日々の音色とことば:

移転しました。新URLはhttp://shiba710.hateblo.jp/です。ここは更新されませんがアーカイブを置いておきます
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きゃりーぱみゅぱみゅとサカナクションと「自分らしさ」の魔法

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■「自分らしさは、身に着けることができる」ということ




それは、今年3月に行われた、きゃりーぱみゅぱみゅのワンマンツアー「100%KPP WORLD TOUR 2013」、ZEPP TOKYOでのこと。

ライヴが終わって混み合う物販エリアで、一人の女の子が、親と一緒にファンクラブの入会申込み列に並んでいた。たぶんまだ小学生か中学生くらいかな。耳飾りをつけて、目をキラキラと輝かせて。興奮の余韻がまだ残っているような笑顔。ふと、その子と目があった。

ほんの一瞬だったけど、その時、どうして自分がきゃりーぱみゅぱみゅという人に惹かれているのか、わかった気がした。独自のファッションセンスとか、「原宿カワイイ」カルチャーのアイコンだとか、中田ヤスタカのサウンドとか、ポップで覚えやすいメロディとか、海外のファンが熱狂してることとか、きゃりーぱみゅぱみゅの人気を説明する言葉は沢山ある。でも、その女の子が憧れて、虜になったのは、きっとそんな外側からの解説で語れるような理由じゃないと思う。そうじゃなく、歌の中にあるメッセージの核の部分、人そのものが体現している魅力が、その子にはちゃんと届いているような気がした。

それは何か。

一言で無理やり言い表すなら、「自分らしさは、身に着けることができる」ということだと、僕は思う。

自分らしさというのは、誰かに押しつけられるものじゃない。逆に、就活生の自己分析みたいに、頭をひねって考えたり、どこかを旅して探し求めるようなものでもない。そうじゃなくて、自分のお気に入りのモノを見つけて、自分が楽しいと思うことをどんどんやって、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとちゃんと正直に言葉にする、そんな当たり前の繰り返しを経て身に着けることができる、ということ。だから誰でも、ワクワクすることとか、ドキドキすることの先で、それを手にすることができる、ということ。きゃりーぱみゅぱみゅという人は、基本的にそういうことを歌っている。

彼女自身のアーティストとしてのあり方も、そのことと繋がっている。

きゃりーぱみゅぱみゅの周囲には中田ヤスタカや増田セバスチャンのような一流のクリエイターが集まっているのだけれど、決して彼女は「誰かにプロデュースされるポップアイコン」ではない。普段から彼女自身がチームの中心になってアイディアを出している。制作風景と海外ツアーに密着した「情熱大陸」の放映をきっかけにそれを知った人も多いと思う。そのことについては、彼女自身も語っている。

たぶん「情熱大陸」がオンエアされるまで、みんな私はけっこうあやつり人形みたいな人だと思ってたんですよね(笑)。「きゃりーぱみゅぱみゅ像」を裏で大人たちが作ってて、完全にプロデュースされたものを20歳の女の子がやってると思われることは、すごく多いです。まあ、全部が全部、自分でやってるわけではないし、周りの人に助けられながらですけど、ちゃんとね、こう、自分の力でやっとるのにって思います。


『Quick Japan』 vol.107 きゃりーぱみゅぱみゅインタビューより

クイック・ジャパン 107クイック・ジャパン 107
(2013/04/11)
きゃりーぱみゅぱみゅ、歌広場淳 他

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■NYのマイノリティから見たきゃりーぱみゅぱみゅ



中学生の頃は引っ込み思案で人前で話すのが苦手だったという一人の女の子。その子は、原宿の街に出会ったことをきっかけに、自分自身で「きゃりーぱみゅぱみゅであること」を選びとった。そうして世界が変わった。

彼女の曲には、そのことを背景にしたメッセージが、いろんなところで現れている。

“PON PON PON”


もしもあの街のどこかで チャンスがつかみたいのなら
まだ泣くのには早いよね ただ前に進むしかないわいやいや



“つけまつける”


さみしい顔をした小さなおとこのこ
変身ベルトを身に着けて笑顔に変わるかな
おんなのこにもある 付けるタイプの魔法だよ
自信を身に着けて 見える世界も変わるかな



“ファッションモンスター”


