日々の音色とことば:

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書評『キュレーションの時代』佐々木俊尚

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キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
(2011/02/09)
佐々木 俊尚

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“そもそも私たちは、情報のノイズの海に真っ向から向き合うことはできません。”(P204より)



とても興味深く、大きな刺激を受けた一冊。僕が音楽について書きながら、ここ2~3年で感じてきたこと、考えてきたこととも大きくリンクする内容だった。ミュージシャンを始め、表現に携わっている人ならば、共感する人はきっと非常に多いと思う。

本書には、ここ数年で爆発的に拡大した「情報の洪水」以降のコンテンツのありようについて書かれている。ネットの普及から15年、これまでマスメディアが独占していた情報流通の経路は大きく変化した。今は個々の人間が情報を発信し、これまでとは比べものにならないほどの量の情報が、しかも多方向的にやり取りされるようになった。その情報の海の中では、何に価値があるのか、何が自分にとって大事なものなのかを判断するコストが膨大になってくる。だからこそ、それをガイドしてくれる「キュレーター=案内人」という存在が重要になってくる。

とはいえ、決して著者のような有名人、アルファブロガーのような人だけが「キュレーター」なのではない。自分の興味や行動にタグを付けたり、それをソーシャルネットワーク上で発信したりすることで、誰しもが他の誰かにとっての「キュレーター」になりうる。ここが本書の主張のキモだと思う。

僕がこのブログを立ち上げたのは、2008年の最初のこと。その時に持っていた問題意識を、「終わりの始まりのあとに」という記事で、こう書いた。

“フラット化した場所から「聴きたい音楽」「(自分にとって)いい音楽」をどうやって探し出すか。amazonもITMSも、俯瞰でみれば広大な砂漠のようなものである。
(中略)
レーベルや音楽メディアは、そういう広大な砂漠において「水脈はここにありますよ」ということを大声で喧伝することを商売にしてきた、とも言える。水脈はやがてオアシスになり、多数の人がそこに集う。そうして、集まった人たちに水を売ることで商売は成り立つ。オアシスという言葉を「音楽シーン」と言い換えてもいい。けれど、資源だと思っていた水=コンテンツは複製が容易なおかげですでに売り物ではなくなり始めている。さあ、どうしよう? ……というあたりが、ここ数年の状況なのではないかと僕は思っている。”



あれから3年。現時点で、一人のリスナーが「聴きたい音楽」に辿り着くための最良の方法は、「自分は◯◯が好き」「◯◯っていいよね」と能動的に発信していくことになっている、と思う。メディアが大声で喧伝した情報よりも、自分が発した「◯◯っていいよね」に反射する誰かの呟きのほうが、よっぽど有用になっている。

とはいえ、僕は「音楽メディアが役割を終えた」とは1mmも思っていない。マスの情報発信ではなく、きちんと現場の熱気を共振させるツールになる自覚のある音楽メディアは、一人一人の聴き手にとっても、読み応えのある、面白いものになっていると思う。「キュレーター」という言葉を聞いたときに真っ先に思い浮かべた「All Tomorrows Parties」を筆頭に、フェスや数々のイベントの現場もメディアとして機能し、音楽というコンテンツにコンテキストを与える場所になっている。

それもあって、音楽と聴き手のつながり方は、もはや“ジャンル”とか“◯◯系”というような枠組みで区切れるようなものじゃなくなってきている。これは何度も書いてきた「YouTube以降」の価値観。邦楽だって洋楽だって、ボカロだってワールドミュージックだって、70年代だって10年代だって、全部フラット。もちろん閉じた島宇宙と差異化ゲームはまだそこら中であるけれど、リスナーの一人一人は音を聴いた感覚で良し悪しを判断するようになっていると思う。で、僕が音楽について原稿を書くときには、そういう聴いた時の感覚、「◯◯って、なんか、いいなあ」と感じたときの「なんか」を言語化することを目がけている。


そして、この『キュレーションの時代』という書籍に書かれていることは、ここ最近僕が考えていた“「最近日本から寛容さが失われている」のは何故か ”ということ、ともリンクしている。不寛容ばかりが目に付く状況、その閉塞感を乗り越えるヒントの一つにもなっているような気がする。これについては自分のツイートの引用から。

先日まとめた「寛容と不寛容の問題」(http://togetter.com/li/98366)を乗り越える一つのキーになるのではないかと思いながら『キュレーションの時代』(http://amzn.to/h82aPe)を読んでいる。less than a minute ago via web



「信頼できる人」というフィルタリング機能をうまく使うことができれば、ポジティヴなフィードバックの情報流量と共鳴を多くして、目につきやすい悪意や中傷などのネガティヴな発言を埋もれさせることができるのではないか、と。less than a minute ago via web



情報のノイズのおかげで凹んだり疲れてしまうような時は、耳をふさぐのではなく、むしろ「信頼できる人」をフィルタにしてポジティヴな情報の流量を増やすことでS/N比を上げるのもいいかもしれない、と思うようになった。less than a minute ago via web





というような、いろいろな意味で、自分にとってはすごく力になったと思える一冊。あと、最後にもう一つ。

「誠実であること」が、これからの“生きやすさ”のキーになっていくんじゃないか、と思っている。思ってもいないことを書き散らしたり、裏で舌を出すようなことは、先々において自分を苦しめるのではないか、と思っている。



以前僕はこう書いた。それは自分にとって指針の一つになり続けている。だから、本書の中にこういう一節を読んだときは、なんだか勇気づけられる気がして、少し嬉しかった。

ネットで活動するということは、つねに自分の行動が過去の行動履歴も含めてすべて透明化され、検索エンジンにキーワードを一発放り込むだけでだれにでも簡単に読まれてしまう。そういう自分をとりまくコンテキストがつねに自分についてまわってしまう世界なのです。
これはテレビのコメンテーターのような無節操な人たちには恐ろしい世界に映るでしょう。でも逆に考えれば、きちんと真っ当なことを言って世界観を一貫させて語っていれば、つねに自分の信頼をバックグラウンドで保持できる安定感のある世界であるということも言える。くだらないパッケージをかぶせたりしなくても、ちゃんと語っていればちゃんと信頼される世界なんです。(P207より)




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