータウンに遡るようなお洒落なポップスとしてまとまっている。いわゆる“渋谷系”と言われる音楽ジャンルに顕著な曲調だ。

ナタリーのインタヴューにも、こんなキャッチコピーがついている。

ナタリー - [Power Push] 花澤香菜 1stフルアルバム「claire」特集
“渋谷系”ポップスを継承する傑作アルバム完成

ただし。こういうタイプの曲って、ヌルく作ろうと思えば全然作れるんだよね。過去の良質なポップソングへのオマージュを込めて、甘いメロディを書いて、可愛い女の子に歌わせて――。上手くできてるよな〜と思いつつ、そういう方法論的なものが目についてあんまり心に響かないタイプの楽曲は沢山ある。でも、花澤香菜さんのアルバムは、そういうものとは何か違った。

聴いてるとわかるんだけど、全ての曲に「絶対、いい曲作ってやる!」というクリエイターの気迫みたいなものが宿っていて、それが内側の熱量となってあらわれている。たとえば音色の選び方のとか、「お?」と思わせるコード進行の妙とか、そういう一つ一つの細かいところから、作り手の「本気」が伝わってくる。

プロデューサーを務めたROUND TABELの北川勝利さんは、雑誌『MARQUEE』に掲載された、沖井礼二さん、ミト(クラムボン)さんとの対談で、こんな風に語っている。

「今、この人たちが本気で曲書いてアレンジをやって、アルバムにブレなく曲が並んでたら、絶対色んな人に伝わるだろうなって」(北川)


たぶん、そういうことなのだと思う。そして、この言葉の意味を噛み締めるためには、「渋谷系がいつ終わったか――」という歴史を振り返る必要がある。


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■“渋谷系”が終わったのはいつか



“渋谷系”と呼ばれるムーヴメントが終わったのはいつか。もちろん人によって、その捉え方は違うだろう。しかし、僕にはとても印象的な「終わり」の風景が記憶に焼き付いている。

それは99年のこと。

カジヒデキのアルバム『the fireworks candy&puppydog store』を引っさげての全国ツアー、最終日の赤坂ブリッツでのことだ。

そこには、本当に、悲しくなるほど人がいなかった。後にも先にも、あんなにガラガラの赤坂ブリッツのフロアを見たことはない。確かその時のカジさんが何かの着ぐるみを身につけてステージに登場していて、そのはしゃぎっぷりが客席の寒さを際立たせていた。あの時、すでに“渋谷系”のブームは終わった後だった。あそこにあったのはバブルが弾けた後の焼け野原だった。

そして、前にもこのブログに書いたけれど、そこから振り返る数年前、95年の頃は、ちょうど“渋谷系”の爛熟期だった。

95年の“渋谷系”の話/その頃のぼくらといったら、いつもそんな調子だった - 日々の音色とことば:
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-524.html


小沢健二『LIFE』が94年で、「強い気持ち・強い愛」も「痛快ウキウキ通り」も95年。コーネリアス『69/96』も95年。ピチカート・ファイヴは、小西康陽と野宮真貴の二人体制になってから初のアルバム『オーヴァードーズ』を94年に、初のベストアルバムを95年にリリースしている。





LIFE69/96
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96年も、97年も、ムーヴメントの熱気はまだ続いていた。97年1月にリリースされたカジヒデキのファースト・ソロ・アルバム『ミニ・スカート』はオリコンチャート4位を記録している。そして、こうして時系列を追っていくと、一つの事実が浮かび上がる。

“渋谷系”が終わったのは、98年だった。


■“渋谷系”を終わらせたのは誰か



実は、エスカレーターレコーズの代表・仲 真史氏も同じことを言っている。

「カジ(ヒデキ)くんがソロ・デビューしたのが96年、NEIL&IRAIZAのアルバム『JOHNNY MARR?』を出したのが97年。で、その辺の俺らの知らないフォロワーが出てきた98年が、世間で言うところの渋谷系の終わりなんじゃないかってことで、“没10周年”にしたんだよね」


特集:“渋谷系没10周年”!? 〈エスカレーターレコーズ〉主宰者、仲 真史、語る - CDJournal.com
http://www.cdjournal.com/main/cdjpush/-/2000000368

これが2008年のインタヴュー。ただし、僕は“渋谷系”のムーヴメントは、ただ単に勢いを失って収束したのではなかったと思っている。仲 真史氏が言うところの“俺らの知らないフォロワー”がそれを終わらせたのではない、と思っている。それを裏付ける、いくつかの事実がある。