おもしろいって いいたいのに へんなことって つまらないでしょ
おなじになって いい子でなんて いたくないって キミもそうでしょ

だれかの ルールに しばられたくはないの
わがまま ドキドキ このままでいたい




“100%のじぶんに”

かわいいだけじゃ 退屈で
あたらしいだけでも もの足りないでしょ

冗談半分に聞こえるような
割とぜんぜん 真剣な話

100%のじぶんを じぶんらしいと言えるようになーる からー



カラフルに彩られた歌詞の世界は、大人の視点で見ると、ファンタジックで戯画的で「カワイイ」ものに見えるかもしれない。でも、もし自分が子供だったら、10代だったら、これらの歌詞は、真っ直ぐに刺さるし、すごく自分を勇気づけてくれるものとして届くんじゃないかと思う。

そして、そのメッセージは海外のファンにも、ちゃんと同じように届いていた。

NHKで放映された番組「きゃりーぱみゅぱみゅセンセーション!~世界が興奮・ワールドツアー密着ドキュメント~」内で、きゃりーの曲でフラッシュモブをしようと集まったニューヨークのファンのグループに取材していた。そこでファンの人が語っていたことが、すごく印象的だった。

「きゃりーは人と違うことを恐れず、自分のスタイルを貫いているから人気があると思います。私はそんなきゃりーに憧れています」



こう語っていたのは、フラッシュモブを計画したNY在住の20歳大学生、シャリーファ・フットマンさん。日本カルチャーに憧れ、少女マンガをコレクションしている黒人女性。おそらく普段の生活や友達付き合いにおいては、かなりのマイノリティであることを自覚しているんだと思う。あまり自分の好みを主張する機会もないのだと思う。そういう同世代に、きゃりーの歌が刺さっている。きゃりー自身も、そういう沢山の声を受け止めている。

ファンの方も、みんながみんな派手って訳じゃなくて、おじさんもいるし、すっごい地味な子とかもいて。前にそういう女の子に「私のことを何で知ったんですか?」って直接聞いてみたんですよ。そしたら「きゃりーちゃんは、自分にはできないことをやってくれてるからすごく好きで憧れてる」って言ってたんです。たぶんそういう感じで、おじさんとか、OKとか、サラリーマンとかにも、自分がやってみたいけどできないことを観たいという感覚の人がいると思います。


『Quick Japan』Vol.107 インタビューより




“インベーダーインベーダー”の「そんなに言うなら おっしゃ Let’s世界征服」という一節は、そういう憧れを引き受ける意思を象徴しているように思うのだ。

ちなみに、2ndアルバム『なんだこれくしょん』の裏テーマは「日本」だとか。

今回、実はアルバムの裏テーマは“日本”なんですよ。「にんじゃりばんばん」だったり「ふりそでーしょん」だったり、日本を大事にしている曲が多いので。1曲目の「なんだこれくしょん」もイントロの和太鼓から入って、冒険に出発!みたいな感じでスタートしてます。



ナタリー - [Super Power Push] きゃりーぱみゅぱみゅ「なんだこれくしょん」特集
http://natalie.mu/music/pp/kyarypamyupamyu06


「クール・ジャパン」という言葉はいまや手垢まみれだからあんまり使いたくないけれど、いまや日本の最先端カルチャーの象徴の一人でもあるきゃりーぱみゅぱみゅは、NYのファンにとっては、物珍しさやポップアイコンとしての魅力だけじゃなく、ちゃんとその存在が象徴するメッセージが伝わっていた。そのことはすごく大きなことなんじゃないかと思う。


■サカナクションときゃりーぱみゅぱみゅ



で、実は、ここまでつらつら書いてきたようなことを掘り下げて考えるきっかけになったのは、「100%KPP WORLD TOUR 2013」の帰り道に呟いた、このツイートがきっかけだった。




きゃりーぱみゅぱみゅと同じく、サカナクションも、繰り返し自分らしさについて歌ってきたバンドだ。そういう意味では、同じテーマにアプローチしているアーティストであるとも言える。特にそのことを象徴している曲が「アイデンティティ」。

“アイデンティティ”


