日々の音色とことば:

移転しました。新URLはhttp://shiba710.hateblo.jp/です。ここは更新されませんがアーカイブを置いておきます
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僕らは「サード・サマー・オブ・ラブ」の時代を生きていた

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■2007年に何が起こったのか



2007年は時代の変わり目の年だった。少なくとも、音楽にとっては、間違いなくそうだった。去年、僕はようやくそのことに気付いた。

iPhone、USTREAM、ニコニコ動画、初音ミク、soundcloud。いろんなサービスが、いろんなプロダクトが誕生し、それがインターネット上の新しい音楽カルチャーを生み出したのが、2007年だった。あの当時、僕は音楽雑誌の編集者で、眉をひそめて「きっとこの先、音楽に金を払う人間は、どんどんいなくなっていく」なんて書いてた。僕だけじゃない。あの当時に業界にいた人間は、あのころの悲観的なトーンをきっと覚えているはずだ。でも、2007年は、実際は「終わりの始まり」ではなく「始まり」の年だった。

そのことについては、以下の記事で書いた。

砂を噛むような無力感と、それでも2012年が「始まり」の年になる直感について
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-504.html


あれから半年の間、事あるごとに僕は2007年のことについて考えていた。たとえば、livetuneのkz氏と八王子Pという、まさにインターネットミュージックを代表するクリエイター対談のときにも、そういう話をした。

2007年とか2008年の頃って、みんなDIY精神が強かったんですよ。よくわかんない面白いものが転がってるから、それをどうにかして面白くしようぜっていう文化だったんですね。(kz)

自分はまさに曲作り始めたばっかりなんで、もうやったるぜ!みたいな感じでした。まともな曲を作れるようになったらニコ動にアップするぞ!みたいな。(八王子P)


ナタリー - [Power Push] kz(livetune)× 八王子P feat. 初音ミク「Weekender Girl」対談
http://natalie.mu/music/pp/kz_hachiojip/page/4


そこで痛感したのは、悲観的な物言いをしていたのは、既存のシステムの中にいた大人たちばかりだったということだった。ニコ動に出会い、ボカロに出会い、そこで動画サイトに投稿していたクリエイターたちは、みんな無我夢中で目をキラキラさせていた。そこには真新しい熱気があった。たとえばlivetuneの「Tell Your World」は、まさにその熱を形にしたようなアンセムだった。



疎外された場所から生まれる熱狂



そして、昨年末に公開されたこのコラムも、題材は洋楽だったけれど、僕の中ではやはり2007年について考える中で出てきたテーマを書いたものだった。

コラムスピン第47回:いつの間にロック少年は「洋楽」を聴かなくなったのか?
http://www.drillspin.com/articles/view/526


洋楽メディアがオヤジ化する一方で、ニコニコ動画というプラットフォームがボカロPたちを同時代的なヒーローにしている――。僕はそう書いた。そうしたら、同時期に刊行された『PLANETS vol.8』の中でも、石岡良治さんがほぼ同じことを言っていた。

ゼロ年代って洋楽が人々の憧れではなくなった時代ですよね。そんな中で、Jポップにも馴染めないけど音楽はやってみたいという人たちにとって、ボカロと絡む形でバンド活動を展開するというのは自然な選択肢になるでしょう。

(『PLANETS vol.8』 「キャラクター表現の現在」)

PLANETS vol.8


僕がすごく興味深いと思ったのは“馴染めない”という表現だ。今と違い、2010年頃までの初音ミクに熱狂する人たちはあくまでマイノリティだった。メインストリームのJ-POPやロックとは背反するような存在だった。ほとんどの上の世代の音楽リスナーは「あんな仮歌みたいな出来損ないのボーカルのどこがいいのかわからない」と本気で感じていた。そこにあったのは、いわば疎外だった。

その“疎外”を的確な言葉にしたのが、やはりボカロの黎明期から活躍するクリエイターであるryo(supercell)の「ODDS & ENDS」という曲だと僕は思っている。僕はこの曲はレディオヘッドの「CREEP」と同じタイプのエネルギーを持つ曲だと思っていて、そのことは以下の記事に書いた。

2012年の「シーンの垣根を壊した5曲」(その3:ryo(supercell)feat.初音ミク“ODDS&ENDS”)
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-519.html