  • Cocco デビューアルバム「ブーゲンビリア」 1997年5月リリース

  • 椎名林檎 デビューシングル「幸福論」1998年5月リリース






ブーゲンビリア無罪モラトリアム




97年から98年にかけて登場した二人の女性シンガーは、日本の音楽シーンを一気に塗り替えた。

どちらも共通するのは、歌い手自身が歌詞を書き、曲を書くということ。なかでも、椎名林檎のキャッチコピーが象徴的だ。デビュー曲よりもむしろセカンドシングル「歌舞伎町の女王」で一世を風靡した彼女は、当初「新宿系自作自演屋」を名乗っていた。これはクリティカルに“渋谷系”を殺す言葉だった。

“渋谷系”を象徴する音楽のあり方は、それが「ポップアイコン」の音楽である、ということだ。たとえばピチカート・ファイヴにおける野宮真貴を考えるとわかりやすい。彼女の存在価値は、アイコンであること。曲と歌詞を書くのは小西康陽。「東京は夜の七時」と野宮真貴が歌うときに、彼女の内面性はそこに一切存在しない。いわば“お人形”に徹していること、楽曲や歌詞とシンガーの内面性が切り離されていることこそが、クールだった。

しかし、椎名林檎やCoccoは、自ら歌詞を書き、曲を書く。そこには女性ならではの内面性、いわゆる「情念」が息づいている。そういったシンガーソングライター的な“歌姫”がヒットして趨勢を作ったことで、いわゆるポップアイコンとしての歌い手は後景に追いやられた。

そして、もう一つの見逃せない潮流が、98年に生まれていた。

  • MISIA メジャーデビューシングル「つつみ込むように…」98年2月リリース

  • 宇多田ヒカル メジャーデビューシングル「Automatic/time will tell」 98年12月リリース





Mother Father Brother SisterFirst Love


MISIAの登場は、当時のリスナーにとっては衝撃だった。R&B〜ソウルを歌う実力派シンガー、つまり“ディーヴァ”がヒットチャートを塗り替えたのが98年だった。先行して登場したUA、後を追ったSugar Soul、bird、小柳ゆきと共に、R&Bディーヴァは一大ムーヴメントを築きあげる。彼女の登場も、“渋谷系”的な感性を後景に追いやるものだった。

そういった「情念系歌姫」と「R&Bディーヴァ」の二つの流れが生まれていた98年の日本のポップミュージックのシーンにおいて、年末に一つの決定打が登場する。それが宇多田ヒカル。彼女のデビューアルバム『First Love』がリリースされたのは99年3月。860万枚以上を売り上げたこのアルバムが巻き起こしたセンセーションの大きさは、今さら語らなくても伝わると思う。

“渋谷系”を殺したのは誰か? それはCoccoであり、椎名林檎であり、MISIAであり、宇多田ヒカルだった。

彼女たちの登場が、日本の音楽カルチャーを塗り替えたのだった。

■15年目のリベンジ



そのことを考えると、花澤香菜のアルバムの持つ、もう一つの意味が浮かび上がる。つまり、リベンジだ。

花澤香菜のアルバムに中心的に関わっている“渋谷系”クリエイターのデビュー時期を並べると、こうなる。


  • 北川勝利――ROUND TABLE 1998年、シングル「Feelin' Groovy」にてメジャーデビュー

  • 沖井礼二、矢野博康――cymbals 99年、シングル「午前8時の脱走計画」でメジャーデビュー

  • 中塚武――QYPTHONE 98年、1stアルバム 「QYPTHONE」発表

  • ミト――クラムボン 99年、シングル「はなれ ばなれ」でメジャーデビュー



全員が、98年以降。つまり“渋谷系”が終わった時代の後に自身のプロジェクトでメジャーデビューを果たした人たちだ。前述の仲 真史氏が言うところの“俺らの知らないフォロワー”たちなわけだ。

00年代初頭、当時の音楽雑誌の編集者だった僕は、当時のROUND TABLEやcymbalsを、どう見ていたか。正直に言ってしまうと、それは「時代に乗り遅れた」ものだった。それほどに、Coccoや椎名林檎やMISIAや宇多田ヒカルの登場は鮮烈で、99年の“渋谷系”的なセンスが立っていたのは「焼け野原」だったのだ。

