日々の音色とことば:

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「LINE Music」はスマホの普及で壊滅した「着うた」文化を蘇らせる

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■音楽配信サービス「LINE Music」が2013年内にスタート



LINEが2013年内に独自の音楽配信サービス「LINE Music」を開始することを発表しました。というわけで、今日はその話。8月21日に発表された新機能、新サービスのうちの一つで、他にはビデオ通話やECサービス、ウェブストアなどがスタートするらしいです。

LINE、新サービス「LINE Music」を年内リリースし音楽業界に参入 | All Digital Music
http://jaykogami.com/2013/08/3760.html

上の記事によると、今のところわかっているのは、「LINE本体のアプリで基本機能として導入」「LINEフレンドと一緒に音楽を聴いたり、コミュニケーションを楽しむことができる」「グローバル音楽ストアを目指して開発中」「2013年内にリリース予定」ということのみ、らしい。

ニュース - LINEが新たにビデオ通話、音楽配信、ネット通販に参入:ITpro
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20130821/499362/

こちらの記事によると、LINEが「スマホ時代のプラットフォーム」となったことを踏まえて「一人で聴く音楽からみんなで楽しむサービス」として年内の展開を予定していると、執行役員の舛田淳氏が語ったとか。つまりこれ、購入した楽曲を友達と共有できるサービスなわけです。

なるほど。僕自身はカンファレンスにも足を運んでないしLINEの開発陣とも何の面識もないし、新しいサービスがどういうものになるか全く情報がない状況なんだけど、それでもこれは、ちょっとピンときました。

これはおそらく、音楽業界にとっては相当の追い風になる、大きな意味を持つサービスになると思います。というのは、「LINE Music」は、スマホの普及で壊滅した着うたの文化を、その本質的な意味合いでもって復活させるサービスになると思うからです。

■なぜ「着うた」市場は5年で壊滅したか



ではまず、スマホの普及で着うた市場が壊滅したことについて。これはドリルスピンに寄稿した以下の記事の後半にも書きました。

第55回:「聴き放題」だけでは音楽ストリーミングサービスが成功しない理由 | DrillSpin Column(ドリルスピン・コラム)
http://www.drillspin.com/articles/view/571

以下は、日本レコード協会が毎年発表している有料音楽配信売上実績から「モバイル部門」(着メロ、着うた、着うたフル、ビデオ、その他の合計)の売上を並べたもの。

mobile_graph_2008_2012.jpg

そして、こちらがモバイル部門(ガラケー)、ネットDL部門(PC&スマホ)をあわせたシングルトラック(単曲購入)のダウンロード数量推移グラフ。

single_track_graph_2008_2012.jpg
(共に上記コラムより引用)

見事なまでに右肩下がり。ネットDL(スマホとPCの合計)は順調に増加を見せているけれど、それでもモバイルの減少を補えていない。そして、2013年の上半期はさらにその傾向が進んでます。以下はシングルトラック配信の数量(単位・千回)と前年比。




スマートフォン・PC45,309前年比137%
フィーチャーフォン16,762前年比45%
小計62,071前年比89%


フィーチャーフォンによるシングルトラック配信、いわゆる「着うた」「着うたフル」の売り上げは前年比48%という劇的な縮小。そして、上の表には書いてないけど、2013年上半期の音楽配信の金額ベースの総計は前年比74%なので、PC・スマホでのアルバム配信の伸びや、サブスクリプションの普及をもってしても、着うた市場壊滅による売り上げ減少を補えていないという現実がある。

やはり、この数字が証明しているのは、スマホに移行した人が音楽を買わなくなった、そのことによって「着うた」文化自体が壊滅したということなんだと思います。そういや、最近は、街中でもてっきり着うたや着メロが鳴ってるのを聞かなくなった。マナーモードの普及で着信音を鳴らすこと自体が減ってきたのもあるだろうし、聴いたとしてもプリセットの電子音がほとんどだしね。

■「ジュークボックス」→「着うた」→「LINE Music」



で、「着うた」という文化がまるごとなくなったのは何故か。その理由は、そもそも着うたが「音楽そのもの」(=コンテンツ)ではなく「会話のきっかけ」(=コミュニケーションツール)を販売するサービスだったから。僕はそう考えています。

「もともとドワンゴグループは、着うたや着メロのようなモバイルのコンテンツを配信する事業を展開していましたが、それも単なる音楽の販売とは位置付けていなかった。僕らは、着うたや着メロというのを、買った人とそれを聴かせた相手の間に会話が生まれるきっかけになるサービスとしてイメージしていた。そういうサービスに人は帰属するし、依存するということを考えていた」


(『別冊カドカワ「総力特集 ニコニコ動画」 杉本誠司氏インタビューより』)

ドワンゴの杉本誠司社長はこう言っています。そして、「買った人と聴かせた相手の間に会話が生まれるきっかけになるサービス」として、「着うた」と本質的なところで同じ意味合いを持っていたのが、かつてバーやボウリング場にあった「ジュークボックス」だと、僕は思うのです。

僕自身、ボウリング場のジュークボックスに100円を入れて、お気に入りの曲を友達に聴かせた思い出があります。音質もよくないし、決してその曲が手元に残るわけではないのに、ジュース1本分のお金を払っていいと思えた。あのときに払った100円は楽曲コンテンツの値段ではなくて、それがもたらす「コミュニケーションのきっかけ」への対価だったわけで。「ねえ? これ知ってる?」という会話のきっかけになるものに、人はお金を払うわけです。

でも、レコチョクなどの着うたサービスはスマホへの対応が遅れ、しかも数年たってようやく登場したアプリ「レコチョクplus+」は、単なる音楽ダウンロードアプリだった。コンテンツは売ってるけれど、そこに「会話のきっかけ」になるような機能は、一切備えていなったわけです。

そう考えていくと、「LINE Music」が持つ意味の大きさが見えてくるわけで。つまり「LINE Music」が提供しようとしているものは、単なる音楽配信ではなく、着うたやジュークボックスと本質的に同じ「音楽をきっかけにしたコミュニケーションツール」そのものだと僕は思うのです。「一人で聴く音楽ではなく、みんなで音楽を楽しむサービス」と執行役員の舛田淳氏は語っていたけれど、そういうものは20世紀初頭、1940年代とか50年代の頃から脈々とあるわけで。ようやくそれがスマホのプラットフォームに乗っかったのだ、という。

