日々の音色とことば:

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日本のロックとボカロとアニソンの「ヨナ抜き音階」な名曲たち

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亀田音楽専門学校

(画像は番組サイトより)
http://www4.nhk.or.jp/kameon/


NHK Eテレの音楽番組「亀田音楽専門学校」、めちゃくちゃ面白いです。ほんと何度も言うけど、これ、特にミュージシャンとか音楽にかかわる仕事につこうと思ってる人は録画必須ですよ。

「おもてなしのイントロ術」、「アゲアゲの転調学」ときて、第三回は「無敵のヨナ抜き音階」。ヨナ抜き音階とは、ドレミファソラシドの「ファ」と「シ」を抜いた5音による音階のことで、これを使うと“和風”な、日本人の情緒に訴えかけるメロディが書けるという内容。詳しくは以下の記事を。

きゃりーぱみゅぱみゅは日本最大の輸出品!? 和の心が凝縮された“ヨナ抜き音階”とは - Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2013/10/post-136.html

「亀田音楽専門学校」のケーススタディをしてみよう〜#03「無敵のヨナ抜き音階」 | たにみやんアーカイブ
http://magamo.opal.ne.jp/blog/?p=1291


というわけで、僕も流れに乗って「ヨナ抜き音階」を効果的に使った楽曲をいくつか紹介していこうと思います。

■くるり、サカナクション、THE BOOMの「ヨナ抜き音階」に込めた狙い



まずは、この「ヨナ抜き音階」を間違いなく意識的に使っているソングライターが、くるりの岸田繁。


くるり - 言葉はさんかく こころは四角

この曲のAメロのメロディ(0:45〜)が、まさにヨナ抜き音階なのです。これはアルバム『ワルツを踊れ Tanz Walzer』に収録されている曲で、つまり、クラシックからの影響を前面に押し出しウィーンに行ってオーケストラと作ったアルバムの中の一曲。そういうヨーロッパ的な背景を持つ曲に、日本的な叙情性を感じさせる(そしてスコットランドやアイルランドの民謡にも見られる)ヨナ抜き音階を使うのが、すごく“粋”だと思います。

本人自らインタヴューで語ってました。

もともと僕はヨーロッパの音楽が好きで、ロックも、イギリスのロックが好きで。前作は、中欧や東欧の和声の積み方を意識的に使いましたし。でもけっきょく、前作も歌っているメロディラインは、簡単なヨナ抜き音階(“ファ”と“シ”がない音階)っていうか、日本の唱歌とかアイルランド民謡みたいな、じつは簡単なメロディが多くて。

くるり② 〈2009/06/10掲載〉 : Excite ArtistMall
http://artistmall.exblog.jp/13400883/


最新シングルの「Remember me」も、(これはヨナ抜き関係ないですが)すごく、いい曲。大好き。


くるり - Remember me (Full Ver.) 【期間限定公開】

続いては、サカナクション。


サカナクション - 夜の踊り子(MUSIC VIDEO)

この曲は、Aメロ(0:15〜)が典型的なヨナ抜き音階。

そして、興味深いのが、ヨナ抜き音階を使っているのがAメロだけなこと。Bメロのラスト(1:07〜)で「♪ドレミファソラドファ〜」と上昇してサビ(1:15〜)は「♪ドドシド ドドシド ドドシドシド」。つまり、サビではヨナ抜きではなく、逆に「シ」(ナ)の音を使いまくってるわけです。

「ヨナ抜きの音階できたメロディが崩れると、僕たちはものすごく“シーンのチェンジ”を感じるんです」


亀田誠治校長が番組で言ってたこの効果を、ちゃんと意図的に狙った曲展開なわけです。ソングライターの山口一郎のインタヴューを紐解いても、「ヨナ抜き音階」(これは唱歌や童謡に特徴的なメロディでもある)とダンス・ミュージックを融合することに自覚的なことがわかります。

この前、日本の童謡集って4枚組を買って聴いてみたら普通にダンスミュージックだったんですよね。踊れるし、4つ打ちも合うし、新しいし。自分たちが今やろうとしてることに近いなって。

ナタリー - [Power Push] サカナクション「sakanaction」インタビュー (5/6)
http://natalie.mu/music/pp/sakanaction05/page/5


そして、もう一つ、強い意図を込めて「ヨナ抜き音階」を使ったロックバンドもいるのです。それが、THE BOOM。

よく知られているように、THE BOOMの代表曲「島唄」は琉球音階を使った曲です。



琉球音階というのがどういう音階かというと、いわゆる「ニロ抜き長音階」。「ヨナ抜き音階」が4度(ファ)と7度(シ)の音を抜いた「ドレミソラ」のに対し、琉球音階は2度(レ)と6度(ラ)を抜いた「ドミファソシ」の5音音階。この音階を使えばメロディが沖縄っぽくなることについては、番組でも触れられてました。