なので、前述のナタリーの記事のキャッチコピーは、実は、半分正しくて、半分間違っている。

“渋谷系”ポップスを継承する傑作アルバム完成

とあるけれど、このアルバムは、”渋谷系”が時代の中心だった頃のクリエイターが再集結した作品ではない。むしろそれが“辺境”に追いやられた後に、それぞれのフィールドで「戦ってきた」人たちが集結したという意味合いがある。世代こそ上だけど、そこにはカジヒデキさんや宮川弾(ラヴ・タンバリンズ)さんも含まれる。

花澤香菜のアルバムは、「98年」に対するリベンジが結実したものだった。


だからこそ、これだけの気迫に満ちたものになっているのだと思う。

■「ポップアイコン」としての女性シンガーの復権



ただし、花澤香菜さんのアルバムは、単なる“不遇を舐めたポスト渋谷系の再集結作”ではない。

「同窓会ではない」と、ナタリーのインタヴューで北川勝利さんも語っている通り、そこには様々な世代、異なるフィールドのクリエイターが集っている。アニメのフィールドで職業作家として活躍してきた神前暁さん、meg rockさんも参加しているし、ボカロPとして名を上げた古川本舗さん、その古川本舗さんのアルバムに歌い手としても参加しているクリエイターacane_madderさんも名を連ねている。この人選について、北川勝利さんはこう語っている。

聴いてもらえれば、きっとブレてないことが伝わるんじゃないかな。



その“ブレのなさ”とは何か。世代もフィールドもジャンルも異なる人たちに共通するものとは何だったのか。それがたぶん、”渋谷系”という言葉や、「お洒落っぽい音楽」という表層的なイメージの奥底にある一つのセンス、美学のようなものなのだと思う。古川本舗さんは、自身の作品のインタヴューでこんなことを語っていた。

プロデューサーがコアな音楽要素をポップアイコンに乗せて出すという、そのバランスがすごく好きで。ああいうところに今でもやっぱり憧れも感じます。


ボーカロイドからリアルボーカルへ 古川本舗インタビュー -インタビュー:CINRA.NET
http://www.cinra.net/interview/2012/11/09/000000.php


数いるボカロPから、なぜ「古川本舗」が参加したのか。それは、この価値観を共有するクリエイターだったからだったと思う。花澤香菜の周囲に集まったクリエイターたちがやろうとしたのは、シンガーソングライター的な”内面性”に対しての”ポップアイコン”の復権だ。

時代は移り変わる。ひょっとしたら、このアルバムがその端緒になるかもしれない。そういうことを考えるとワクワクする。


claireclaire
(2013/02/20)
花澤香菜

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恍惚と暴力の間――MY BLOODY VALENTINE、2月10日新木場

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マイブラ看板

マイ・ブラッディ・バレンタインの来日公演に行ってきました。

僕が行ったのは、2月10日の新木場STUDIO COAST。東京の最終夜にあたる追加公演。

それはもう思い入れのあるアーティストだし、22年ぶりの単独来日だし、単純にめちゃめちゃ素晴らしいライヴだったし、終わった後にはいろんなことを思って感無量だったんだけど、結局最も拡散された感想ツイートはこちらでした。





これ、ほんとにいたからね。

最高だったなぁと思ってフロアを出て、バーカウンターでドリンク引き換えをしようと思って並んでたら、聞こえてきたのが件のカップルの女子の方が発した「なんなの? 歌とか全然聴こえなかったんだけど?」という不満気な感想だったのでした。たぶんその言葉を聞いた瞬間、ここ数年で一番、眉をしかめたと思う。自分ではわかんないけど、たぶん、マジで睨みつけてたと思います。ちなみにツイートでは書ききれなかったけど、男の方はいかにもナードっぽい感じの気弱そうな外国人で、女の子のほうはよくいる「外人狙い」っぽい感じのファッションをしたギャルでした。

別れてしまえ!!(←悪意)


まあ、それは置いといて、本当に最高のライヴだったのと、たぶんSNSだけでなんとなく情報を知ってる人は誤解を抱いていることもいくつかあると思うので、ここでレポ書きます。


■マイブラ=「轟音」ではない




開演前に耳栓が配られていたことも話題になっていた今回の来日公演。

マイブラ耳栓


僕のも含め、感想ツイートも結局最後のノイズの部分のところばかり拡散されたので、ひょっとしたら、終始耳が痛いほどの爆音が鳴り響いたライヴだったと思う人もいるかもしれない。「シューゲイザー=轟音」という一般的なイメージも、それに拍車をかけていると思う。でも、それは実は間違い。