■「スタンプ」として消費される音楽



で、もう一つ。LINEのアドバンテージとして大きいのはスタンプの存在。

たぶん、「LINE Music」はおそらく「着うた? ジュークボックス? 何それ?」な10代のスマホネイティヴな層には「スタンプみたいに使える音楽」として受け止められるんじゃないかと、僕は考えてます。つまり、文字でいちいち伝えるのが面倒くさい感情を伝えたり共有するためのツール、としての音楽。もちろんスタンプのキャラクターの表情より手っ取り早いわけじゃないけど、それでも数秒で生々しく今の自分の気分とかムードとか感情を伝えられるものとして。そういう風にして、やっぱりコミュニケーションツールとして音楽が消費されるようになるんじゃないか、と思います。

ひょっとしたら、腰を据えてじっくり曲を聴くタイプの音楽ファンにとっては、「数秒だけ再生して聴いた気になるなんてふざけんな」という風に思われるかもしれない。でも、僕はそこにすごく可能性があるんじゃないかと考えるわけです。というのは、LINEのサービスの特性は「速さ」にあるから。

僕は最近「音小屋」という鹿野さんが始めた音楽メディア人養成学校の講義をやっていて、そこに集まった実際にLINEを使ってる20代の人たちと「なぜLINEが勝ったのか?」というテーマでディスカッションをしてみたんだけど、そこで出たLINEの使い勝手の話に、なるほどと感じて。

いわく、
「レスポンスが速いから、直感的に使える」
「メールよりも会話に近い」
「“明日遊びにいく友だち”みたいに気軽にグループを作れるから、クローズドなコミュニティを自由に作れる」
「知り合いだけじゃなくて、趣味の近い人、同じアーティストのファンとグループを通じて繋がることもできる」
「そもそもコミュニケーションサービスは人が集まったもの勝ち」

などなど。いろんな要因があるんだろうけど、僕は「レスポンスの速さ」がキーだと思ってます。googleの勝因だって速度にあるわけだし。人は本能的に、レスポンスの遅いものを選ばなくなる。

そう考えると、「スタンプみたいな音楽」だって、全然アリだと思うのですよ。たとえば、今のLINEのトーク上でもYouTubeのリンクを送れば「音楽を共有する」こと自体は全然できる。でも、YouTubeのURLをタッチすると別アプリが立ち上がって、しかも広告を数秒見てから動画が再生される、みたいなまだるっこしさに比べると、スタンプみたいに曲のアイコンが送られて、それをタッチすると再生がスタートするという「速さ」は受け入れられそうな気がする。そこが入り口になってもっと豊かな音楽の世界に足を踏み入れる人だって出てくるだろうし。

なので、LINE本体のアプリで基本機能として導入され、しかも

1.新曲がすぐに手に入る(ドラマやCMでOAされるとすぐに先行配信、遅くともCDの発売日にはフル配信)
2.「これ聴いてみて?」と曲を友達にどんどん送ったりTL上で同時に再生できたりする

というような感じのサービスになるんだったら、「LINE Music」は一気に広まるんじゃないかと思ってます。


■「LINE Music」のライバルは



好みの曲がつぎつぎ集まる音楽プレイヤー Groovy - Google Play の Android アプリ


で、そうなってくると、「LINE Music」の最大の競合は、レコチョクBestでもMusic UnlimitedでもSpotifyでもなく、やっぱりDeNAの「Groovy」になってくるんだと思います。

DeNAの音楽アプリ「Groovy」の可能性 - 日々の音色とことば:
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-542.html

上の記事はサービス開始当時に書いたものなんだけど、その後「Groovy」はアップデートして、「好みの曲がつぎつぎ集まる音楽プレイヤー」としての機能を強化してきていて。

ほとんど意味のなかったジャンル別のランキング機能が「サーチ」の二階層目に仕舞い込まれて、そのかわりに「オススメ」機能がトップ画面のタブに現れるようになった。これ、実際に使ってみたら、なかなか便利なんですよ。そこでは

1. 最近自分が聴いた曲と近いテイストの楽曲
2. フォローしてる友達やミュージシャンが最近聴いた楽曲
3. 公認アカウントが最近聴いた楽曲
4. 「Groovy編集部」オススメの楽曲
5. 「自分と同世代」「男子高校生」「女子高校生」「20代前半男子」「20代前半女子」がよく聴いている楽曲

みたいな順で楽曲がどんどん表示される。



で、そこをタップすると視聴のページに移る。45秒の視聴は無料、フル再生には1回5円くらいの「プレイチケット」が必要になるんだけど、実は手持ちの楽曲をアプリで再生してると特典チケットがどんどん届くので、日常的にアプリを使っていればほとんど無料の感覚で新しい曲を聴くことができる。

で、自分が何度か再生したアーティストが自動的に「ファン」に設定される機能もあり、トップ画面から「ファン」というタブをタップして表示されるタイムラインでは、そのアーティストを好きな人が集まってトークしてたりする。
groovy0825_4.jpeg

ちゃんと「SNS×音楽プレイヤー」として機能し始めてるわけです。

というわけで、今の時点でのまとめ。

「LINE Music」は、スマホの普及によって失われた「着うた」の文化、そしてレコード時代から脈々とある「みんなで音楽を楽しむ」ジュークボックスの文化を、今の時代に新しい形で蘇らせるサービスになるんじゃないか、と思います。

ちなみに、海外ではこの辺を担っているのが、聴き放題のサブスクリプションサービスだったりするわけなんですよ。ヨーロッパやアメリカではSpotifyが、台湾やアジア地域ではKKBOXが、SNSと結びつくことで音楽消費のスタイルを変えてきている。もちろん日本でもサブスクリプションの配信サービスは伸びてきてはいるんだけど、それを横目にDeNAとLINEが独自の「音楽×コミュニケーション」のプラットフォーム戦争を始めている。そういう状況が2013年にあるのが、すごく興味深い。

もちろん、ここまで書いた僕の見立てと予測がまったく外れる可能性も全然あると思います。(あと、この手のことを書くと「オレは一人で好きな音楽を聴いてるからコミュニケーションなんて関係ねえ」というような反応を寄せる人もいて、僕自身もそういうところはあるし周りにもその手のタイプの人は沢山いるんで、そういう気持ちはすごくわかります)

ただ、少なくとも世の中のマジョリティはコンテンツよりもコミュニケーションを消費していて、時代と共にその形は進化してきていて、その中で音楽が果たせる役割はまだまだ沢山あると、僕自身は思っているのです。

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「カゲロウプロジェクト」と中二病と「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」

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■楽曲と物語が愛されていたライヴ空間



ライブインメカクシティ
8月15日。じんのワンマンライブ「ライブ・イン・メカクシティ SUMMER'13」に行ってきた。彼のライブが行われたのは2度目のことだけれど、僕が足を運ぶのは初めて。ちょっと衝撃的だった。なんだか、その場に起こっていることに、胸を震わされる感じがあった。

