日々の音色とことば:

移転しました。新URLはhttp://shiba710.hateblo.jp/です。ここは更新されませんがアーカイブを置いておきます
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「そんな場合じゃない」という時にこそ、音楽が鳴っていてほしい

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くるりのニューアルバム『坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)』を聴いている。とても素敵な音楽で、そして時代というものにとても誠実に向き合った表現で、本当はそのことについて書こうと思っていたんだけれど、今日は、取り急ぎ、別の話。


■中国の情勢と公演中止について



尖閣諸島の問題に端を発する中国の情勢の悪化を原因に、いくつかのアーティストの中国での公演が中止になっている。

ナタリー - KREVA、現地情勢を考慮し香港公演中止を発表
http://natalie.mu/music/news/76666

9月22日に開催予定だったKREVAの香港公演が中止となることがアナウンスされた。

今回の公演は9月20日の台湾公演とあわせ、アジアツアー「KREVA LIVE in ASIA」の一環として開催が予定されていたもの。しかし行政と現地主催者側の指導を受け、昨今の日中関係および香港の情勢を考慮した結果、観客の安全確保の観点から中止の決定に至ったという。KREVA側は時期を改めての香港公演実現に意欲を見せている。

なお20日の台湾公演は予定どおり行われる。



ナタリー - world's end girlfriend中国ツアー中止に伴い国内公演
http://natalie.mu/music/news/76677

9月29日から10月4日にかけて予定されていたworld's end girlfriendの中国ツアーが全てキャンセルとなった。このため、代替公演として10月5日に東京・WWWでワンマンライブ「We Couldn't Go」が行われることが急遽決定した。

北京、上海、武漢、広州で行われる予定だったwegの中国ツアー。しかし興行ビザが取得できず、また反日デモが拡大している現在の状況から大きなフェスへの出演は危険と中国サイドが判断したため、今回は全公演キャンセルとなった。



とても残念だけれど、こういう事態になっている。懸念されていた「九一八事変(柳条湖事件の中国側呼称)」の9月18日は過ぎたが、おそらくこの先もしばらく緊迫感のある日々が続くだろう。

ただ、あくまで排他的な熱狂と攻撃性の興奮に煽られているのは一部の人達なんじゃないかと思っている。日本でも(そして中国でも)、落ちついた冷静な態度を取ろうと心に決めている人は多いのではないだろうか。敵対心に噴き上がっているのはきっと一部の人達だと信じている。

以下の記事にこうある。

中国に対して理性的な態度を取るといっても、どう取ったらいいのか分からない人のために
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/09/post-6e06.html


戦争にならないように願いましょう。外交や、国民としての態度をもって、領土を譲る以外のあらゆる平和的、外交的手段が講じられるように、礼を失さず日本人として然るべき態度で中国人と接し続けることを誇りとしましょう。

 危機が去ってから、教訓を得て国民全体で議論しましょう。

 それまでは、これは有事であると弁えて、問題に対処する人たちの妨害とならぬよう、国民一人ひとりが考えて行動しましょう。



異論はない。ただ、言葉の重みは、ずしりと感じる。「戦争にならないように願いましょう」。「これは有事であると弁えて、国民一人ひとりが考えて行動しましょう」。

有事、か。僕はそんな時だからこそ、音楽のことを考える。

■戦争に反対する唯一の手段は



まだ居ないようだし、そんなことを言う人が誰も居ないことを願っているけれど、もし状況が悪化したら、きっと「こんな時に音楽なんか聴いてる場合じゃない」なんて言い出す人が出てくるだろう。音楽じゃなくても、お笑い、映画、マンガ、アニメ、いろんな類のエンタテインメントについても、きっとそうだ。

今はそんな場合じゃない。有事なんだから。

眉をひそめながら、都市生活者が自分の生活の中での楽しみや、息抜きや、よろこびや、そういうものを享受しようとすることを萎縮させようとする人が出てくるだろう。

何故僕がそう予測するかというと、震災の後に、やはりそういうことを言った人が居たから。名前は挙げない。でも僕はその時からずっと思っている。

きっと、そういう人は、戦争をしたくてたまらない人なのだろう。

小西康陽は、コラム集『ぼくは散歩と雑学が好きだった』に収録された「人が楽しく毎日の暮らしを営んでいるところ」というコラムで、以下のように書いている。僕がとても好きな一節だ。


ぼくが大人になって選んだ仕事は音楽で、他人に楽しみやよろこびを与える仕事だと信じているのですが、戦争などが起きるとまずいちばん先に切り落とされてしまう職業であることも覚悟しているつもりです。

「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」

これは吉田健一氏の言葉です。ルネッサンス、という思想をこれほどわかりやすく言葉にしたものが他にあるでしょうか。この言葉を懐に抱いた建築や建築家、政治や政治家、教育や教育者がいつかは現れるとぼくは信じています。

話が大きくなってしまったような気がしますが、ただ毎日を楽しく、という話です。そしてそういう暮らしを営む人が集まるところが美しい街だと思います。



同じコラムの中で、小西康陽さんは、こうも書いている。

世界中どこへ行ってもレコード屋さんと本屋さん、夜には美味しい食事とお酒があるレストランがあれば、そこは僕の好きな街、ということになります。

そう、ぼくは人間が人間としての生きるよろこびを享受できるところこそが都市だと考えているのです。



僕はこの小西康陽さんの考えに同意する。

たとえば格好いい音楽を聴いて胸を熱くしたり、美味しいものを食べたり、お酒を飲んだり、アイドルについて口角泡を飛ばして語り合ったり、本やマンガを読んだり、映画に没頭したり、芸人のトークに腹を抱えて笑ったり。

そういう「毎日の生活を楽しくしていくための沢山の些細なこと」こそが、社会の内圧が高まり「そんな場合じゃない」という気分が蔓延していく時にこそ、僕はとても大切なものだと思っている。僕にとって、その大きな一つが、音楽。

冒頭に書いたように、すでにいくつかの、音楽が鳴り響くべき機会が「まずいちばん先に切り落とされて」しまった。

だからこそ。



ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008
(2008/03/07)
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