爆音のノイズがマイブラの真骨頂なわけではなくて、それはあくまで一部。ラストに披露された「You Made Me Realise」の“ノイズビット”(もしくは“ホロコースト・パート”)と呼ばれる箇所だけが耳栓が必要なほどの強烈なノイズで、それ以外はとても耳に優しい音が鳴っている。たぶん、ただ単純に音量のデシベルが高いという意味での「うるさい音」なら、他にもっとそういうものを鳴らしているバンドはいると思う。

そうじゃなくて、いわば「恍惚」という概念をそのまま体現したような音を鳴らすことができるのがマイブラというバンドの特異性であり、ケヴィン・シールズという人の天才性だと僕は思っている。

『シューゲイザー・・ディスク・ガイド』という本を執筆した黒田隆憲(@otoan69)さんは、今回の来日公演の全部に密着しただけでなくマイブラを追いかけてオーストラリアにまで行った本物のダイハードなファンで、彼のツイッターのプロフィール欄に書いてある「My Bloody Valentineを液体にして体内摂取したいくらい好き」という言葉が、すごく象徴的だなあと思っているのです。だって、普通どんなに好きな音楽でも、そのバンドのファンでも「液体にして体内摂取したい」とは思わないでしょ? でも、マイブラの音を液体化して体内摂取したいという気持ち、どこかでわかる気がする。しかもトロトロに気持ちよさそう。


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今回も、基本的にはそういう音がずっと鳴っていたライヴだったのです。1曲目から14曲目までは。しかも背景には『ラブレス』のジャケ写を映像化したような、ゆらゆらと揺らめく映像がうごめいている。すごく気持ちいい。いいなあ、桃源郷だなあと思ってると、ラスト「You Made Me Realise」約20分のノイズ・ビットでぶっ飛ばされる。そういう体験だったのです。


■ほんわかした『ラヴレス』と前のめりな『イズント・エニシング』



で、今回のマイブラの来日で最も驚愕したのが、リズムの格好良さだった。やっぱり、ケヴィン・シールズとビリンダ・ブッチャーの二人に注目が集まりがちだし、基本的には彼らのライヴはそのツートップが鳴らすギターの音を“浴びる”という体験なのだけれど、それをがっしりと支えていたのがコルム・オコーサク(Dr)とデビー・グッギ(B)のリズム隊だった。特にコルムのドラムが、かなりの迫力を叩き出していた。

ちなみに、セットリストは以下の通り。これは今回の来日公演ではどこも同じだったよう。

01. I Only Said(ラヴレス)
02. When You Sleep(ラヴレス)
03. New You(m b v)
04. You Never Should(イズント・エニシング)
05. Honey Power(EP's 1988-1991)
06. Cigarette in Your Bed(EP's 1988-1991)
07. Come In Alone(ラヴレス)
08. Only Shallow(ラヴレス)
09. Thorn(EP's 1988-1991)
10. Nothing Much To Lose(イズント・エニシング)
11.To Hear Knows When(ラヴレス)
12. Slow(EP's 1988-1991)
13. Soon(ラヴレス)
14. Feed Me With Your Kiss(イズント・エニシング)
15. You Made Me Realise(EP's 1988-1991)

見ての通り、『イズント・エニシング』と『ラヴレス』という2枚のアルバムと『EP's 1988-1991』から満遍なくセレクトし、新曲「New You」を加えたセットリストになっている。

こういう流れで体感すると顕著なのだけれど、実は、名盤とされている『ラヴレス』は、彼らのキャリアの中ではわりと異端な音楽性を持っている。端的に言うと、すごくほんわかしてるのだ。「I Only Said」や「To Here Knows When」がわかりやすいけど、『ラヴレス』の音は、ギター以外は、ちょっと遅めのBPMでゆったりしたグルーヴと、上のほうでループするシンセ、ウィスパーボイスのヴォーカルで成り立っている。とても甘くて優しい音色が揃っている。

なので、南波志帆さんがインタヴューの中でマイブラについてこんな風に言っているのは、実はすごく正しい感覚だと思うのだ。

マイブラは最近リマスター盤が出た『ラヴレス』を「おやすみBGM」として聴いているんですよ。ボリュームを小さくして聴いていると、すごく気持ちよく眠れるんですよね


CINRA.NET - 南波志帆インタヴュー「今の自分だからこそ感じる10代の世代感」

http://store.cinra.net/static?content=interview-namba3

ちなみに、今回のセットリストで新曲として唯一披露された「new you」も、新作『m b v』の中では一番「ラヴレスっぽい曲」だった(新作については後日改めてレヴューします)。