好きな服はなんですか?好きな本は?好きな食べ物は何?
そう そんな物差しを持ち合わせてる僕は凡人だ

映し鏡 ショーウインドー 隣の人と自分を見比べる
そう それが真っ当と思い込んで生きてた

取りこぼした十代の思い出とかを掘り起こして気づいた
これが純粋な自分らしさと気づいた



最新アルバム『sakanaction』のリードトラックとなった“ミュージック”にも、それに通じるモチーフが見え隠れする。

“ミュージック”


痛みや傷や嘘に慣れた僕らの言葉は
疲れた川面 浮かび流れ
君が住む街で
消えた




でも、サカナクションときゃりーぱみゅぱみゅは、アイデンティティを再獲得するための方法について、全く真逆の立ち位置からアプローチしている。

対象的なのが、「服」とか「装う」ということへの捉え方。

“アイデンティティ”は〈好きな服はなんですか?〉と始まり、〈そんな物差しを持ち合わせてる僕は凡人だ〉と歌う曲。“ミュージック”でも〈濡れたままの髪で僕は眠りたい 脱ぎ捨てられた服〉という歌詞がある。「服」という言葉は、内面にある本当の自分を覆い隠すものの象徴として描かれている。何かを装うことをやめて、深く自分と向き合うことが自分らしさを再獲得するためのキーになる。

一方、真逆のアプローチなのが、きゃりーぱみゅぱみゅ。“ファッションモンスター”では〈このせまいこころの檻もこわして自由になりたいの〉と歌われる。むしろ内面性は自分自身を抑えつけるものとして描かれる。“つけまつける”は〈付けるタイプの魔法だよ〉と歌う曲。「装う」ことで人は変われるし、視点を変えれば世界は変わる。自分らしさに〈付けるタイプの魔法〉をかけることができる、というのがきゃりーのスタンスだ。

もちろん、どっちが正しくて、どっちが間違っているというわけじゃない。でも、この二組のアーティストが、それぞれ全く別なアプローチから同じテーマについて歌っているということ自体、すごく興味深いと思うのだ。

「人と違うことを恐れず、自分のスタイルを貫いている」

考えてみたら、このことも両者に共通すること。きゃりーぱみゅぱみゅもサカナクションも、沢山のマイノリティたちを勇気づける音楽なんだと、個人的には思う。そういうところが僕は好きだったりする。


※)「YUMECO RECORDS」(http://www.yumeco-records.com)に寄稿した文章を再構成しました。


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「浮世絵化するJ-POPとボーカロイド」のその後の話。あと、6/17に下北沢でトークイベントやるってよ。

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■ヒャダイン、『アイカツ』、ペガサスミックス盛り



正直、予想以上の反響でした。このブログはちゃんとアクセス数とかとってないんだけど、ツイッターとかFacebook、ブックマークの反応を見ると、普段この手の音楽を聴かない人も含めて、かなり広いところまで届いたっぽい。ありがたい。

というわけで、今日はその続きの話。渋谷慶一郎さんの「THE END」の話はちょっと後回しにして、あの記事への感想や反響と、その続きで思ったことをまとめました。読んでない方がいたら、まずはこちらの記事から。

浮世絵化するJ-POPとボーカロイド 〜でんぱ組.inc、じん(自然の敵P)、sasakure.UK、トーマから見る「音楽の手数」論 - 日々の音色とことば:
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-548.html


で、今日の話はちょいと長いので、最初に要約。上の記事が、いろんな人から「これもそうだよ」と「それ違うんじゃねえの?」という賛否両論を集めました、というお話です。

まずは佐々木俊尚さんのツイートから。言及ありがとうございました。






なるほどー。「あの手の音楽の情報量の多さって日本文化の本質なんだろうか?」というのは、重要な指摘でした。これについては後でもう一度書きます。「音楽が別のエンタメになる」という話は、140字じゃ全貌がつかめないので改めてじっくりと読みたいところです。『レイヤー化する社会』買わなきゃ。


レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書 410)レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書 410)
(2013/06/05)
佐々木 俊尚

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あと、これ鋭いな―と思ったのが、こちらの指摘。




「手数が多くてメロディも言葉も細密に詰め込まれた00年代J-POP」の流れに欠かせないのがヒャダイン氏で、それこそでんぱ組.incの「W.W.D.」を手掛けているのも彼。で、これもブクマで指摘があったけれど、ボーカロイドにしても初期の名曲「初音ミクの消失」で、“BPMが早い・だけでなく歌詞の量がやたら多い”という特徴が表れている。