ただし、実は「島唄」には意図して「琉球音階」ではなく「ヨナ抜き音階」を使った箇所が一部だけあるのです。それがBメロ。

ウージの森で あなたと出会い
ウージの下で 千代にさよなら


という部分。ここに使われている「ヨナ抜き音階」は、「沖縄」に対しての「大和(=日本)」を象徴するために用いられているのです。以下は朝日新聞の記事から。

「ウージの森で千代にさよなら」という歌詞は、ガマでの集団自死の悲劇を暗示します。旋律は沖縄音階を基調にしましたが、この「ウージ」の部分だけは日本的な音階に戻しました。「彼らを死に追いやったのは、当時の日本の軍事教育。沖縄音階では歌えない」と宮沢さんは判断したと言います。


asahi.com(朝日新聞社):〈うたの旅人〉海を越えた魂 ザ・ブーム「島唄」
http://www.asahi.com/shopping/tabibito/TKY200906180243.html

こういう指摘もありました。ううむ、深い!

「千代にさよなら」、二番では「八千代の別れ」という歌詞が出てきますが、これが「千代に八千代に」という「君が代」からの引用であることは明らかです


「島唄」に沖縄音階が一部使われていない理由 - ||: フェルマータ :||
http://gyogyo.seesaa.net/article/122033632.html


■もう一つの「和」メロディ=「ニロ抜き短音階」



一方、こちらは亀田音楽専門学校では触れられていなかったけれど、ヨナ抜き音階と同じく、というか場合によってはそれ以上に「和」のテイストを感じさせる音階がある。それがニロ抜き短音階。いわゆるマイナー・ペンタトニックというヤツです。

さっき書いた「琉球音階」は「ニロ抜き長音階」。それに対して、マイナースケールの「ニロ抜き」です。いわゆるメジャースケールで「ニロ抜き」をすると沖縄っぽくなるのに対し、短音階、マイナースケールで「ニロ抜き」をすると俄然「和」のテイストが出てくる。最近で言えば、このニロ抜き短音階を最も上手く使ったロックバンドが、僕はDOESだと思っているのです。


DOES - 修羅


DOES - 曇天


DOES - バクチ・ダンサー

この3曲がやはり代表的。詳しくは以下の記事でも解説しました。

DOESは何が「和風」なのか - 日々の音色とことば:
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-463.html


これがアニメ『銀魂』の主題歌に使われたことがきっかけになって、「ギターロックの曲調 × ニロ抜き短音階のメロディ」=「幕末の世界観」=「“和”のテイスト」というイメージが10代に強烈に植え付けられることになります。

そして、ボーカロイドのシーンを代表する楽曲である「千本桜」も、やはりそのイメージを受け継いでいるわけです。(実際には厳密にニロ抜きではないけど)


黒うさP feat.初音ミク - 千本桜

そして最後はアニソンから。『偽物語』のオープニング「白金ディスコ」。登場人物のキャラクターから「和+ディスコ」の曲調を意図して作られた曲なんですが、これはかなりすごいですよ。AメロからBメロが「ヨナ抜き音階」で、サビは転調して「ニロ抜き短音階」。和を感じさせる二つの音階を駆使してるわけです。

YouTubeにオフィシャルないのでiTunesの試聴リンクを貼っときます。



考察によると「つきひフェニックス」の主題歌だから「フェニックス=不死鳥」→「死なない」→「4,7ない」になった、とか? マジか。

同じく神前暁作曲による「化物語」のOP曲「恋愛サーキュレーション」に

「シ」抜きで? いや 死ぬ気で


という歌詞があって、実際にメロディを採譜してみたら「シ」にあたる音階がなかったりするので、こういう考察が上がったりするのかも。




そういうわけで、「ヨナ抜き音階」の話は、探っていくとなかなか面白い話が沢山あるのです。音楽ライターが全員アナリーゼの教養を持つべし!とは思わないし、僕の知識も知ったかぶりの聞きかじりがほとんどなんだけど、それでも「亀田音楽専門学校」でやってるような話って、音楽を「面白く」語る上では一つの大事なキーになるんじゃないかな、と思うわけです。

■「オトナのコード」としてのm7♭5



ちなみに次回の「亀田音楽専門学校」は「オトナのコード学」とのこと。番組サイトを見たら「メジャー7th」について語るそうな。なるほど。でも、僕にとっては一番「オトナ」を感じるのが「m7♭5」(マイナーセブンスフラットフィフス)のコードなので、ぜひ以下みたいな話もしてほしいな!と思ってます。