で、逆にリズムが前のめりで荒々しくて刹那的なのが『イズント・エニシング』や『EP's 1988-1991』の曲群。ここで大活躍してたのがコルムだった。ここでコルムがドカドカとなぎ倒すようなリズムを叩きだし、デビーのベースがそれをドライヴさせたことで、ライヴならではのダイナミクスと迫力が生まれる。宇野維正さんがこんな風に感想ツイートしてたけど、これには完全同意。





■特別な「最後の20分」



というわけで、マイブラはひたすら完璧でした。嬉しかった。今回のアジア〜オーストラリアツアーの初日になったソウルのセットリストを見て「やり直しばっかりじゃん」と思った人もいるかもしれないけど、ミスとかやり直しのたぐいは、少なくとも僕が見た限りでは一切なし。韓国の人達には悪いけど、あれはウォームアップギグというか、リハスタ感覚だったんじゃないかな。

で、「爆音のノイズがマイブラの真骨頂なわけではない」とは最初に書いたけど、いろんなものをふっ飛ばして、やっぱり記憶に焼き付いたのは、「You Made Me Realise」のラスト20分だった。あればっかりは、じかに浴びた人じゃないと共有できない類の体験。音源には収録されてないし、探せばYouTubeとかにライヴ映像が上がってるのかもしれないけど、それを観たってしょうがないしね。




ツイートでも書いたけど、ほんと、凄まじかった。まさに爆風を浴び続けるような体験。

ケヴィンもビリンダもデビーもギターやベースを激しくストロークしている。コルムはずっとスネアを叩いている。でも、スピーカーから放たれるのは、音程感の一切ない、ひたすら押し寄せる地鳴りのような音の波のみ。しかもずっと同じ音が鳴ってるのではなく、それが少しずつ展開していく。ステージ背後の映像は、森の中を進む光景が繰り返される中でどんどん高速になり、ブレていき、なんだかわかんない抽象的な模様になっていく。ガラス窓が割れ、木々やビルがなぎ倒され、都市が壊滅していくさまを、そのまま音として「聴いている」ような感覚、というのかな。

で、ステージ上の4人が目を合わせて合図をするとノイズパートが突如終わり、メインのリフに戻って、あっけにとられる間もなく終了。気付いたら耳がキーンとしていて、それは一昼夜くらい続いてました。

マイブラ久々のライヴは、純度の高い恍惚と暴力をそのまま音にして、それをひたすら浴び続けるような90分でした。

最高だった。


AKB48峯岸みなみの話の追記

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そこにある「なんか」を言語化する



解析とってないのでわからないですが、先日の記事「AKB48峯岸みなみを坊主頭にさせたのは誰か」は、おそらく相当のアクセスを集めたようでした。いやあ、やっぱりこのイシューは「誰もが何か言いたいと思ってる」問題だったんだな、と再確認。

で、ここまで記事が拡散すると、ツイッターやソーシャルブックマークでいろんな意見が届いた。もちろん異論や反論もあった。でも「自分のモヤモヤとした気持ちが言語化されてスッキリした」というのが多かったのは、何よりありがたかった。

あの記事は、あの動画を見て直感的に「なんか気持ち悪い」と思った自分自身の「なんか」を、まずはちゃんと言語化しておこうと書いたもの。議論を巻き起こそうとか、問題提起しようというより、まずは、そういう意図があったものなのです。なので、書いた文章にこういう感想をもらうことは素直に嬉しかった。そして、いろんな人がいろんなことを思ったはずなので、それは勿論受け止めた。

いろんな記事にも、いくつか目を通しました。

宇多丸 コンバットREC 峯岸みなみ坊主謝罪事件 緊急討論 AKB48と恋愛
http://miyearnzz.sakura.ne.jp/archives/13698

伊集院光が語る AKB48峯岸みなみ坊主謝罪事件と秋元康のスゴさ
http://miyearnzz.sakura.ne.jp/archives/13731

ニコ生PLANETSライジング「AKB48白熱論争2」宇野常寛×小林よしのり×中森明夫×濱野智史
http://live.nicovideo.jp/watch/lv125176353

峯岸みなみの「丸刈り動画」についての対話 ★田口ランディ+橘川幸夫
http://ch.nicovideo.jp/metakit/blomaga

峯岸みなみは今後、わき毛を伸ばすべきだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/karatedou/20130201#p1