こちらの記事も面白かった。「手数が多く独自進化しているJ-POP」がアニメ『アイカツ』にもある、という話。音楽を手掛けているのは“もってけ!セーラー服”も手掛けた神前暁さんの所属するクリエーター集団MONACA。アイドルとボカロだけじゃなくて、今のアニソンや声優界隈もかなり面白いことになっている。

「アイカツ!」から感じられるJ-POPの深化のこと - 3LDS -Love,Like,Life!! Diary@SmiLey!-
http://d.hatena.ne.jp/sad_smiLey3/20130531/1369928433


神前暁さん関連の楽曲でいえば、最近は上坂すみれさんのデビュー曲「七つの海よりキミの海」が超絶にぶっ飛んでて最高だった。こちらも歌詞は畑亜貴さん。彼女の場合は「ソ連」「戸川純」という強烈なバックボーンがあるので(ナタリーのインタビュー参照。これ何度読んでも面白いです)、“浮世絵”とか“ガラパゴス化”とかそういうタームで一緒にして語るのは無理なんだけど、それにしても笑っちゃうほどのめまぐるしさ。



ナタリー - [Power Push] 上坂すみれ「七つの海よりキミの海」インタビュー
http://natalie.mu/music/pp/uesakasumire


そして、あの記事への反応ではなかったんだけれど、一番僕の言おうとしていたこととリンクしていたのが、まさにでんぱ組.incのプロデューサーである福嶋麻衣子さん(もふくちゃん)のインタビューだった。

日本の面白い文化って、鎖国してたが故に生まれたところがあると思うんですよ。余所のことを知らないと、内の事情が勝手にローカルで超先端的になっていく。それこそ、キャバ嬢の中でもペガサスミックス盛りっていうのが流行ったり、マリー・アントワネット時代髪型じゃないけど、とにかく頭を上に上にって、盛る文化みたいなものってあるじゃないですか。そういうものも、私は鎖国がキーワードだと思っていて。すごく狭いコミュニティーの中で熱量を上げて行こうと思うと、絶対面白いものが生まれるんですよ。



インタビュー:福嶋麻衣子(もふくちゃん) - Time Out Tokyo (タイムアウト東京)
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/7313

なるほど。“盛る文化”という言い方、すごく興味深い。

■「ガラパゴス化」は最近始まったわけじゃないという話



一方、あの記事はけっして賛同ばかりを集めたわけではなかったです。異論や反論も多かった。それはちょっと違うんじゃないの?という声もかなりあった。全部は拾いきれてないけれど、以下のようなものが多かった。

1) 浮世絵的な情報量の多さ=日本文化の本質じゃない
2) ガラパゴス化は今に始まった話じゃない
3) 「日本の音楽が複雑でアメリカの音楽はシンプル」とは言いきれない

これについては、確かにそうだなーと思うところもあります。僕自身、実際「乱暴だよなあ」と思いながら書いてたわけで。ツッコミどころ沢山あるなあって。

1については、佐々木俊尚さんのツイートでも触れられている通り。「情報量の多さ=日本らしさ」とそのまま結びつけるのはさすがに無理がある。イスラム文化にも細密画はあるし、一方で日本には水墨画だって枯山水だってあるわけだし。日本文化論にまで広げるのはなかなか網の目が大きいな、ということです。

で、2と3については、遊井かなめさんによる以下の記事が、まさにその内容。

「浮世絵化するJ-POPとボーカロイド」をアメリカ音楽好きはどう読んだか、あるいは僕がレコードを買い続ける理由 : The Fuckin' Return Of Kaname
http://uekaname.blog96.fc2.com/blog-entry-168.html

ツイッターでもコメントしたけど、こういう批判、反論が来て、ほんとにちょっと嬉しかったんですよ。まさに僕が書き飛ばしていた部分、乱暴に捉えていた部分を指摘する内容だったので。

