日々の音色とことば:

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「閉じた文化圏」の先へ 〜2010年代の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」論 その2

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前回に続いて、今回もRIJ論。今日は長いよ!  

RIJFESDJブース

■「邦ロック界隈」というもの



まず、前回の「ロッキン文化圏」の話、ツイッターでの反応が大きく二つにわかれていて、すごく興味深かった。














大きくわけると、今のRIJや邦楽ロックシーンを巡る状況から離れている30overの層は集合写真の連続に衝撃を受け、レジーさん含めそれを知っている層からは「RIJだけじゃないじゃん」とツッコミが来たということだと思います。その通りなんですよ。「ロッキン文化圏」は別にRIJだけに限った話じゃなくて、その行動様式は今の「邦ロック界隈」の全体に波及している、という。なのでRSRにもアラバキにも、その他いろんなフェスやワンマンにも、ああいう状況は表れているんだと思います。

■ブッキングがもたらす物語性



そして、もう一つの大きな特殊構造はブッキングの持つ物語性。これについては、以下の記事に詳しく書きました。


"ゲーム化"する夏フェスで、Perfumeはいかにして勝ち上がったか - Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2013/08/perfume.html

 RIJの特殊性とは何か? いろんな側面があるが、まず大きな特徴はブッキングがもたらす物語性にある。計6つのステージはそれぞれ大きさが異なり、なかでも6万人収容可能のメインステージのステータス性が非常に高い。そして、多くのアーティストは複数年出場を果たしている。そうするとどうなるか? 出演者に「次はもっと大きな場所で出たい」「来年はもっといい時間帯でステージに立ちたい」という欲求が生じるのだ。実際にMCやインタビューでそういう発言をするミュージシャンも少なくない。例えば、デビューしたばかりの新人バンドはまずキャパの小さなテントに出演し、そこで喝采を浴びて客を集めれば、次はより大きなステージにステップアップする。さらにその次はメインステージに立つ。そうやってバンドが「フェスの場で勝ち上がっていく」風景が可視化される。つまり、RIJは約150組の出演陣がメインステージのヘッドライナーを目指す一種の「ゲーム」として設計されているわけである。


00年代中盤はまだサザンやミスチルや矢沢永吉のような国民的な人気を持つアーティストがヘッドライナーをつとめていた。しかし昨年の2012年に3日間の大トリをつとめたのは、それに比べて世間的な知名度では遥かに下回る3ピースバンドのACIDMAN。それでもチケットはソールドアウト。このことが証明したのは、もはやRIJはヘッドライナーが誰かによって動員が左右される他フェスとは違う盤石の動員体制を築き上げたフェスであるということ。そして、そこのトリをつとめるのは、RIJのお客さんを熱狂させ、主催者側に評価され、「フェスを勝ち上がった」アクトなのである。



もちろん、ステージがどんどん大きくなってそこにファンも高揚するという構造は、他のフェスにもあると思います。いわゆる「BECK」的ストーリーはどのフェスでも生まれているんですよ。

でも、フジやサマソニなどのフェスとRIJとの最大の違いは、「メインステージ朝イチのステータス性」にあって。フジはメインステージの朝イチや昼間にあえてユルい音楽性のアーティストを出演させる傾向があるし、サマソニもメインステージの一発目は無名の洋楽アクトがつとめることが多い。あと、ライジング・サンはオールナイトゆえにヘッドライナーのプライオリティが比較的薄い。

そういうわけで、複数年開催とステージの階層的な構造を前提にした「フェスというゲーム」をここまで徹底的に設計しているのはRIJくらいだと思うんです。端的に言えば、イベンターが作っているフェスとメディア企業が作っているフェスの違いというか。

さて、ここまでのまとめ。RIJのオーディエンスは、「ロッキン文化圏」というものを形成している。その文化は「邦ロック界隈」にも波及しているけれど、それが「音楽シーン」や「日本のバンドシーン」と決してイコールでないのは、たとえばceroやシャムキャッツのようなバンドがRIJに出演してないことからも明らかで、要は僕の見立てとしては、RIJというフェスは「参加したお客さんがどこよりも快適に過ごせるフェス」であると同時に「閉じた文化圏内で行われるゲーム」というものなのです。

■「一体感至上主義」が作り出したもの



そう考えていくと、この現象はやっぱり、以前の記事でも書いた「邦ロックフェスで盛り上がる定番曲のBPM」という話につながっていくわけなのです。

「ロッキン文化圏」にワークする曲調は、ざっくりBPM130〜140代の四つ打ちか、BPM180〜190代のタテノリ。前者では手拍子が打ちやすいし、後者では「オイ! オイ!」のコールを乗せやすい。実は僕はいろんなバンドのステージをBPMカウンターを片手に見てたんだけど、盛り上がるテンポというのがやっぱり決っている。