いつもどおり君は嫌われ者だ
なんにもせずとも遠ざけられて
努力をしてみるけど
その理由なんて「なんとなく?」で
君は途方に暮れて悲しんでた

ならあたしの声を使えばいいよ
人によって理解不能で
なんて耳障り、ひどい声だって
言われるけど

きっと君の力になれる
だからあたしを歌わせてみて
(「ODDS&ENDS」)



初期のニコニコ動画やボカロPたちを駆動した原動力、そこにあったエネルギーは何か。kzや八王子Pが語っていた無我夢中の楽しさ、新しい場所が生まれて、何か面白いことが生まれているというワクワク感も、きっと間違いないことだと思う。けれど、そこに同時にあったのは「みんなの聴いてる音楽には馴染めない」「どうせ大人からは理解不能だって言われる」という疎外から立ち上がる熱気でもあったように思うのだ。



「サマー・オブ・ラブ」は20年おきに訪れる



そして、ここからが本題。

今年の初めに、とても嬉しい出来事があった。上の洋楽についてのコラムが反響を呼び、佐野元春さんの目にもとまったことをきっかけに、「元春レイディオ・ショー」に出演させてもらう機会があったのだ。そこで洋楽を巡る最近の状況を話してるうちに、やはり2007年の話になった。その頃のインターネットを巡る状況の話をしているうちに、ふっと閃いた。

2007年に、何が始まったのか。ニコ動とボカロと、あの場にいた10代に、何が起こっていたのか。それは、ひょっとしたら「サード・サマー・オブ・ラブ」のようなものだったんじゃないだろうか?

3度目の「サマー・オブ・ラブ」。それは果たして何か。

Live at Monterey


「サマー・オブ・ラブとは、1967年夏にアメリカ合衆国を中心に巻き起こった、文化的、政治的な主張を伴う社会現象」――。wikipediaにはこうある。

サマー・オブ・ラブの発祥の地はサンフランシスコ、ヘイト・アシュベリー。主役は当時の「ヒッピー」と呼ばれた若者たち。そこには音楽があり、ロックが鳴っていて、熱気に浮かされた若者たちは、本気で世界を変えられると思っていた。67年に開催されたモンタレー・ポップ・フェスティバルには数万人が集い、盛り上がりは絶頂を迎える。ムーブメントの勢いはその後数年で途絶えるも、その価値観自体は今もしっかりと受け継がれている。たとえば、佐野元春さんは、まさにその時代の証言者の一人だ。

「セカンド・サマー・オブ・ラブは、80年代後半にイギリスで起きたダンス・ミュージックのムーブメント」――。こちらもwikipediaの解説だ。

発祥の地はスペイン、イビザ島。87年の夏にイビサを訪れたDJ達がそこで受けた衝撃をイギリスに持ち帰る。そこからアシッド・ハウスのムーブメントが発火する。80年代末にはマンチェスターからストーン・ローゼズやハッピー・マンデーズなどのバンドが登場する。それを駆動していたのは「エクスタシー」というドラッグであり、また、背景にはサッチャー政権下で鬱屈する若者たちのエネルギーがあった。ロンドンからヨーロッパを席巻したレイヴ・カルチャーは、社会的なムーブメントとしての意味合いも強かった。この辺の話は、当事者としてそれを体験した久保憲司さんの『ダンス、ドラッグ、ロックンロール』に詳しい。

CDジャーナルムック ダンス・ドラッグ・ロックンロール ~誰も知らなかった音楽史~

二つの「サマー・オブ・ラブ」に通じ合うものは、何か。それは、音楽が媒介として生まれた新しいムーブメントだったということ。単なる流行ではなく、社会の構造を変える「何か」と共に、それが巻き起こっていたということ。そこには新しいコミュニティが生まれ、そしてそれは若者たちのための場所だった。大人たちには理解不能、それでも若者たちにとっては世界を変えられるかもしれないと本気で思う、そんなエネルギーが熱となって噴出する場所だった。さすがに僕が生まれる前の話なので、ヘイト・アシュベリーのヒッピーたちがどうだったか、僕にはわからない。でも、伝えきく話だけで、きっとそうだったと想像できる。そして、80年代末のイギリスのダンスシーンも、きっとそうだったんじゃないかと思う。