筆致こそちょっと攻撃的に読めるかもしれないけど、正直、ツイッターの140字で「こいつの言ってることは大間違い」とか書き捨てられるより、こうやってしっかりとブログで書かれるほうが100倍ありがたい。しかも遊井かなめさんは海外のポップミュージックとボカロを幅広く深く聴いている人で。そういう人からこうやってがっつりした反論が届いて、僕の知らないことを知れるというのも、あの記事を書いた“報酬”の一つだと思う。

遊井かなめさんの主張の一つ目は、こう。

日本の音楽においてガラパゴス化が観測され始めたのは、70年代頭。海外の音楽を下敷きにした人たちの音楽を下敷きにした人たちというのが出てきた辺り。フィンガーズの追っかけをしていたユーミンが出始めた辺りになる。

00年代のJ-POPが「洋楽コンプレックスから解き放たれた」という点に関しては同意できる。ただし、これも00年代以前から観測されている現象であり、今になって初めて解き放たれたなんていうことはない



日本の音楽においての「ガラパゴス化」は00年代以前から見られる、という主張。他にもそういう指摘は多かったです。そう言われてみると、確かにそうかも。他にも笠置シヅ子の「買い物ブギ」を聴けっていうコメントもあった。これなんかは50年代。なるほど。



■アメリカン・モダン・ロックとインディ・ポップ



そして、遊井かなめさんの主張のもう一つは、「アメリカ=シンプル、日本=複雑」と位置づけるのは粗がある、歴史的な認識からしておかしいんじゃない?というもの。

現在の英米にもポール・スティール(や彼がいまやってるLL COSMONAUT)とかエクスプローラーズ・クラブとか。Felt、DENIMと経てローレンスが今やっているGo-Kart Mozartとか。特にGo-Kart Mozartが去年出したep『On The Hot Dog Streets』なんかはピコピコシンセ・ポップスでそこにギター・ポップスやロックンロールやドゥーワップも入っていたりして、UNCUTあたりでも話題になっていたほど(ゆえに、これを思い出さないというのは、不勉強でしかないだろう)。さらに去年出たアルバムでいえば、オブ・モントリオールの『Paralytic Stalks』とかも、カラフルな和声とメロディーに基づいた音楽、さらに言えば詰め込みすぎの音楽であろう



実は上に引用されていた中で、ちゃんと聴いてたのはオブ・モントリオールだけでした。不勉強!

ひと通り聴きましたが、「カラフルな」とか「派手な」とか、そういう音楽を形容する言葉に対するイメージの違いがあるんだな、と思いました。僕が元記事で取り沙汰してたのは「手数の多さ」なので、ちょっと同じ土俵に載せるのは難しいかなっていう。もちろん、どっちがいいとか悪いじゃなくて。このへんは、元記事でもコメント使わせてもらった「じゃぶらふきゅー」さんが、圧縮というキーワードを使って分析されてます。




「じゃぶらふきゅー」さんのブログでは、遊井かなめさんの記事に対しての応答も書かれています。

「『浮世絵化するJ-POPとボーカロイド』をアメリカ音楽好きはどう読んだか、あるいは僕がレコードを買い続ける理由」への応答 - Sound, Language, and Human
http://d.hatena.ne.jp/ja_bra_af_cu/20130604/1370347287


僕も、遊井かなめさんの批判は、基本的に「なるほどな」と思ってるんですよ。ただ、一つだけ反論、というか誤読されてるなーと思う箇所があったので、書いておきます。それは、遊井かなめさんが「英米の〜」という言い方を多用していること。

そもそも柴氏が英米の音楽として想定しているものはすごく狭いのだ

あのエントリーに対して僕が同意できないのも、その歴史的認識や英米の音楽への認識に粗が多いからであり、結論ありきの文章だからである。



と書かれているけれど、元記事を読んでいただければわかる通り、僕が書いている対象はアメリカのみなんですよ。

これはあくまで僕の捉え方ですけど、イギリスのロックやポップスと、アメリカのそれって、(もちろん相互に影響は与えあってるけど)、まったく別個のカルチャーが土台にあると思うんです。ブリティッシュな感性とアメリカンな感性って、全然別のものだし。だから、「英米の〜」って一緒に括られることには、なんか違和感がある。特に遊井さんのようなアメリカ音楽に詳しい人、”歴史的認識”というものを大事にしている人が言うならなおさらです。