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 - あの動画についてやはり触れざるを得ない

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130207/243462/


なるほどなあ、と思います。そしてやはり、「何か言いたい」構造のイシューなんだな、と。

システムと熱量



記事の反応の中には、いくつか「柴は“アイドルやAKB48にも目配せしてますよ”みたいな素振りをしていながら、こういう問題があるとすぐに手の平を返しやがる」みたいなものもあった。それは違うんだよなあ、と思ったので、それについては書いておこう。

そういえば、このブログ内ではスタンスをあまり語っていなかったけれど、僕はAKB48に関して言えば、ガチなファンやオタではないとはいっても、アイドルブーム全体を含めて、決して否定的に捉えているわけではない。投票によって序列をコントロールすることができるというゲーム性、コミュニケーションを商品化したエンターテイメントシステムというのは、今後のポップカルチャーの定石の一つになっていくと思っている。で、AKBも含めて今のアイドルブームに全体にある、演じ手・受け手双方が持つ“全力”の熱量は、決して揶揄したり、否定するようなものではないと思っている。

とは言っても、やっぱりなんだかんだ言ってゲーム性より、システムより、僕自身は音楽そのものが持つ熱量に惹かれてるんだな、と思う気持ちも大きい。

なので、たとえばドラゴンアッシュのkjが昨年にAKB48について語っていることがあって。僕としては彼のスタンスにすごく共感するのだ。ロック側の人間が「あんなものくだらない」とか「オタク格好悪い」みたいなこと言いがちな中、彼はこんな風に言っている。

なんというか、俺、AKB48はマジですごいと思ってるのね。やったことのないことをやってるし、青春の全てを賭してあの子たちはやってるわけなんだから。



俺はAKBのファンの人たちも本当にすごいと思ってるんだ。周りからどう思われようが、働いた金でCDを何枚も買ってる人がいるわけじゃん。実は、その人達が一番俺に近いと思うんだよね。忌み嫌われてようが、それがクリエイティヴでなかろうが、格好悪かろうが、自分が応援したいから応援する。棒を振りたいから振る。あの願望みたいなエネルギーが、俺は音楽に対して、ある。AKBのライヴ中にさ、踊って、掛け声を上げて、汗かいてる人、傍から見たらすげえ滑稽じゃん? だから俺も同じように滑稽なんだと思うんだよね。でも、それでいい。人の目を気にせずエネルギッシュでいる部分では、あの人たちに俺は負けたくないと思う。



nexusインタヴュー | ドラゴンアッシュ
http://www.nexus-web.net/interview/dragonash/index4.php


いやー、いいこと言うな―って。

アイドルと自殺



あと、僕が強く思うのは、やっぱり、誰も死なないでほしい、ということなんですよ。

上の宇多丸さんとコンバットRECさんの対談でも触れられているけれど
http://miyearnzz.sakura.ne.jp/archives/13698
やっぱりある世代の人たちは、岡田有希子さんの自殺を想起するんだな、と思った。そうじゃなくても、髪を坊主頭にしたということに、自傷行為のような意味合いを感じてしまった人も多いようだった。「このまま行くと誰か死ぬぞ」みたいな意見も、ツイッターで見かけた。

きっと内部の人も「負荷をかけている」ということが十分にわかっているだろう。最悪の事態が起こってしまうことの危惧は感じているだろうと思う。対策は練っているんじゃないかと思うし、そうであってほしい。

女の子というのは、そもそも、思い詰める生き物だと思うのだ。野猿が解散したくらいで、投身自殺してしまうことだって、ありえた。「あんなことでバカバカしい」と冷笑するようなトーンであの事件を語るトーンは当時も今も見かけるけれど、もし自分があの子の親だったらと思うと、ほんとうにやりきれなくなる。AKB48を中心としたグループには、いわば、そういう年代の女子が数百人レベルで「衆目のなかで負荷をかけられながら、ひしめき合う」という、未曾有の事態があるわけで。

そう考えると、謝罪のあとに、同じグループの仲間や、ミッツ・マングローブなど年上の芸能人が彼女を支える姿勢をすぐに見せたのは、すごくいいことだなと思った。あと、大島麻衣とか芹那とか、AKB48グループを離れた人たちがタレントとしてあっけらかんと活躍してるのも、いいことなんじゃないかなって思う。でも、それだけじゃ足りないよね。少なくとも、メンタル的な面でのケア体制はきっちりと構築すべきだと思う。

ということで、ドキュメンタリー映画もまだ観てないし(観たら感想書きたくなるだろうし)、この後もこのテーマは続いていきそう。ちなみに「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」の今後の予定。