──これは僕が知ってる範囲の知識なんですが、中田さんの曲ってm7♭5(マイナーセブンスフラットフィフス)、いわゆるハーフディミニッシュコードとそこに乗っている歌メロがキーポイントのひとつになっているんじゃないかと思うんです。

うわ、まさにそうです。自分でもあのコードの使い手だと思ってるんですよ。

──で、m7♭5のコードに乗ったメロディって、通常のスケールから半音下がりますよね。そこの半音下がっているところが、悩ましさとか狂おしさを生み出す。それが歌の色気につながる。僕は中田さんって、そういうところを感覚だけじゃなくて知識やスキルとして知っている方なんじゃないかと思っていて。

いやあ、鋭いところ突かれましたね(笑)


ナタリー - [Power Push] 中田裕二「MY LITTLE IMPERIAL」インタビュー (1/3)
http://natalie.mu/music/pp/nakadayuji02


東京事変のこの曲なんて、まさに「悩ましくて狂おしいm7♭5」の宝庫だしね!


東京事変 - ハンサム過ぎて

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「音楽を売る」ということの先にあるもの

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■ダウンロード違法化は何だったのか



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僕は数年前から「“CDが売れない”みたいな話で眉をひそめて暗い顔したり誰かを悪者にして指さして騒いだりするのはもういいから、さっさと次のこと考えようよ」ということを言い続けてきたんだけど、今日の話もそんな内容。「そもそも“音楽を売る”って何だろう?ということを考えてみました」という話です。ちょっと長いよ。

まずは、今月初めに報じられたこんなニュースから。ネット上に違法にアップされた音楽や映画などをダウンロードすると刑事罰の対象となるという法律「改正著作権法」から1年たっても、期待されたCDや配信の売り上げ増に結びついていないという話。

音楽の違法ダウンロード(DL)に罰則を設けたのに、1年たっても売り上げが回復しない-。音楽業界からの強い要望を受けて昨年10月から改正著作権法が施行されたが、期待された音楽CDや配信の売り上げ増効果が出ていないことがネットで話題となっている。“見込み違い”はなぜ起きたのか。

違法ダウンロード罰則化 回復しない音楽売り上げが示すもの - ITmedia ニュース
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1310/07/news037.html


ジャーナリスト・佐々木俊尚さんはニュースを受けてこんなツイートをしている。



こんな記事もあった。

 真面目にCDを買ったり、料金を払ってダウンロードする人たちにとっては、違法ダウンロード罰則化は関係のない話。金を出す気がない者たちを対象に罰則を設けても、もともと買う気がないのだから売上につながるはずもなかった。

音楽の違法ダウンロード罰則化でも売れないCD
http://blogos.com/article/71227/


この手の話に関しては、すでにネット上でさんざん繰り返されている反応だが、僕も「知ってた」という感想しかない。一年前、違法ダウンロード刑事罰化が決まったときに書いた記事が以下。

砂を噛むような無力感と、それでも2012年が「始まり」の年になる直感について http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-504.html


上の記事でも書いたけれど、著作権法改正案の参院での参考人質疑のときに、コンテンツビジネス側の久保利英明弁護士は音楽ファンを「総会屋」にたとえている。違法DLの罰則化で萎縮効果は起こっても音楽の売上回復には結びつかないことを津田大介氏に指摘されても「それで音楽から離れていくなら仕方がない、正規品も欲しくない、CDも欲しくないという音楽しか作ってないのなら仕方ないだろう」と語っている。

僕の気持ちとしては、あんなにミュージシャンと現場のスタッフと音楽ファンを侮辱した発言は他にないと今でも思うし、一年前に書いた「ユーザーのことをここまで敵扱いする商売が成功すると思う人の気がしれない」という言葉から、思うことはあまり変わっていない。ただ、あのときは暗澹たる、砂を噛むような気分にもなったけれど、今は不思議と冷静で、どこかポジティブな気持ちでもある。なるようにしかならないんじゃない、という感じ。ネット上の反応は様々だけど、自分としては、CD売り上げの低下という長期トレンドは変わらないし、それを踏まえて現場でいろんな新しい試みが始まっているのを知っているから。これについても、何度か書いてきた通り。

僕は「衰退」にはベットしない。それは意地でも愛情でもなく、すでに現場には「次のことを考えてる」人が沢山いるのを知っているからだ。

■サブスクリプションの普及は何を変えたか



とはいえ、ただ楽観視してるわけにもいかないよなあ、という気もする。それはCDじゃなくて、配信の分野のこと。スマホの普及で「着うた」市場が壊滅してる現状と、それはコミュニケーションツールとしての音楽の地位が奪われたからだ、という分析は何度か書いてきた。