フェスの現場にいくと大体わかるんだけど、まず暑いんですよ。それにみんな同じロゴのTシャツを着て、タオルを首にまいている。で、集合写真のノリが象徴するように、そこに集まっている人は一体感を得たがっている。音楽をツールにしたコミュニケーションを求めている。アガりたい。手を挙げたいし、コール&レスポンスしたいし、タオル回したい。「一体感至上主義」とも言うべきムードが、自然と立ち現れてきている。そうなると、音楽としての良し悪しとか以前に、そういう環境でワークする曲調って、やっぱり絞られてきてしまう。新人バンドにとってRIJとは「勝ち抜くためのゲーム」なので、30分のステージの間に余計なタマを投げているヒマがない。

もちろん今年出た安全地帯のように、そういう「お約束ごと」を全部ふっ飛ばして歌の上手さだけで持ってっちゃうような人もいる。奥田民生のようなベテランがその「RIJというゲーム」に乗っかっているわけでもない。そういう意味ではフェスの場に一定の多様性は保たれていると思います。

でも、環境やアーキテクチャが音楽性を規定している、一体感至上主義が「閉じた文化圏」を形成しているという面は否めないと思います。

■DJという新しいエンタメ芸



そして、RIJの特殊性を語る上で欠かせないのが「DJブース」という場所なんです。あの場所に起こっていることは、いろんな意味で、他の場所ではなかなか見たことがないです。まず、90年代からのクラブカルチャー、EDMやダンスミュージックのDJをイメージしてあの場所に行ったら、全然違う。

基本的にはロックがかかってる。それも「みんなが知ってる曲」。それがかかるとみんな盛り上がる。翌日や前日にライヴがあるバンドの曲で、みんな盛り上がってるわけです。それも4500人キャパの巨大な空間で。これってどういうことかって言うと、「一体感を得たい」→「みんなが知ってる曲で一緒にアガりたい」→「あれ? バンド居なくても楽しいんじゃね?」みたいな変遷がここ10年ちょっとで起こっているということなんですよ。

ちなみに、これは去年にもう指摘されてる現象でした。

レジーのブログ ロックインジャパンについての雑記4 -で、今年はどーだったの?という話
http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

2012年までフェスのレジデントDJをつとめてきた保坂壮彦さんは、昨年、ブログにこんな記事を公開している。そして、今年はDJとして出演はしてません。

今年は、正直、みんなが、オーディエンスがどのように音楽を捉えて、どのように音楽を楽しんでくれるのか?という、原点中の原点を掴むことが難しかったのが事実です。例えば、“あの曲をかければみんなが踊ってくれる”、とか。“今年は、この曲を自らのキラーチューン、アンセム、として鳴らせば、みんなに届くだろう”、とか。そういう試行錯誤しつつ、プレイしたのですが、自分の思うようにいかない場面が多々ありました。これは、自らの力の無さから来ることかも知れません。そう言ってしまえば、それで終わりなのかも知れません。けれど、それ以外にも、理由はあるなって。ひしひしと感じたわけです。


保坂壮彦日記: 『ROCK IN JAPAN FES.2012』を終えて。
http://allisdayisall.blogspot.jp/2012/08/rock-in-japan-fes2012_7.html

一方、DJブースの「主役」として人気を拡大してきたのが、「DJという名の不法集会」をキャッチフレーズにするポリシックスのDJハヤシや、「他人の曲で大盛り上がり」というキャッチフレーズをTシャツの背中に書いたりしていた凛として時雨のピエール中野のようなミュージシャン勢。共通するのは「DJ=曲をかける人」という定義を逸脱したパフォーマンスが受けているということ。たとえばピエール中野のエアドラムや、DJハヤシのXジャンプ。たぶん最初は単なる悪ノリだったんだと思う。でもそれがオーディエンスの一体感をもたらし、興奮を呼び、ウケたことで、パフォーマンスとして確立されてきた。で、さらにそれを進化させたのが、ダイノジややついいちろうの芸人勢。彼らのDJに特徴的なのは、振り付けや掛け声や、ありとあらゆるパフォーマンスでお客さんを煽ること。「数千人が一斉に◯◯!」みたいな状況を作り、それが「DJという名のエンタメ芸」として進化してきた。

それが去年までの状況。ちなみに8月8日のオールナイトニッポンで、ダイノジ大谷さんは以下のように語ってます。

「アガるというのがRIJのキモなんじゃないかと思ってるんですよね。反面、アゲのインフレが起きちゃっていて。僕とかやついいちろうくんは芸人なんでギミックもあるし、DJのルールと外れたことをやってきてもいいんだけど。そうなってくると、僕達がお客さんを能動的に動かしてしまっているぶん、他の人たちもアゲなきゃいけなくなる。そうなると、みんなが同じ曲をかけるしかなくなっちゃう。共通言語の曲をかけるしかなくなっちゃって。気付いたら、音楽のシェアというよりは、RIJの定番の出演者の、フェスでアガる曲をひたすらプレイするようになった。それが、飽和して過渡期を迎えた時期が今年だったんじゃないかと思います」



■「閉じた文化圏」の先へ



で、ここから本題。

なんで「ロッキン文化圏」と「ゲーム化する夏フェス」という話をしたかって言うと、それが「閉じた文化圏」であって「音楽シーン全体」ではないことを、沢山のプレイヤーが問題意識としてちゃんと捉えているからなのね。