何がそんなに鮮烈だったかと言うと、曲に対してのストレートな思い入れ、物語に対しての愛情が、あの場所に渦巻いていたことだった。フロアを埋め尽くしたファンの多くは10代だったと思う。ひょっとしたらライヴハウスに足を運ぶこと自体が初めてという人もいたかもしれない。僕自身、あそこにあった熱気は、初めて体験する類のものだった。

「あなたがここにいるってことは、知りたいんですよね。あの夏の話――」というナレーションから、ライブは始まる。一曲目は“カゲロウデイズ”。悲鳴のような声援が上がる。ステージは、バンド編成の演奏に歌い手たちが代わる代わる登場するスタイル。セットには「止まれ」の道路標識、信号機など、物語の世界観を象徴する舞台装置が並ぶ。バックには映像が映し出され、曲によっては透明のボードの上で登場キャラクター「エネ」が歌って踊ってみせたりもする。

で、この日のライブを通してすごく印象的だったのが、お客さんたちが挙げる楽曲への歓声だった。もちろん声援はステージ上のじん、バンド、歌い手にも向けられているんだけど、それよりもMCやナレーションで「次に演奏する曲名」が告げられたときに、本当に大きな歓声が上がる。そこに集まっていた人たちは、楽曲とそれが描く多層的な物語に心から思い入れを持っていて、自分でその解釈を深めたりもして、その作り手としてのじんを愛していて、だからこそ、生演奏を通じて物語を共有できたことへの「感激」の感情が放出されていた。


■孤独を通じてバトンを渡す、ということ



で、やっぱり僕がすごく大きいと思っているのが、「カゲロウプロジェクト」は「疎外された子供たち」の物語である、ということ。以下は『MUSICA』の6月号に書いた『メカクシティレコーズ』のレヴュー。あの原稿で書いたことが、そのままライヴの場に展開されているように、僕には思えた。


 最近、誰かに訊かれた。「柴さんはここんとこボカロ関係の原稿とかよく書いてるじゃないですか。あれってどこまで本気なんですか?」。「100%本気だよ? 何で?」。「やっぱ僕とかの世代からすると、どうしてもニセモノっぽい感じがするんですよ」。「まあ、そう感じる人がいるのはわかるけどね。でも、僕は全然そんな風に思ってないよ」。「なんでですか?」「だって、実際に10代の女の子とか男の子が、それを聴いて夢中になってるんだよ? 10代の子が心を揺さぶられて、泣きそうなほどの思い入れを持って肯定してる音楽は、僕は、絶対正しいと思う」。そんな話をした。
 その時に話したのが、じん(自然の敵P)の「カゲロウプロジェクト」のことだった。数いるボカロPの中でも特異な才能と立ち位置を持ったマルチクリエーターの彼。昨年の1stアルバム『メカクシティデイズ』と本作『メカクシティレコーズ』に収録された楽曲は、全てが共通の世界観を持った、一つの物語を構成するための音楽だ。原稿用紙何十枚分の背景を持ったキャラクター設定とストーリーを数分の曲に詰め込んで、その曲を動画にしてニコニコ動画に投稿している。その一つ一つの楽曲が連作した物語になっている。実際、音源のリリースと小説の執筆が同時並行で進み、このアルバムと同時に3冊目の小説が刊行される。いわば、映画の原作と監督と劇伴音楽を一人でやっているような途方もない作家が彼だ。しかもそれを2011年から2年やそこらで実現しているというスピード感。これだけの才能を持った作り手が本気で情報量を詰め込んだ音楽が大きな支持を集めているという状況は、とても象徴的だと思う。
 そして、何より印象的なのが、これが「疎外された子供たち」の物語だということ。ファンタジックな設定はあれど、それぞれの曲の主人公たちに、学校や親、つまり大人たちの社会で上手くやってるようなキャラクターは誰もいない。巻き込まれ、突き放され、うずくまり、傷つき、奔走する。そのキャラクター達の自意識の煩悶をストレートに伝えるスタイルとして、疾走感と音圧と展開の妙をブーストしたギターロックのサウンドが鳴らされている。実際に彼の音楽のルーツの一つにTHE BACK HORNがあるらしいけれど、彼自身は、やりたい音楽性を追求した結果ではなく、あくまで「物語を伝える音楽」としての純度を高めるためにそのスタイルを選んだと公言している。
 そんな「カゲロウプロジェクト」の完結編としてリリースされるのが本作。そのテーマソングとも言える“チルドレンレコード”で、彼は〈少年少女 前を向け〉という歌詞を書いている。本人のツイッターなどの発言はあくまで飄々としてるから、これは僕の推測にすぎないんだけれど、じんという作家には、画面の向こうで半泣きになりながら「神!」と打ち込んでる沢山の10代の表情が見えているんじゃないか、と思う。そういう作り手のことは、何より信頼できる。



で、じん自身も、そういう沢山の声を向き合うことで、変わってきたようだった。最後に彼が歌った“サマータイムレコード”の前には、こんな風にMCで語っていた。

「今日のライヴは忘れてもらってもいいけど、このエネルギーだけは忘れないでほしい。明日を生きるエネルギーになってほしい。そんな希望の歌を最後に演奏したいと思います」


理不尽なんて当然で
独りぼっち 強いられて

迷った僕は
憂鬱になりそうになってさ

背高草を分けて
滲む太陽睨んで
君はさ、こう言ったんだ
「孤独だったら、おいでよ」
(“サマータイムレコード”)



彼の描く楽曲は心のうちに孤独を抱えてる子供たちが主人公で、沢山の人たちがその物語に自分を重ね合わせている。で、彼自身がそのことをよく知っている。インタヴューでは、彼自身が病弱で学校を一年近く休んでいた頃にTHE BACK HORNの『ヘッドフォンチルドレン』に「救われた」「助けられた」と語っている。だからこそ、かつての少年だった自分が音楽から受け取ったものを、バトンを渡すように今の少年少女に届けようと考えているのだと思う。

■14歳の出会い



僕はもう30代も後半のおっさんで、フロアにいた沢山の人たちとは確実に世代が違っていて、だから、冷静な目で観てしまうところは正直あった。バンドの一体感とか、演出とか、まだまだ良くなるポイントは沢山あるなあって、そんな風に分析する目でステージを観ているところもあった。

でも、やっぱり、彼の音楽を聴いてると、何故か自分が10代の頃のことを思い出してしまう。だから、あの曲を聴いて半分泣きそうになってる今の少年少女の気持ちに重ね合わせるつもりはないけど、今の自分の中にもちゃんとかつての子供が膝を抱えていることを感じる。