第55回:「聴き放題」だけでは音楽ストリーミングサービスが成功しない理由 | DrillSpin Column(ドリルスピン・コラム)
http://www.drillspin.com/articles/view/571

「LINE Music」はスマホの普及で壊滅した「着うた」文化を蘇らせる - 日々の音色とことば:
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-563.html

去年の夏から今年の3月にかけては、サブスクリプション(定額制)のストリーミング配信サービスが本格的にスタートしている。こちらは順調に売り上げの数字を伸ばしてきているようだ。ただ、その一方でPC/スマホ向けの音楽配信が伸び悩んでいるというデータもある。こちらは「たにみやん」氏による、かなりシビアな分析。

出典:たにみやんアーカイブ
(出典:たにみやんアーカイブ


定額制サービスが伸びているのは分かるんだけど、そこにライトユーザーが導かれていく様が想像できなくて、この統計結果を見るに、もしかして新規のユーザーは音楽配信に大して来てなくて定額制サービスに配信で音楽を買っているユーザーがシフトしてるだけでトータルでの配信利用者はトントンだとしたらただのカニバリゼーションじゃないですか、と。それがホントだとしたらこの流れが進むとトータルで見るとマイナスになる可能性すらある。

違法ダウンロード刑事罰化から一年後の定点観測について補足してみる(音楽業界はどうヤバくてどうヤバくないかの話 Part.3) | たにみやんアーカイブ
http://magamo.opal.ne.jp/blog/?p=1145


確かに、2013年10月現在の日本の音楽配信サービスの現状は、なかなか頭の痛いことになっている。サブスクリプションと既存のPC/スマホ向け音楽配信が食い合っている、というか。そもそも、アメリカやヨーロッパで普及しているフリーミアムモデルのspotifyやRdioと、レコチョクBest!など「月額980円」モデルの日本のサブスクリプション配信サービスは、実は似て非なるものだ。KKBOXも本国台湾ではフリーミアム。

無料でとりあえずアカウントを作ってサービスを使い続けることができるかどうか。それによってサービスの性格は全く異なるものになる。最大の違いは、ライトユーザーを取り込めるかどうか。月1000円払わないとそもそも使えないというサービスは、結局コアな音楽ファンを相手にした発想にしか成り得ない。「いい音楽を作る」とか「啓蒙活動する」という以前の問題で、音楽好きな人以外への間口がない状態だ。

一方、アメリカですでに普及している個人の趣向に特化した形のネットラジオ型サービスPandoraは、ライトユーザーにとっての「音楽との出会い」を用意する導線になっている。楽曲の構造やテイストの分析を元にしたリコメンドを提供することで、ロングテールの玉石混交から「玉」を見つけ出すサービスになっている。そのへんの話を丹念に追っているのが音楽コンサルタントの榎本幹朗さんで、佐々木俊尚さんとの以下の対談記事をはじめ、「未来は音楽が連れてくる」と題した濃密な分析が「MUSICMAN-NET」に掲載されている。以下の発言は、上記の「たにみやん」氏の分析をあわせて考えると、ほんと同意。

現在の音楽配信を見ていると、30代〜40代の男性はCDをいっぱい買うということでそこへ向けてマーケティングをしているようです。定額配信が当たらない理由のひとつです。その人たちはもうCDで満足してるんです。新市場を創ろうとしてるんですから、音楽にお金を使わずYouTubeで満足している非消費者層へぶつけていかないといけないんです。

「未来は音楽が連れてくる」佐々木俊尚氏 × 榎本幹朗氏 特別対談【前編】 | Musicman-NET
http://www.musicman-net.com/SPPJ01/54.html


この現状はほんと変わるべきだと思う。ただspotifyの日本上陸も噂されているし、

今年の終わりぐらいにはプランナー稼業のフィードバックも、社会に現れてくると思っています。


と榎本さんも言っているので、まずはその予言を信じようと思う。

■クリエイターが報酬だけで生活していく未来



で、ここからはニコニコ動画の話。

海外の音楽サービスにはSpotifyやPandraがあって、権利の壁をちゃんと乗り越えてそれが日本に入ってきたらいろんな状況が変わるんだけどなあ、みたいなことを思ったりもするけれど、一方で「日本にはニコニコ動画があるじゃん」ということを考えたりもするわけだ。

ニコニコ動画は無料でアカウントを作ることができる。そこでユーザーを獲得して、月500円のプレミアム会員へと誘導している。それってつまり、Spotifyと同じフリーミアムモデルなわけです。