2月9日(土)シネマハスラー 「DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?」評論
2月16日(土) アイドルソング特集(Base Ball Bear小出祐介登場)
2月23日(土) 秋元康×宇多丸対談

うわー、面白そう。

なんですが、まあ、このへんの話は、追っていくとズブズブの沼に足を踏み入れてしまいそうなので、僕としてはこのへんで一歩引いておくことにします。


AKB48峯岸みなみを坊主頭にさせたのは誰か

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恋愛禁止という「校則」






AKB48の峯岸みなみが恋愛報道を機に坊主頭になって謝罪をした。もう昨日からいろんなところで言われていることだと思うけれど、この動画の持っている衝撃性はすさまじくて、目にした人の感情を(悪い意味で)揺さぶるものになっている。



ファンも、ファンじゃない人も、これには、さすがに多くの人が不快感を抱いたと思う。僕もそう。AKBも含め女性アイドル全般を「夢を実現させる少女たちの物語」として追っかけていた人にとっては「こんなものは見たくない」という気持ちがあっただろうし、遠巻きにブームを見ていた人はただ単にドン引きしただろうし。どちらにしろ、なにか胸がつかえるような気持ち悪さがあった。古くはシネイド・オコナーとか最近ではICONIQとか、坊主姿の美しい女性というのはいるので、ルックス自体の話じゃない(インパクトあるけど)。少しでもメディアリテラシーを持っている人ならば、この動画が反省の証として「公式チャンネルに」「高画質で」公開されたことの意味はわかるはずで、そこがやはり気持ち悪さの原因になっていた。

僕のツイッターのタイムラインを見ていても、場末の茶番だと皮肉っている人も含めて「何か言いたくてたまらない」人たちが沢山いた。おそらく胸をざわつかせる何かがあの動画にあるんだろうと思う。

ただ、「気持ち悪い」「不快だ」とだけツイッターでつぶやいて、「だからAKBはバカバカしい」とか「アイドルブームはもう終わりだ」とか切断処理して片付ける人も沢山いて、それはそれでいいんだけど、僕はそんなつもりにもなれなかったので、深夜にいろいろと考えた。で、僕にとって改めて印象的だった、考えを深めていく発端になったのは、動画の中でふと出てくる「秋元先生」という言葉だった。

AKB48は「学校」のメタファで動いている。

それは改めて僕が指摘することでもなく、普通に界隈で使われる用語を見ていればわかる。卒業、◯期生、研究生――。まあAKB48だけじゃなくてハロプロやスターダスト系もそうなのかもしれないけど、一方でジャニーズ系にそういう用語がないことを考えると、やはり女性アイドルグループ特有の文化なんだと思う。で、秋元康自身がAKB48を「学校」のメタファで捉えていることは、たとえば以下の対談の中でも語られている。




GQ JAPAN
「2013年、“推しメン”は彼女だ!──あっちゃんなきAKBの未来、10の予言」


そのメタファに乗っかってあの動画の意味合いを捉えると、あれは「校則を破ってしまったけれど退学にしないでください」という峯岸みなみの涙ながらの訴え、ということになる。で、研究生に降格という処分は「停学」にあたる。

「週刊誌に恋愛をスクープされた」というのは恋愛禁止というグループのローカルルール(=校則)を破ったことに過ぎないわけで、その“罪”と、20歳の女性が髪を剃り上げるという見た目のインパクトを含めた“罰”の、あまりに釣り合わないバランスが、まず感情をざわつかせている要因の一つなんだと思う。

AKB48と『桐島』がメディア空間を「学校化」した?



で、興味深いのは、沢山の人がこの動画を、桜宮高校の自殺事件を発端にした体育会系部活に存在する体罰やパワハラの問題とからめて語っていること。もちろんタイミングってのはあると思う。坊主頭ってまさに「部活」の文化だし。

桜宮高校の事件は大きくメディアを賑わせた。さらに女子柔道の日本代表における暴力行為の告発がそれに拍車をかけた。振り返ると、大津の高校生自殺を発端にしたいじめ問題へのクローズアップもあった。

でも、ずっと僕は不思議に思っていたのだ。なんで皆そんなに語りたがるんだろう?って。若くして自ら命を落とした人のことは本当に悼ましく思う。自殺なんてしなくてすむようになってほしい、暴力がなくなってほしいと心から願う。僕としては思うことはそれで終わりだったので、ツイッターでもたいして何かを言うわけでもなかった。