76年に生まれた自分が14歳のころに出会ったのはニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」と「ロードス島戦記」だった。ブラック・サバスも、クトゥルフ神話も大好きだった。退屈だった授業中には、ノートに自作のファンタジー小説を書いてた。深夜に一人ヘッドフォンで爆音で音楽を聴きながらヘッドバンギングしてたりもした。まだ「中二病」なんて言葉がなかった時代のこと。でも、こうやって改めて書いてみると「中二病」そのものだな。





あの頃の自分は、音楽に救われていたのかな。わからない。でも、僕が今になって一つ言えるのは「中二病」というのは、すなわち「ティーン・スピリット」だったんだろうな、ということ。もちろん、誰かを揶揄するために、蔑むためにそういう言葉を使っている人もいる。でも、その頃に自分を揺さぶったものは、その後も数十年にわたって、自分を牽引し続ける。

「カゲロウプロジェクト」の楽曲を聴いていると、そういうことを考えてしまう。


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「閉じた文化圏」の先へ 〜2010年代の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」論 その2

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前回に続いて、今回もRIJ論。今日は長いよ!  

RIJFESDJブース

■「邦ロック界隈」というもの



まず、前回の「ロッキン文化圏」の話、ツイッターでの反応が大きく二つにわかれていて、すごく興味深かった。














大きくわけると、今のRIJや邦楽ロックシーンを巡る状況から離れている30overの層は集合写真の連続に衝撃を受け、レジーさん含めそれを知っている層からは「RIJだけじゃないじゃん」とツッコミが来たということだと思います。その通りなんですよ。「ロッキン文化圏」は別にRIJだけに限った話じゃなくて、その行動様式は今の「邦ロック界隈」の全体に波及している、という。なのでRSRにもアラバキにも、その他いろんなフェスやワンマンにも、ああいう状況は表れているんだと思います。

■ブッキングがもたらす物語性



そして、もう一つの大きな特殊構造はブッキングの持つ物語性。これについては、以下の記事に詳しく書きました。


"ゲーム化"する夏フェスで、Perfumeはいかにして勝ち上がったか - Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2013/08/perfume.html

 RIJの特殊性とは何か? いろんな側面があるが、まず大きな特徴はブッキングがもたらす物語性にある。計6つのステージはそれぞれ大きさが異なり、なかでも6万人収容可能のメインステージのステータス性が非常に高い。そして、多くのアーティストは複数年出場を果たしている。そうするとどうなるか? 出演者に「次はもっと大きな場所で出たい」「来年はもっといい時間帯でステージに立ちたい」という欲求が生じるのだ。実際にMCやインタビューでそういう発言をするミュージシャンも少なくない。例えば、デビューしたばかりの新人バンドはまずキャパの小さなテントに出演し、そこで喝采を浴びて客を集めれば、次はより大きなステージにステップアップする。さらにその次はメインステージに立つ。そうやってバンドが「フェスの場で勝ち上がっていく」風景が可視化される。つまり、RIJは約150組の出演陣がメインステージのヘッドライナーを目指す一種の「ゲーム」として設計されているわけである。


00年代中盤はまだサザンやミスチルや矢沢永吉のような国民的な人気を持つアーティストがヘッドライナーをつとめていた。しかし昨年の2012年に3日間の大トリをつとめたのは、それに比べて世間的な知名度では遥かに下回る3ピースバンドのACIDMAN。それでもチケットはソールドアウト。このことが証明したのは、もはやRIJはヘッドライナーが誰かによって動員が左右される他フェスとは違う盤石の動員体制を築き上げたフェスであるということ。そして、そこのトリをつとめるのは、RIJのお客さんを熱狂させ、主催者側に評価され、「フェスを勝ち上がった」アクトなのである。



もちろん、ステージがどんどん大きくなってそこにファンも高揚するという構造は、他のフェスにもあると思います。いわゆる「BECK」的ストーリーはどのフェスでも生まれているんですよ。

でも、フジやサマソニなどのフェスとRIJとの最大の違いは、「メインステージ朝イチのステータス性」にあって。フジはメインステージの朝イチや昼間にあえてユルい音楽性のアーティストを出演させる傾向があるし、サマソニもメインステージの一発目は無名の洋楽アクトがつとめることが多い。あと、ライジング・サンはオールナイトゆえにヘッドライナーのプライオリティが比較的薄い。

そういうわけで、複数年開催とステージの階層的な構造を前提にした「フェスというゲーム」をここまで徹底的に設計しているのはRIJくらいだと思うんです。端的に言えば、イベンターが作っているフェスとメディア企業が作っているフェスの違いというか。

さて、ここまでのまとめ。RIJのオーディエンスは、「ロッキン文化圏」というものを形成している。その文化は「邦ロック界隈」にも波及しているけれど、それが「音楽シーン」や「日本のバンドシーン」と決してイコールでないのは、たとえばceroやシャムキャッツのようなバンドがRIJに出演してないことからも明らかで、要は僕の見立てとしては、RIJというフェスは「参加したお客さんがどこよりも快適に過ごせるフェス」であると同時に「閉じた文化圏内で行われるゲーム」というものなのです。

■「一体感至上主義」が作り出したもの



そう考えていくと、この現象はやっぱり、以前の記事でも書いた「邦ロックフェスで盛り上がる定番曲のBPM」という話につながっていくわけなのです。

「ロッキン文化圏」にワークする曲調は、ざっくりBPM130〜140代の四つ打ちか、BPM180〜190代のタテノリ。前者では手拍子が打ちやすいし、後者では「オイ! オイ!」のコールを乗せやすい。実は僕はいろんなバンドのステージをBPMカウンターを片手に見てたんだけど、盛り上がるテンポというのがやっぱり決っている。

フェスの現場にいくと大体わかるんだけど、まず暑いんですよ。それにみんな同じロゴのTシャツを着て、タオルを首にまいている。で、集合写真のノリが象徴するように、そこに集まっている人は一体感を得たがっている。音楽をツールにしたコミュニケーションを求めている。アガりたい。手を挙げたいし、コール&レスポンスしたいし、タオル回したい。「一体感至上主義」とも言うべきムードが、自然と立ち現れてきている。そうなると、音楽としての良し悪しとか以前に、そういう環境でワークする曲調って、やっぱり絞られてきてしまう。新人バンドにとってRIJとは「勝ち抜くためのゲーム」なので、30分のステージの間に余計なタマを投げているヒマがない。

もちろん今年出た安全地帯のように、そういう「お約束ごと」を全部ふっ飛ばして歌の上手さだけで持ってっちゃうような人もいる。奥田民生のようなベテランがその「RIJというゲーム」に乗っかっているわけでもない。そういう意味ではフェスの場に一定の多様性は保たれていると思います。