さらには、そこから得られた収益を再生数に応じてアーティストに分配する、「クリエイター奨励プログラム」という仕組みもある。Spotifyも得られた収益をアーティストに分配するプラットフォームの仕組みで、そうを考えると(もちろん音楽と動画という大きな違いがあるとはいえ)、Spotifyをニコニコ動画を並べて位置づけることもできるはずだ。

ニコニコ動画の「クリエイター奨励プログラム」の現状については、以下の記事が詳しい。

ドワンゴ、「クリエイター奨励プログラム」総支払い額6億円に 1000万円以上は7人 - ITmedia ニュース
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1310/03/news105.html

それを受けて、以下のニュース記事にコメントしました。そこから引用します。

「今年初めに、自らニコニコで『生放送』を行っているロンドンブーツ1号2号・田村淳さんと川上量生会長の対談取材を担当したのですが、そこでお二人が話していたことが印象的でした。田村淳さんは、吉本興業の芸人は全部で6000人くらいいて、そのうち食べていけるのは300~400人だと話しています。テレビに頼らずとも自前の劇場を持っていることでそれだけの数の芸人が定期的な収入を得ることができるわけです。一方、川上量生会長は今後数年でニコニコの収入だけで暮らしていける人を数百人規模に増やしたいと言っている。つまり、スケールの話として考えると、数百人のクリエイターが報酬だけで生活していくことができる状況というのが、一つの分岐点になる。そうなれば、吉本興業がお笑い文化のプラットフォームとして成立しているように、『ニコニコ動画』がネット文化の発信源として、安定したプラットフォームになりうるということです。現状では選ばれた数少ないユーザーだけがチャンネルを持てるという状況ですが、この人数はどんどん拡大していくでしょう。一般のユーザーがクリエイターになれるのがニコニコの大きな特徴なので、ミュージシャンに限らずニコニコで生計を立てる表現者は増えていくと思います」

「ニコニコ動画」クリエイター支援強化へ ボカロPらの創作と収入はどう変わる?(1/2) - Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2013/10/p-1.html


ドワンゴの取り組みが成功するならば、ニコニコで生計を立てる表現者は今後さらに増えていくはずだ。

ニコニコ動画だけじゃない。YouTubeにだってその仕組みがある。動画中に掲載される広告により収益を得ることができる「YouTube パートナー プログラム」の収入で暮らしている、いわゆる「YouTuber」と呼ばれるクリエイターも徐々に登場してきている。その仕組みは以下の記事に詳しい。

「YouTuber」と彼らを支えるYouTubeの仕組みとは? - たのしいiPhone! AppBank
http://www.appbank.net/2013/08/11/iphone-news/649634.php

YouTubeの収益化プログラム、日本のユーザー収入が3年で4倍に 「それで生活している人もいる」 - ITmedia ニュース
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1207/30/news099.html


記事中ではあまり触れられていないが、YouTube全体の再生数に占めるミュージックビデオの割合を考えれば、収入を得ているクリエイターの中にはミュージシャンも相当数含まれるはずだ。

もちろんそれが「安定した」仕事かどうかはわからない。でも、少なくとも、ボカロPとして音楽を作ったり、「歌ってみた」や「踊ってみた」を投稿したり、イラストを描いてpixivに投稿したり、動画をYouTubeに配信することで「収入を得る」ことのできるクリエイターは、ほんの10年前には存在すらしなかった。00年代に登場した新しいプラットフォームが、それを可能にした。音楽だけでなく、好きなことをネットで配信して、それを稼ぎに繋げるタイプのクリエイターは、おそらくこの先も増えていくはずだ。

■「守るべき仕組み」と新しいプラットフォーム



さて。

ここで話はようやく最初に戻る。一般社団法人日本レコード協会の広報部部長・袴俊雄氏は、今回の違法ダウンロードへの刑事罰適用について、こんなコメントをしている。

「もともと今回の法改正は、著作権を守ろうという啓蒙活動のひとつであったと思います。著作権というものは、クリエイティブに関わる人にコストを還元し、新しいクリエイティブにつなげるためにある。その仕組みを守っていくことが、われわれの使命です。守るという行為を怠れば、最終的にはアーティストに対するフィーがどんどん失われていきますし、みんながタダでダウンロードしていたら経済行為が止まってしまいます。その未来は避けなければならない」

違法ダウンロード刑事罰適用でもソフト売上伸びず…日本レコード協会に見解を聞いてみた(1/2) - Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2013/10/post-114.html