67年、87年、2007年。


偶然かもしれないが、そう捉えるとちょうど20年おきの話になる。つまり、「サード・サマー・オブ・ラブ」は、ヘイト・アシュベリーでもイビザ島でもなく、インターネットの上で生まれていたのだ。ニコ動やボカロに熱中していた、インターネット上に生まれた新しい音楽の環境に熱に浮かされたようにワクワクしていた人たちは、実は「サード・サマー・オブ・ラブ」の時代を生きていた。そう捉えてもいいんじゃないだろうか。

収録の日、実は、放送されたテーマとは全く別のところで、そんなことをうわずった口調で佐野元春さんに喋っていたのだった。さすがに呆れられるかと思ったら納得して話を聞いていただいて、そのこともすごく嬉しかった。

ボカロ文化が衰退するという話について



ボカロ文化の衰退はどこから来るか
http://anond.hatelabo.jp/20130126042320

よくここまで的外れな事が書けるもんだ。加齢というのは恐ろしい。
http://anond.hatelabo.jp/20130126105553


ここ数日ツイッターのタイムラインを賑わせていた上記二つの匿名記事を見た。いろんなコメントが飛び交っているけれど、僕が考えたのは、大体こういうことだ。基本的には僕は後者の人の見方に近い。「タダだから」とか、そんな浅薄なことじゃないし、つまり、あそこにあったのはカウンター・カルチャーだった、というのが僕の見立てでもある。

ただ、「ボカロ文化が衰退する」という話は、実際にほうぼうで言われていることでもある。上記の『PLANETS vol.8』の座談会でもボーカロイドの界隈がかつての勢いを失っていると指摘されている。特に、2012年くらいからそれが顕著になったと、現場のクリエイターを含め、多くの人が言っている。

それはどういうことか。僕は当たり前のことだと思う。つまり、二つのサマー・オブ・ラブと、同じことが繰り返されているのだ。

しかしこのムーブメントは '70年に終わりを告げる。サマー・オブ・ラブは流行に便乗した商売やメディアの報道により中身のない ''見かけ'' の文化にすりかわっていったのだ。


「サマー・オブ・ラブの終焉」
http://www.ukadapta.com/contents/Music/Music_festivalcolumn.html

有名DJを迎えた商業目的のレイヴが開催され主流となり、当初の精神を失っていき、(90年代初頭頃には)いわゆる「セカンド・サマー・オブ・ラブ」は既に下火となっていた。

wikipedia

二つのサマー・オブ・ラブのムーブメントは、どちらも4〜5年で終わりを告げている。そしてそれは、商業主義によってもたられる。流行が可視化され、その匂いを嗅ぎつけたメディアや金儲けをしたいだけの人たちが集まる。ワクワクするようなDIY精神とアマチュアリズムが失われ、当初の熱気は色あせていく。「あの頃はいい時代だった」。ムーブメントの勃興期を支えた人たちが、そう懐かしむようになる。

歴史は繰り返す。ムーブメントそれ自体は、数年で下火になる。それは宿命のようなものだ。沢山の商売人が飛びついてきて、そして舌を鳴らしながら去っていく。したり顔で、得意げに「もう終わった」とささやく人が、沢山あらわれる。大手コンビニのキャラクターに「初音ミク」が登場し、何度もテレビで特集されるようになって、ニコ動とボカロを母体に生まれた「サード・サマー・オブ・ラブ」というムーブメントは、人知れず終わっていたのだと思う。

しかし、そのことを悲観することもないと、僕は思っている。二つの「サマー・オブ・ラブ」と「2007年」をつなぐことで、僕たちは歴史に学ぶことができる。

ブームは去っても、カルチャーは死なない。

サマー・オブ・ラブの季節が終わりを迎えても、ロックやクラブミュージックは、今も形を変えながら若者たちのものであり続ける。それと同じように、2007年のインターネットが宿していた熱も、この先長く生き続け、刺激的なカルチャーを生み出し続けるだろうと僕は思っている。ひょっとしたらこの先、ボーカロイドのブームは下火になるかもしれない。しかしそこで生まれた「n次創作的に共有するポップアイコン」というイメージは、これからのポップカルチャーのあり方を規定する価値観の一つになっていくはずだと思っている。


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(2013/01/31)


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