でも、環境やアーキテクチャが音楽性を規定している、一体感至上主義が「閉じた文化圏」を形成しているという面は否めないと思います。

■DJという新しいエンタメ芸



そして、RIJの特殊性を語る上で欠かせないのが「DJブース」という場所なんです。あの場所に起こっていることは、いろんな意味で、他の場所ではなかなか見たことがないです。まず、90年代からのクラブカルチャー、EDMやダンスミュージックのDJをイメージしてあの場所に行ったら、全然違う。

基本的にはロックがかかってる。それも「みんなが知ってる曲」。それがかかるとみんな盛り上がる。翌日や前日にライヴがあるバンドの曲で、みんな盛り上がってるわけです。それも4500人キャパの巨大な空間で。これってどういうことかって言うと、「一体感を得たい」→「みんなが知ってる曲で一緒にアガりたい」→「あれ? バンド居なくても楽しいんじゃね?」みたいな変遷がここ10年ちょっとで起こっているということなんですよ。

ちなみに、これは去年にもう指摘されてる現象でした。

レジーのブログ ロックインジャパンについての雑記4 -で、今年はどーだったの?という話
http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

2012年までフェスのレジデントDJをつとめてきた保坂壮彦さんは、昨年、ブログにこんな記事を公開している。そして、今年はDJとして出演はしてません。

今年は、正直、みんなが、オーディエンスがどのように音楽を捉えて、どのように音楽を楽しんでくれるのか?という、原点中の原点を掴むことが難しかったのが事実です。例えば、“あの曲をかければみんなが踊ってくれる”、とか。“今年は、この曲を自らのキラーチューン、アンセム、として鳴らせば、みんなに届くだろう”、とか。そういう試行錯誤しつつ、プレイしたのですが、自分の思うようにいかない場面が多々ありました。これは、自らの力の無さから来ることかも知れません。そう言ってしまえば、それで終わりなのかも知れません。けれど、それ以外にも、理由はあるなって。ひしひしと感じたわけです。


保坂壮彦日記: 『ROCK IN JAPAN FES.2012』を終えて。
http://allisdayisall.blogspot.jp/2012/08/rock-in-japan-fes2012_7.html

一方、DJブースの「主役」として人気を拡大してきたのが、「DJという名の不法集会」をキャッチフレーズにするポリシックスのDJハヤシや、「他人の曲で大盛り上がり」というキャッチフレーズをTシャツの背中に書いたりしていた凛として時雨のピエール中野のようなミュージシャン勢。共通するのは「DJ=曲をかける人」という定義を逸脱したパフォーマンスが受けているということ。たとえばピエール中野のエアドラムや、DJハヤシのXジャンプ。たぶん最初は単なる悪ノリだったんだと思う。でもそれがオーディエンスの一体感をもたらし、興奮を呼び、ウケたことで、パフォーマンスとして確立されてきた。で、さらにそれを進化させたのが、ダイノジややついいちろうの芸人勢。彼らのDJに特徴的なのは、振り付けや掛け声や、ありとあらゆるパフォーマンスでお客さんを煽ること。「数千人が一斉に◯◯!」みたいな状況を作り、それが「DJという名のエンタメ芸」として進化してきた。

それが去年までの状況。ちなみに8月8日のオールナイトニッポンで、ダイノジ大谷さんは以下のように語ってます。

「アガるというのがRIJのキモなんじゃないかと思ってるんですよね。反面、アゲのインフレが起きちゃっていて。僕とかやついいちろうくんは芸人なんでギミックもあるし、DJのルールと外れたことをやってきてもいいんだけど。そうなってくると、僕達がお客さんを能動的に動かしてしまっているぶん、他の人たちもアゲなきゃいけなくなる。そうなると、みんなが同じ曲をかけるしかなくなっちゃう。共通言語の曲をかけるしかなくなっちゃって。気付いたら、音楽のシェアというよりは、RIJの定番の出演者の、フェスでアガる曲をひたすらプレイするようになった。それが、飽和して過渡期を迎えた時期が今年だったんじゃないかと思います」



■「閉じた文化圏」の先へ



で、ここから本題。

なんで「ロッキン文化圏」と「ゲーム化する夏フェス」という話をしたかって言うと、それが「閉じた文化圏」であって「音楽シーン全体」ではないことを、沢山のプレイヤーが問題意識としてちゃんと捉えているからなのね。

たとえば、UNISON SQUARE GARDENの田淵くんは、そういう「一体感至上主義」に常々疑問を投げかけている人で。ツイッターでも、MCでの発言でも、それは一貫している。僕が書いた記事にも、こんな反応を寄せてくれた。







「フェスで盛り上がるのはのはあくまで一つの選択肢」ということを、そのフェスに出演してオーディエンスをがんがん盛り上げてるアーティストが言っているという。すごく真摯な発言だと思います。そういえば、Perfumeについて書いた記事にも、こんな反応があった。




そうなんです。確かにPerfumeは5年間かけてフェスのヘッドライナーまで勝ち上がった。でも、考えてみたら、もうすでに「勝ち上がった」バンドやアーティストは沢山いて。その人たちはただ単にダラダラと出演し続けているだけなの?といえば、それはもちろん違う。たとえば、くるりの今年のRIJのステージはすごく象徴的だったのです。




岸田くんは、たしかターバンみたいな帽子をかぶって「音楽は世界旅行だから」みたいなことをMCで言っていた。「ロッキン文化圏」のメインを堂々と張りながら、その外側にある音楽の面白さや多様性を見せていくこと。それが「勝ち上がった」バンドやアーティストのモチベーションと「やるべきこと」になっているのが、見て取れたわけで。

考えてみたら、くるりが京都音楽博覧会を開催しているのも、そういう理由なのだと思う。

「あり得ないものを組み合わせることが出来るのが、フェスの面白いところなんです。あり得ないものを組み合わせていくと、あり得ない化学反応が生まれる。お客さんもそれをすごく楽しんでくれています」


朝日新聞デジタル:くるり「あり得ない化学反応が魅力」 おんぱく7年目 - カルチャー
http://www.asahi.com/culture/update/0729/TKY201307290074.html

くるりだけじゃない。氣志團は「氣志團万博」を主催し、やはり「あり得ない化学反応」を生み出そうとしている。

やっぱりありえないことをやりたいんですよ。「この人とこの人が同じステージに立つってありえないよな」っていうのがやりたくて。だからなるべく他のフェスとはかぶらずにいきたいなと思うし、出演者同士の間に生まれる相乗効果、化学反応を大切にしたいんですよね。