「著作権というものは、クリエイティブに関わる人にコストを還元し、新しいクリエイティブにつなげるためにある」。その通りだと思います。僕自身だって、アーティストが心血注いで作ったものが無料で何でも手に入る未来を待ち望んでるわけじゃない。そのせいでアーティスト自身が疲弊して、クリエイターによる自由な表現が少なくなっていくというのは、現場もファンも、誰も喜ばない。好きなことやって稼いで食っていける世の中のほうが全然幸せだ。

その上で、数字を見てみる。日本の音楽ソフトパッケージの2012年の総生産金額、つまりメジャーやインディーあわせた全てのレコード会社のCDやDVDなどの売り上げが3108億円。その売り上げ額の1%〜数%、つまり数十億円がアーティスト印税としてミュージシャンに支払われる額になる。この数字は10年前と比べると半減している。

一方、ドワンゴグループの連結売上高は362億円(2012年9月期)。2013年9月期の売り上げは第三四半期を終えて微減のようだが、プレミアム会員は200万人を越え、収益は大きく伸ばしているようだ。「クリエイター奨励プログラム」の総支払い額6億円はそこを原資にしている。

みんながタダでダウンロードしていたら経済行為が止まってしまいます。



はたして、それ、本当なのかな? 

業界の先行きがどうとかってことよりも、僕が大事に思うのは、クリエイティブに関わる人がちゃんとその報酬を受け取ってハッピーに暮らしていけること。相対化して考えると、CDパッケージというのは(とても優れた)そのための一つのプラットフォームでしかない、とも考えられるわけです。そして、そのことに気付いている人も、沢山いると思う。

そんなわけで。頭を抱えるようなこともあるけど、まだまだ今は過渡期だし、いろんな可能性の種がこの先に芽を出す予感は、相変わらずしているのです。


ボーカロイドと「死」の境界線

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THE END_Official Site
(画像は『THE END』オフィシャルサイトより)


■「いないけど、いる」という感覚



なんだか久しぶりになってしまった。今日はボーカロイドと「死」について。5月に渋谷慶一郎+初音ミクによるボーカロイドオペラ『THE END』を観てから、いろいろと考えてきた話です。

まずは、初音ミクの「実在感」に関してから。

今年の夏、僕は二つのコンサートを観に行った。「HATSUNE Appearance 夏祭初音鑑」と「マジカルミライ」。どちらも、すごく刺激的な体験だった。



HATSUNE Appearance 『夏祭初音鑑』
http://angelproject.jp/


まず「夏祭初音鑑」。印象的だったのが、初音ミクなどのボーカロイドキャラクターに照明が当たり「影」ができていた、ということ。

半透明のディラッドボードに映像を投影する技術自体は、それだけではもはや斬新なことではないのかもしれない。それでも「夏祭初音鑑」のミクには、今までにない「実在感」があった。3Dホログラムとプロジェクションマッピングを同期させた演出だという。詳しい技術的なことはよくわからない。ただ、初音ミクや巡音ルカや鏡音リン・レンの向こう側に影が見えることで、そこがステージ上であることが強く意識される。もちろんそれはプログラムされた映像なんだけれど、歌って踊るミクが確かにそこに「いる」感覚がある。



「マジカルミライ」は生バンドによる演奏だった。僕が取材したのは、昼の部のU-18優先公演。ステージ中央の巨大スクリーンに初音ミクらボーカロイドキャラクターが投影され、その上段にバンドメンバーが演奏するというセット。後で知ったんだけど、サウンドプロデューサーは江口亮さんだった。今は活動休止してしまったSchool Food Punishmentのプロデューサー。そのヴォーカルだった内村友美さんがコーラスに参加。その他のバンドメンバーも高間有一(Bass)、城戸紘志(Drums)、PABLO(Guitar)、五十嵐勝人(Guitar)、野間康介(Keyboard)という本気のメンツ。ちなみにこちらがリハーサル風景。



特に、僕が「うぉ!」と思ったのは、wowaka「アンハッピーリフレイン」をプレイした時だった。生バンドの2人のギタリストが、上段から降りてステージ上手と下手で客を煽る。その中央にギターを手にスタンドマイクで歌うミクがいる。おぉ、トリプルギターだ。直感的にそう感じ、いやいや、と思い返す。

その瞬間、人間とキャラクターの、リアルとヴァーチャルの境界線が溶けてた。それを認識した時にくらくらした。「実在」が揺らぐ感覚があった。

しかも、よくよく考えたらフロアにいるのはほとんどが中高生だ。なかには小学生もいる。僕はいいおっさんで、数年間で少しずつ技術が進歩して今に至ったことを知っている。「ここまで来たか」的な感慨もある。でもこの場所にいる子たちにしてみれば、これがコンサート体験、ライヴ体験の「前提」になるわけだ。すごい時代が訪れていると素直に思う。