マスメディアではコメンテータや著名人が「ご意見番」として、いじめや体罰を語る。ソーシャルメディアにも同じ構造が頻出する。でも、いじめも体罰も、それを語っている人自身は当事者ではない場合がほとんどだ。もちろん、たとえば過去の経験に今もとらわれていたり、親としての心配を抱えていたり、問題が「他人事」ではなく「自分ごと」な人も多いのだとは思う。それでも、「ケースバイケースで粛々と対応していく」ことではなく、炎上しながらいろんな意見が紛糾するさまはマスメディア、ソーシャルメディアの双方に顕著に表れている。他にも語るべき社会問題は沢山あるのにそこにフォーカスが当たっている。社会が「学校化」し、メディア空間が「学級会化」しているのだ。

で、僕はそういう社会状況と、日本の今のカルチャー状況は相関関係にあると思っている。その象徴が2012年で言うならばAKB48と『桐島、部活やめるってよ』。『桐島〜』については他にも語るべきことは沢山あるけど、あの作品がヒットして一年を象徴する映画になったことは「“学校”の舞台装置で人間関係を、つまり社会のあり方を語る」ことの有効性を証明したということに他ならないと思うし。

AKB48のシステムとしての成功と君臨は、まわりまわって「メディア空間の学級会化」=「社会の学校化」をもたらした。そのことも、今回の騒動の遠因にはあるんじゃないか、とも思う。




こういうツイートもあった。なるほどね。

誰がそれを望んだのか





上のツイッターでの発言には心底同意。で、この「おめえら」をどう捉えるかで、その人なりの立ち位置と意見は変わってくると思う。単に運営側と捉えるか、ファンやアンチも含めてブームに加担した全ての人と捉えるか。僕は後者。

ライムスターの宇多丸さんがウィークエンドシャッフルの「シネマハスラー」で『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on. 少女たちは傷つきながら、夢を見る』を語っていたときに、中心的なテーマになっていたのは、やっぱり、AKB48やアイドルブームが持っている構造的な残酷さだった。「アイドル映画の金字塔」「日本型アイドル進化史のひとつの到達点」としながら、そもそもアイドルのファンであること自体がそのアイドルを追い詰めてしまうということの“業”を語っていた。

(追記・上のツイートのコンバットRECさんも宇多丸さんとの「放課後ポッドキャスト」で「おまえら」にファンが含まれることを語っていたと指摘がありました)。

「これ以上踏み込んでしまうとジャンルそのものが壊れてしまう、臨界点」

とあの作品について宇多丸さんは言っていたけれど、その臨界点の“先”で起こったのが、今回の騒動なんだと僕は捉えている。

コミックナタリー編集長の唐木元さんはこんな風に書いている。


アイドルが大衆の欲望を写し鏡のように反映したような存在だとするならば、「峯岸みなみを坊主頭にさせたのは誰か」という問いへの答えも、やはり「大衆の欲望」ということになる。「精神的に不安定になり、誰にも相談せず発作的に髪を刈った」というのは、それを過剰に内面化することが自罰的な行動につながったということを示している。円谷幸吉を殺したのは誰か?というのと、同じ類の問いだ。

ただ、「大衆」って言葉を使うと自分をそこからうまく切断できたつもりになっちゃうけど、そう簡単にもいかないよなとも、思う。

だって、やっぱり高校野球だって同じことなわけだしね。高校野球の「全力疾走」を称揚する美学と、アイドルの「全力」を称賛する価値観は、やはりどこかで通じ合っていると思うし。

夏になれば、坊主頭の若者が炎天下の甲子園という過酷な環境で肩を壊すまで投げ続けるのを、我々日本人はドラマとして楽しんできた。正月になれば、コタツに入りながら箱根駅伝を眺め、彼らが倒れ込みながらタスキを繋ぎ、脱水症状を起こして走れなくなったりするさまを、エンターテイメントとして消費してきた。

そこに設定されたゲームのルールのもとで、若者たちが期待を背負い、輝く一方で、ときに残酷なまでに壊れてしまう。それを「見世物」として求める無意識化の欲望が、大きな歪みとして現れたのが今回の騒動なんだと思う。

そう考えると、個人的にはいろいろ納得いく。

でもまあ、20歳の女性がその歪みの前に壊れてしまったさまで話題を作ったということ、そのことが引き起こす炎上さえシステムに取り込んで物語化できるという判断に対しての気持ち悪さの感覚は、やっぱりぬぐえないけどね。


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