ナタリー - [Super Power Push] 「氣志團万博2013 ~房総爆音梁山泊~」特集
http://natalie.mu/music/pp/kishidan03

ASIAN KUNG-FU GENERATIONは10年以上前から「NANO-MUGEN FES.」を主催し、自分たちが影響を受けた洋楽カルチャーとギターロックシーンとの橋渡しをしてきた。

「売れりゃいいや」だと、どんどん土がなくなっていく。そういう時代だから、土作りをみんなでやっていかないと10年語にもっとひどい状況が来るよって思ったんですよ。「NANO-MUGEN FES.」をやり始めるときに。そうじゃないと、俺たち自体も正しく評価されないんじゃないかと思ったんだよね。何もしなかったらアニソンバンドみたいなとこに片付けられちゃうって。そうじゃなくて、俺たちはこういう洋楽を聴いて、こういうルーツがあって、今があるんですっていう。そうやってみんなで世代をつないで回転させていかないと、その回転自体がどんどん小さくなって、最終的に全然力学が働かなくなって、なくなるような気がしちゃって。俺たちは、そういう回転の中で音楽を発表して評価されたいっていう欲があるんだよね」


(『別冊カドカワ』 特別対談 KREVA×後藤正文より)

別冊カドカワremix KREVA×後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION) 特別拡張対談: 1 (カドカワ・ミニッツブック)別冊カドカワremix KREVA×後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION) 特別拡張対談: 1 (カドカワ・ミニッツブック)
(2013/04/25)
KREVA、後藤正文 他

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そして、10-FEETも「京都大作戦」を主催し、自分たちの「仲間」をフックアップしてきた。

最初は休憩したりメシを食ってたりして、俺らの仲間のライブをあんまり観てないお客さんもいたと思うんですよ。でも「さっきやってたヤツら、すごかったで!」って雰囲気になるのが続いて。5、6年経ってようやく「知らないアーティストも観てみよう」っていうムードが定着した。これが俺らが一番やりたかったことなんです。


ナタリー - [Power Push] 茂木洋晃(G-FREAK FACTORY)×TAKUMA(10-FEET)インタビュー
http://natalie.mu/music/pp/gfes/


KREVAだって「908 FESTIVAL」を主催し、ヒップホップのシーンを活性化しようとしている。奇しくも30代なかばから後半、00年代の「邦ロック界隈」の中でサヴァイブしてきたミュージシャンたちが同じようなことを考えているのは、同世代としてはすごく誇らしく思う。

そして、今回のRIJのDJブース。「一体感至上主義」を逆に利用し、また「洋楽で世界を変える」を旗印にしたオールナイトニッポンのパーソナリティとして、「あえてみんなが知らない曲で盛り上げる」ことに果敢にチャレンジし、成功させていたダイノジのDJも、「閉じた文化圏のその先」を見据えたものだったと思う。

RIJFES2013DJブース2

というわけで、「ロッキン文化圏」の話は、とりあえずおしまい。少なくとも痛感したのは、日本のフェス文化は現場のプレイヤーたちの「音楽愛」でちゃんと進化し続けている、ということ。

いろいろ過渡期だなあと思うことは多いけれど、だから、基本的にはすごく楽観的にいろんなことを考えてます。


Tシャツと集合写真 〜2010年代の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」論 その1

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RIJFES2013イメージ


■「ロッキン文化圏」の誕生と定着



ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2013に行ってきました。前回の記事の続きとしては「さあ、どのアイドルが勝ったかな?」ということを書いてもいいんだけど、それ以前にフェスそのものの構造がすごく興味深かったので、今日はその話をします。

僕が行ったのは8/3、8/4の二日間だったけれど、全体的にすごく面白かったのです。レポ仕事なしで行くフェスがこんなに楽しいとは!っていう。最初にちゃんと言っておくと、RIJって、すごくいいフェスなんですよ。トイレや通路の隅々にいたるまで空間全体がきちんとコントロールされていて、ストレスとか環境とかへの不満がほとんどない。かつて自分がスタッフやライターとして関わっていた贔屓目を抜きにしても、本気でディズニーランドのホスピタリティを目指しているんじゃないか?と思うくらい客目線の快適さが徹底されている。でも、感じたのはそれだけじゃなくて。久しぶりに行ったこともあって、かつては全く気付かなかったことが、外側から改めて見たことでクリアにわかった気がしたするのです。

それは何かというと、このフェスはすごく特殊だ!ということ。RIJは、フジロックとも、サマソニとも、ライジングサンとも、その他の数々の邦楽系ロックフェスともちょっと違う独自の力学で動いているフェスだと思うのです。そして、そこに毎年集まるお客さんたちからは、他の場所にはない独自の文化圏が立ち上がっている。特にここ数年の傾向としてそれが定着、拡大しているように見える。

ここでは、「ロッキン文化圏」と、それを名付けてみました。今日はその「ロッキン文化圏」の話。

ちなみに、この「ロッキン」という略語はなかなか面白くて、ツイッターやネット上には普通に出回ってるけれど、公式には決して使われない言葉なのだ。フェスを主催しているのは株式会社ロッキング・オン。そこでのオフィシャルな略称はRIJ。ただ、ユーザー側ではその略称よりも「ロッキン」の方をよく見かける。

一方、ネットには「ロキノン」とか「ロキノン系」みたいな言葉が出回っていて、そちらは同社が刊行する雑誌の『ロッキング・オン・ジャパン』を差す略称。そして、そもそも「ロキノン」という言葉は「毎月ロックシーンに革命が起こってる」雑誌への揶揄や皮肉が混じったネットスラングだったのだが、対して「ロッキン」という言葉が使われるときには、そういう悪意はあんまりない。基本的にはポジティブな意味合いを持っている。その多くがフェスコミュニティへの愛情や帰属意識を伴っている。たとえばツイッターのアカウントに「◯◯@8/2〜4ロッキン参戦!」って書いたりね。

で、その「ロッキン文化圏」とは、どういうものか? 文章でいちいち説明するより、まずは写真を並べれば一発で伝わると思います。以下は「ロッキン」「集合写真」「拡散希望」でツイッター検索して見つけた写真。
















こんな感じの風景が、一日、そこら中で生じているわけだ。ここにいるのは、夏フェスが日本に定着し、レジャーとして消費されるようになったここ10年ちょっとの風景を当たり前に過ごしてきた若者たち。音楽をツールに、こういうタイプの一体感を得るコミュニケーション志向が、「ロッキン文化圏」の大きな土台になっている。