同じようなことを、コンサートに映像演出で参加し、Bunkai-Kei recordsの主宰の一人でもある矢向直大さん(@yako_flapper3)が書いている。

Thinking note: 初音ミクコンサート「マジカルミライ」を体験して感じた存在への境界
http://naohiroyako.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html

ネット記事での反響にはこういうものもあった。30代後半、それまでボーカロイドを全く知らなかった人がTV番組をきっかけに「マジカルミライ」を観て感じたこと。

ミクさんはバーチャルな存在だけど、こうしてステージ上にいきいきと存在しているということは、リアルな存在でもある訳で……? そして、ミクさんは人間ではないにせよ、命のない存在だと断定してもいいのだろうか? 実体はなくとも、ミクさんに魂は宿ってそうだし……。


「現実ってなに? 命って? 魂って?」初音ミクを見て考えたこと - messy|メッシー
http://mess-y.com/archives/2922


2007年からボカロ曲を聴き続け、そのリスナーとしての体験と個人史をブログに書き記しているコバチカさんは、2011年のLAで目撃した「ミクノポリス」の興奮をこんな風に綴っている。

彼女はCGでした、合成音声でした、でも彼女が去っていく時、全員が切ない気持ちになりました。もっとここに居て、歌を聴かせて欲しいと願うようになっていました。

渡米する前に歴史的瞬間を目撃してやると息巻いていましたが、まさか本当に人類史に残るレベルの歴史が誕生するとは思ってませんでした。

人の形をした人ではない者、いないはずの者に対する人間の認識や感性の変遷を調べる際、ミクノポリスは必ず参照されるはずです。


ボクボカ第125回「ミクノポリスとミクの歌」 - ボカロとヒトのあいだ
http://d.hatena.ne.jp/cobachican/20130525


いないはずだけど、いる。生きてるように感じられる。

そのことは、すでに沢山の人が語ってきた。上記のマジカルミライの記事にも「初心者だな」とか「今さら騒ぐのは温度が違う」みたいな反応があったりした。でも、世代が入れ替わりながら常に「入門」が続くのがボーカロイドのカルチャーだ。今も、この先も、この感覚は人の心を揺さぶり続けるんじゃないかと思っている。

■「あの子の命はひこうき雲」



「いる」と「いない」の境界線の揺らぎは、そのまま「生」と「死」の境界線の揺らぎに繋がる。というわけで、ここからはボーカロイドと「死」に関しての話。まず、最近すごく心に刺さったのが、以下の記事だった。6月にご夫人を亡くされた松尾P(松尾公也氏)が書いたブログ。

追悼コンサート「Concert for Tori-chan」と妻音源「とりちゃん」:CloseBox and OpenPod:ITmedia オルタナティブ・ブログ
http://blogs.itmedia.co.jp/closebox/2013/09/concert-for-tor-05ec.html


松尾P氏は、歌声合成ツール「UTAU」を用いて、生前にご夫人が残した歌声から構築したUTAU音源「とりちゃん」を制作している。以下の動画は、その「とりちゃん」が歌う荒井由実「ひこうき雲」。


妻が残してくれた3曲分の歌声から構築したUTAU音源「とりちゃん」に、荒井由実カバーを歌ってもらいました。(略)すばらしいツールの存在に、心から感謝を。おかげで残りの人生でやることができました。



僕が心を打たれたのは、UTAU音源「とりちゃん」が歌うことによって、この曲の歌詞の言葉に今までにない新しい意味が立ち上がってきているということ。そのことが、ものすごく胸に迫ってくる。ちょっと泣きそうになるくらい。

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも若すぎたと ただ思うだけ
けれど しあわせ
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲


(荒井由実「ひこうき雲」)


歌の「ことば」には、誰がどんな場面で歌うかによって、まったく違う意味と切り口が付加される。だから、時代を超えて歌は歌い継がれる。僕らはそのことをよく知っている。そして、はからずも映画『風立ちぬ』が明らかにしたように、「ひこうき雲」はそういうタイプの曲だ。

そのことはよくわかっているけれど、そして、松尾P氏もそのご夫人も個人的には全く面識はないのだけれど、それでもこの歌は心を打つ。UTAU音源「とりちゃん」が「あの子は死ぬ前も 空を見ていたの」「あの子の命はひこうき雲」という言葉を歌うのを聴くと、理屈じゃなく、なんだかどうしようもなく胸が締め付けられるような感覚に包まれる。

おそらく、一つの愛の形なのだと思う。

■創造をもって死を乗り越える、ということ



そして、『THE END』。



文脈もスケールも違うけれど、これも、やはり「ボーカロイドと死」がテーマの作品だった。本当に心を揺さぶられた体験で、あれからしばらく、その時に感じたことをうまく文章にすることができなかった。