僕が「メロディーの描く弧の半径が大きい」アメリカのロックやポップスの代表として挙げたのはFUN.とイマジン・ドラゴンズ。それはつまり今のアメリカン・モダン・ロックの代表で、ああいう朗々と歌い上げるような大陸的なメロディーのあり方って、リンキン・パークやトレインやボン・ジョヴィや、そういうモンスターバンドたちの系譜にも共通するもので。そう考えると、その流れの源流はジョン・ボン・ジョヴィが敬愛し多大な影響を受けたというブルース・スプリングスティーンに行き着く。というのが、僕があの記事を書いた背景にある“歴史観”。だから、イギリス出身のポール・スティールや同じくイギリス出身で80年代的なネオアコ/ニューウェーヴな感性を下敷きに持っているGo-Kart Mozartを持ってこられてもピンとこないわけです。

とはいえ、それを踏まえてもなお僕の書いた記事には乱暴なとこがあって。FUN.とイマジン・ドラゴンズを「売れてる今のアメリカのロックの代表」にしちゃうと、「ヴァンパイア・ウィークエンドはどうなのよ?」という反論がある。こないだリリースされたばかりの新作『モダン・ヴァンパイア・オブ・ザ・シティ』は全米1位。売れてるじゃん! これが実にカラフルで“手数の多い”作品なわけなんです。



「音の情報量の多さという意味では、マキシマムザホルモンと“もってけ!セーラーふく”と同じことが、ヴァンパイア・ウィークエンドにも言える。ストロークス以降のインディ・ロックとアフロ・ビートとパンクとヒップホップが同居していて、その衝突からあの情報量が生まれてる」 

こういう言い方もできるわけです。オブ・モントリオールやアニマル・コレクティヴやマーズ・ヴォルタにだって、同じように語ることができるかもしれない。だから、繰り返しになるけど「アメリカと日本の文化比較論」になると網の目が大きすぎる。それは確かにあの記事の穴なんです。

その上で僕は、今のボーカロイドやJ-POPシーンは「特異な進化」をしてると思ってるんですけどね。あと、

僕がボカロ音楽について書く際、僕は「ボカロを特別視しない」というのを前提としていて。ずっと連続している音楽史の中での現在進行形として捉えようと心掛けている


ここに関しては僕も100%同意です。


■そして最後に宣伝。



まあ、基本的にここで書いてるのはあくまで僕の視点からの「見立て」です。

だから、異論も反論も沢山あり得るだろうし、あったほうが面白いと思います。事実関係の話だったら間違っちゃダメだけど、そうじゃなかったら、知識量や歴史観にかかわらず、誰がどんな突拍子もないこと言ってもOKじゃないかな。というのが僕の立ち位置。「見立て」には正解も間違いもないというか。

特にこれは慰安婦問題とかそういうのじゃなくて、「音楽」の話だしね。アニメでもアイドルでもそうだけど、カルチャーを語るってのは、いろんな立場の、いろんな見方の人が、ぎゃんぎゃん言い合ってるのが一番面白いと思う。というわけで最後に宣伝!

2013年6月17日月曜日
おもしろトーク
「大谷天明 この国のポップミュージック論」

●会場:下北沢Laguna(ラグーナ)
http://www.daisybar.jp/laguna/

●時間:OPEN 18:30/START19:00

☆出演:
大谷ノブ彦 (ダイノジ)
天明晃太郎 (構成作家)
柴那典 (音楽ライター)

●チケット:
前売1500円
当日2000円
(各1ドリンク代別)
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【チケットメール予約】
sasuke.yoyaku@gmail.com
件名に「0617大谷天明」
本文に「お名前・枚数」と記入して送信して下さい
受付でお名前を告げると前売料金でご入場頂けます
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【会場お問い合わせ】
下北沢Laguna(ラグーナ)
世田谷区北沢2-2-3エルサント北沢1F
※Daisy Bar(デイジーバー)の1階です
TEL&FAX:03-6903-4185
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http://ameblo.jp/giannight/entry-11543895786.html


前回の記事を公開した後、大谷ノブ彦さんからメールで「トークイベントやりません?」と言われて、さらっと決まりました。大谷さんはこんな風に取り上げてくれていて嬉しかった。




まだ何しゃべるかわかんないですが、楽しみにしてます。


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