(オズフェストの記事の時にも書いたけど、念のため。基本的な僕のスタンスとして、何かを全力で楽しんでる人に対しては、たとえどんなスタンスであれ、皮肉ったり揶揄したりするつもりはないです。むしろわりと好感を持って捉えてる。楽しそうな人を見たらこっちも楽しくなるしね)

■「ハッピとハチマキ」=「Tシャツとタオル」



で、写真を見れば分かる通り、「ロッキン文化圏」には、Tシャツ×タオルのフェスファッションが完全に定着している。数年前はマフラータオルが流行りだったけれど、ここ最近になって定着したのがフード付きバスタオル。Tシャツの上にそれを羽織るのが定番のファッションだ。しかも、バンドTシャツよりも、フェスのオフィシャルTシャツの着用率が非常に高い。2日目、ちょっと時間が空いた時に数えてみました。実際は228人ほど目測した。




もちろん日や時間帯や場所によっても違うだろうけど、いろんなところで見た感触としては、だいたい6割がフェスTシャツ着用だった。これはほんと、他のフェスではまずない光景だ。年齢層が高く山の中で行われるフジロックではアウトドア系ウェアが多いし、出演陣の傾向がバラバラなサマソニではヘッドライナーによって参加者の様相が大きく変わる(リアーナやピットブルが出た昨年はギャル系ファッションが多かった)。他のイベントやフェスでも、基本的にまず多いのはお目当てのバンドTシャツを着用したファン。普段着のお洒落の人も多い。しかしRIJではそういう人の割合はぐっと下がる。とにかくフェスTシャツが圧倒的に多いのである。

その理由として、今でも記憶に残ってるエピソードがある。数年前、友達の姉妹がフェスに着ていくTシャツの話で言い争いになったという話をきいたことがあった。姉はレディオヘッドを愛する30代洋楽ファン。ライヴにはお洒落していく派。いわく、

「邦楽のロックフェスに行くような客って、なんでみんなしてダサいロゴのフェスT着てんの? バカじゃない?」と。

対して妹はRIJに毎年通う邦楽ロックファン。いわく

「フェスはお祭りなんだから、ハッピ着てハチマキ巻くのが当たり前でしょ? それがTシャツとタオルなんだから、そういう場所でスカした格好しようとするお姉ちゃんのほうが大バカ者だ!」と。

なんかこのやり取りすごく印象的だった。

■キャラクター文化とロックフェスの接近



あと、RIJはスタジオジブリとコラボしているだけあって、コラボTシャツの着用率も高かった。一番多く見かけたのはトトロの顔にロゴをあわせたデザインのTシャツ。トトロをはじめ、いろんなジブリキャラクターが会場に展示されてたりもした。

totoro.jpg


そして、コラボTシャツの流れはジブリだけにとどまらないようだった。今年夏から「rockin' star」という新しいTシャツブランドが立ち上がっていて、そこでは綾波レイやキティーちゃんやスヌーピーなどのキャラクターとのコラボを展開していくという。

rockinstar.jpg
(個人的にはこれ、けっこう衝撃だったな……)

ともあれ、「ロッキン文化圏」にとって、Tシャツというのは非常に重要なアイテムであり、それは単なる衣服というよりも、フェスコミュニティへの帰属意識を表明する大きなメディア=メッセージになっているのだと思う。

まだまだ語りたいことは沢山あるけど、今日はこのへんで!


ロックフェスの「戦場」に躍り出たアイドルたちの夏が始まる

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rijfesイメージ
(画像はROCK IN JAPAN FESTIVAL公式ページより)

■ロックフェスはアイドルにとって「アウェーの場」ではなくなった






こんなツイートをしたのが約1ヶ月前。今日はそこから書いたり観たりしてきた「フェスとアイドル」の話です。

まず、こないだ、こんな記事を朝日新聞で見かけました。

朝日新聞デジタル:アイドルは“アウエー”がお好き 夏フェスに続々参戦 - カルチャー
http://www.asahi.com/culture/articles/TKY201307180417.html

執筆したのは桝井政則記者。お会いしたことないですが、文章から伝わってくる前のめりな熱さがすごいです。実は朝日新聞のアイドル取材班には鈴木京一さんという記者がいて、この人はまさに日本のアイドル史を現場で見てきた生き字引のような人。実は僕もこないだ刊行された『小説トリッパー』の「アイドルの未来、未来のアイドル」という特集でお仕事ご一緒したんですが、そこに掲載されている「客とアイドルの20年史」という文章はめちゃめちゃ面白かった。

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なんだけど、上記の記事には異論があって。アイドルの現場にずっといた人から見たら、まだまだロックフェスは「アウェー」に見えるかもしれないけれど、逆に僕みたいにフェスの現場をずっと見てきた人からすると、特に記事で取り上げられてるでんぱ組.incやBABYMETALにとっては、とっくに夏フェスの場は「アウェー」じゃなくなってるのです。

そのことについては、先日出たばかりの『ミュージックマガジン』の特集「ポスト戦国時代"のアイドル最前線」に寄稿した文章に書いています。そこから引用。

アイドルとロックを巡る状況は、大きく変わった。今年夏に各地で行われる大型野外フェスのラインナップは、そのことをヴィヴィッドに反映している。オズフェストの騒動を最後に、アイドルがフェスに登場すること自体が「事件」だった時代は終わりを告げた。ロック・フェスのお客さんにとって、アイドルの出演はウェルカム。アイドルにとっても、ロック・フェスは「異種格闘技戦」を挑みにいくアウェーの場所ではなくなった。むしろ、それぞれのアイドル・グループがしのぎを削り、シーンの中で勝ち抜くために競い合うような「戦場」になったわけだ。

 その象徴となる大きな変化を打ち出したのがロック・イン・ジャパン・フェス(以下RIJ)だ。3日間の大トリをPerfumeがつとめる同フェスでは、昨年までは片平実などのロックDJがレジデントをつとめていた「DJブース」に、PASSPO☆、でんぱ組.inc、BABYMETAL、BiS、LinQ、アップアップガールズ(仮)、9nine、くりかまきの出演が決定。バンド主体のラインナップを揃えるRIJに多数のアイドル・グループが参加するのは初のこととなる。
 一方、サマソニでは2年連続出演のももクロが出演した "RAINBOW STAGE" に、でんぱ組.incとBABYMETALが決定。さらに、そのBABYMETALが昨年に出演していたお笑い芸人中心の "SIDE-SHOW" には、hy4_4yh、バニラビーンズ、LinQ、ベイビーレイズ、アップアップガールズ(仮)、9nine、7cm、リンダIII世の出演が決まった。