電子の要塞化されたデジタルな環境の中で
「わたしは死ぬの?」と自問するミクの旅が始まります。
ここでは「死とは何か?」「終わりとは何か?」といった
伝統的なオペラでみられる悲劇の構造を初音ミクを媒介にして
現代に読み替えるという試みがなされています。

ボーカロイドオペラ『THE END』オフィシャルサイト
http://theend-official.com/


中盤、ミクが「会いたかった」と言う。英訳は「I miss you」。そこで、気付く。ここの「会いたかった」は、「もう会えない」と同義だ。

渋谷慶一郎さんは、5年前に奥さんのマリアさんを亡くされている。そして、2009年には『for maria』という作品を発表している。おそらく『THE END』も、そこから続く作品なのだと思う。


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(2009/09/11)
Keiichiro Shibuya

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とはいえ、『for maria』と『THE END』は、音響的にはまったく違う方向性を持った作品だ。『for maria』は、「まるでそこで誰かがピアノを弾いているように聴こえるCD」というコンセプトのもと作られたアルバム。そのため、ピアノの弦の軋みやタッチ・ノイズに至るまで高音質で収録されている。一方、『THE END』は、オーチャードホールに8トンのスピーカーを持ち込み、すさまじい重低音で電子音のノイズを鳴らすことを意図した公演だった。極限まで「パーソナルに音を響かせる」ことを追求した『for maria』と、「爆音でぶっ飛ばす」ことを意図した『THE END』。目指しているものは真逆だ。でも、音響が作品の主題自体と深くリンクしていることは共通している。

特に素晴らしかったのが終盤だった。ミクが縦横無尽に空を舞うシーン。着てた服が震えるくらいの迫力。とんでもない高揚感に包まれる。そして、「終わりのアリア」。



死んでるように見える?
それとも眠ってると思う?
それはあなたが決めればいい
どっちもそんなに変わらない

ホワイトアウトはエフェクトじゃない (「終わりのアリア」)



今でも覚えている。オーチャードホールで、この「終わりのアリア」の「ホワイトアウトはエフェクトじゃない」という一節を聴いたとき、本当に胸を鷲掴みにされたような気がした。ホワイトアウト、つまり「光があふれて何も見えない」というのは、単なるエフェクト効果じゃなくて、「生」と「死」の境界線が溶けている世界のことを示す。そしてそれは、『THE END』において、8トンのスピーカーによる服が震えるほどの音響体験(=音によるホワイトアウト)と作品の主題自体が密接にリンクしているということの、強い宣言でもある。

『for maria』で「まるでそこで誰かが弾いているように聴こえる」ことが作品の主題に強く結びついていたのと同じく、でも効果としては全く逆の方向性で、『THE END』には爆音が必然として必要だったのだ。

そして、「終わりのアリア」の後半。「触れない」「話せない」「聴こえない」「見えない」と、ミクは歌う。あらゆる感覚と行動に対しての否定形の描写が繰り返される。死んでしまった人には、話しかけることができない。触って体温を確かめることも、手を握ることも、できない。しかし、その断絶を越えて、ミクは「忘れない 忘れない 忘れない 忘れない」――と歌う。

僕は、この「終わりのアリア」を、すごく純度の高い「祈り」の歌として聴いた。そしてこれは、「いないはずなのに、いる」初音ミクだからこそ歌える歌だったのだと思う。

渋谷慶一郎氏は、『THE END』の国内公演を終えた6月にこんな日記を記している。


4年前に震える指でfor mariaを弾いていたのが
今年はTHE ENDまで辿りついた。
どれもきみがいなかったら出来なかったことだ。
ありがとう。

創造をもって死を乗り越えるという5年前の決心を僕は実行しつつある。
限りなく完全な愛に近いとTHE ENDを観た人に言われたけど、
それを可能にするのも死だということも僕たちは知っている。
それは全然悪いことじゃない。

ここからどこに行くのか見守っていてほしい。
見守る、というのは違うな。上から観て面白がっててほしい。
僕も楽しんでいるから。じゃね、また。


http://atak.jp/diary/201306


11月には、フランス・パリのシャトレ座で『THE END』公演が行われる。
http://chatelet-theatre.com/2013-2014/the-end-en


19世紀からオペラの歴史を彩ってきた伝統的な劇場で、しかも20世紀初頭にはコクトーとピカソとサティのコラボによる革新的な公演が行われたシャトレ座で、このボーカロイド・オペラが上演されることの歴史的な意味合いも大きいと思う。

すごく楽しみです。


初音ミク V3初音ミク V3
(2013/09/26)


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