 RIJもサマソニも、まずはサブ・ステージ扱いの場所にアイドル・グループを出演させ、反響や盛り上がりを見て次年度に向けてステップ・アップさせていくのが運営側の心づもりなのだろう。もちろんアイドルの側も、そこで全力のパフォーマンスを見せて勝ち上がっていく意気は満々だ。そこではアイドル・グループ同士の健全な「戦い」が可視化される。しかも前述したように、それぞれのアイドルが展開するのは、歌謡曲やポップスの枠をハミ出した何でもアリのミクスチャーな音楽である。とても面白い状況が生まれているわけだ。




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そういえば、7月21日に北海道で行われた野外フェス「JOIN ALIVE」でBABYMETALのステージを観てきたんだけど、そこでも、まさに上で書いたような状況が生まれていた。この日のBABYMETALは生演奏の本気メタル仕様。「どんなもんか見てやろう」という初見のお客さんも多かったけれど、後半の“ヘドバンギャー”の頃にはフィールド後ろまで飛び跳ねてたし、“イジメ、ダメ、ゼッタイ”では、お客さん同士が全速力でぶつかり合うモッシュ、通称「ウォール・オブ・デス」が生じていた。

で、先週末はTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)でした。僕はフジロックのほうに3日間足を運んでいたので、そちらの様子はわからず。でも、以下の記事によればかなり面白かったみたい。

第73回:「TOKYO IDOL FESTIVAL2013」に今年も行って来た! | DrillSpin Column(ドリルスピン・コラム)
http://www.drillspin.com/articles/view/626


以下の記事を見ると、同日に「アイドルが出演しないロックフェス」のフジロックが苗場で開催されていることで、TIFが「アイドルフェス」として純化している面もあるのかな、と思ったりもする。お客さんがそんなこと思ってるわけはないだろうけど、少なくとも運営側はフジを意識しているみたいだし。

レジーのブログ アイドルと自意識、アイドルの自意識12 - TOKYO IDOL FESTIVALを堪能してきました
http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-87.html


上記のレポでは触れられてないけど、僕が気になってるのは、後藤まりことはまた違った意味で「越境」の存在である大森靖子がどうだったか。動画を見るとアプガとの共演がかなり盛り上がってたみたい。



レジーさんには8月8日にさやわかさんまじえて下北沢B&Bでトークイベントやるので、その時にもTIFの話を聞いてみたいと思ってます。

『アイドルとロックの蜜月』  柴那典×さやわか×レジー | B&B
http://bookandbeer.com/blog/event/20130808_bt/


■BPMから見るアイドル×ロックの親和性



では、この現象はどういうこところから生じているのか。いろんな角度からの検証ができるんだけど、まずは音楽的なところからそれを分析してみると、まず大きいのはBPM。音楽が持つ「リズムの機能」の面で、2010年代以降のロックバンドと今の「フェスに進出した」アイドルは、かなり近い側面を持っているのだ。

だから、「可愛い女の子が踊っている」のと「楽器を持って演奏している」というパフォーマンスのプラットフォームが違うだけで、実際のところは、同じように盛り上がることができる。僕がそのことを痛感したのは、今年5月に行われたMETROCKの時。




で、実はそういう傾向に完璧にあわせてきたのが、でんぱ組.incの「ノットボッチ…夏」。



この曲のBPMは上記の傾向にかなりジャストなんですよ。Aメロ〜BメロがBPM140の四つ打ちファンク。そして、サビでテンポチェンジして、BPM180弱のタテノリ。ダメ押しで「オイ! オイ!」のコールも入ってる。さすがヒャダイン=前山田健一という。
(※この曲の作詞はNOBE、作曲は野間康介(agehasprings)、編曲はヒャダインこと前山田健一)

ちなみに、同じように曲中のリズムチェンジが目立つ曲は、こちらも前山田健一が手掛けた2011年のももクロ「ミライボウル」がある。なんだけれど、こちらはAメロ〜BメロがBPM110のスウィングビート、サビがBPM150の四つ打ち。「ノットボッチ…夏」を踏まえて聴くと、意外と遅いって思っちゃうのだ。

■バンド側からのアプローチ




ヒャダインだけじゃなく、バンドマンがアイドルの楽曲を手掛けることも多くなってきている。最近でいえば、PASSPO☆「妄想のハワイ」。この曲はHAWAIIAN6の安野勇太が楽曲提供&プロデュースをしている。



で、安野勇太はPASSPO☆のライヴを観た感想を、こんな風に語っていたりもする。

なんか熱量がすごかった。ある意味ではパンクみたいなものよりも活気があったかな。ロックバンドのライブでも前のほうは盛り上がってるけど、後ろのほうはおとなしいことが多いじゃないですか。でも僕が観たときは後ろのほうの人たち含めてフロア全体が盛り上がってた。それがすごい心に残ってます。


ナタリー - [Power Push] PASSPO☆「妄想のハワイ」インタビュー (1/4)
http://natalie.mu/music/pp/passpo03

そして、さらにその先をエクストリームに突っ走っているのがBiS。先日には「キング・オブ・ノイズ」として世界に君臨する非常階段と「ノイズアイドルバンド」BiS階段を結成し、アルバムをリリース。その中で戸川純の「好き好き大好き」をカヴァーしている。



すでに共演も果たしている両者。JOJO広重は初共演の様子をこんな風に語っている。

いざ一緒にライブやりますっていうとき、BiSと僕らとお客さんとで特別な空間が作れるなと感じました。エフェクターをバンっと踏んだ瞬間にスイッチが入りましたね。会場も演奏者も全部が一体感を感じる特別なライブって1年に数回しかないんですよ。あれはそのうちのひとつで、去年のベストくらいのライブでした。


アイドル×ノイズの狂宴 BiS階段インタビュー -インタビュー:CINRA.NET
http://www.cinra.net/interview/2013/07/24/000000.php?page=1


あと、曲提供とかはしてないけど、以下の対談を見るかぎり、ピエール中野の暗躍も見逃せない。アイドルグループに「よきお兄さん役」として接することのできるバンドマンって、意外に貴重な存在かも。

ナタリー - [Power Push] BABYMETAL×ピエール中野(凛として時雨)対談
http://natalie.mu/music/pp/babymetal03

ナタリー - [Power Push] 9nine「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2013」インタビュー
http://natalie.mu/music/pp/9nine



ちなみに、こうやってつらつらと書いてきたのとは別の角度の分析で「ロックフェスがアイドルたちの戦場になった理由」というコラムを書いたんだけど、それは次号の『クイック・ジャパン』に掲載される予定です。


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(2013/08/10)
百田夏菜子、ももいろクローバーZ 他

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ともあれ、ROCK IN JAPAN FESTIVALとサマーソニックで、どのアイドルグループが「勝ち抜ける」のか、僕は興味津々なのです。


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