たとえば、UNISON SQUARE GARDENの田淵くんは、そういう「一体感至上主義」に常々疑問を投げかけている人で。ツイッターでも、MCでの発言でも、それは一貫している。僕が書いた記事にも、こんな反応を寄せてくれた。







「フェスで盛り上がるのはのはあくまで一つの選択肢」ということを、そのフェスに出演してオーディエンスをがんがん盛り上げてるアーティストが言っているという。すごく真摯な発言だと思います。そういえば、Perfumeについて書いた記事にも、こんな反応があった。




そうなんです。確かにPerfumeは5年間かけてフェスのヘッドライナーまで勝ち上がった。でも、考えてみたら、もうすでに「勝ち上がった」バンドやアーティストは沢山いて。その人たちはただ単にダラダラと出演し続けているだけなの?といえば、それはもちろん違う。たとえば、くるりの今年のRIJのステージはすごく象徴的だったのです。




岸田くんは、たしかターバンみたいな帽子をかぶって「音楽は世界旅行だから」みたいなことをMCで言っていた。「ロッキン文化圏」のメインを堂々と張りながら、その外側にある音楽の面白さや多様性を見せていくこと。それが「勝ち上がった」バンドやアーティストのモチベーションと「やるべきこと」になっているのが、見て取れたわけで。

考えてみたら、くるりが京都音楽博覧会を開催しているのも、そういう理由なのだと思う。

「あり得ないものを組み合わせることが出来るのが、フェスの面白いところなんです。あり得ないものを組み合わせていくと、あり得ない化学反応が生まれる。お客さんもそれをすごく楽しんでくれています」


朝日新聞デジタル:くるり「あり得ない化学反応が魅力」 おんぱく7年目 - カルチャー
http://www.asahi.com/culture/update/0729/TKY201307290074.html

くるりだけじゃない。氣志團は「氣志團万博」を主催し、やはり「あり得ない化学反応」を生み出そうとしている。

やっぱりありえないことをやりたいんですよ。「この人とこの人が同じステージに立つってありえないよな」っていうのがやりたくて。だからなるべく他のフェスとはかぶらずにいきたいなと思うし、出演者同士の間に生まれる相乗効果、化学反応を大切にしたいんですよね。


ナタリー - [Super Power Push] 「氣志團万博2013 ~房総爆音梁山泊~」特集
http://natalie.mu/music/pp/kishidan03

ASIAN KUNG-FU GENERATIONは10年以上前から「NANO-MUGEN FES.」を主催し、自分たちが影響を受けた洋楽カルチャーとギターロックシーンとの橋渡しをしてきた。

「売れりゃいいや」だと、どんどん土がなくなっていく。そういう時代だから、土作りをみんなでやっていかないと10年語にもっとひどい状況が来るよって思ったんですよ。「NANO-MUGEN FES.」をやり始めるときに。そうじゃないと、俺たち自体も正しく評価されないんじゃないかと思ったんだよね。何もしなかったらアニソンバンドみたいなとこに片付けられちゃうって。そうじゃなくて、俺たちはこういう洋楽を聴いて、こういうルーツがあって、今があるんですっていう。そうやってみんなで世代をつないで回転させていかないと、その回転自体がどんどん小さくなって、最終的に全然力学が働かなくなって、なくなるような気がしちゃって。俺たちは、そういう回転の中で音楽を発表して評価されたいっていう欲があるんだよね」


(『別冊カドカワ』 特別対談 KREVA×後藤正文より)

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そして、10-FEETも「京都大作戦」を主催し、自分たちの「仲間」をフックアップしてきた。

最初は休憩したりメシを食ってたりして、俺らの仲間のライブをあんまり観てないお客さんもいたと思うんですよ。でも「さっきやってたヤツら、すごかったで!」って雰囲気になるのが続いて。5、6年経ってようやく「知らないアーティストも観てみよう」っていうムードが定着した。これが俺らが一番やりたかったことなんです。


ナタリー - [Power Push] 茂木洋晃(G-FREAK FACTORY)×TAKUMA(10-FEET)インタビュー
http://natalie.mu/music/pp/gfes/


KREVAだって「908 FESTIVAL」を主催し、ヒップホップのシーンを活性化しようとしている。奇しくも30代なかばから後半、00年代の「邦ロック界隈」の中でサヴァイブしてきたミュージシャンたちが同じようなことを考えているのは、同世代としてはすごく誇らしく思う。

そして、今回のRIJのDJブース。「一体感至上主義」を逆に利用し、また「洋楽で世界を変える」を旗印にしたオールナイトニッポンのパーソナリティとして、「あえてみんなが知らない曲で盛り上げる」ことに果敢にチャレンジし、成功させていたダイノジのDJも、「閉じた文化圏のその先」を見据えたものだったと思う。

RIJFES2013DJブース2

というわけで、「ロッキン文化圏」の話は、とりあえずおしまい。少なくとも痛感したのは、日本のフェス文化は現場のプレイヤーたちの「音楽愛」でちゃんと進化し続けている、ということ。

いろいろ過渡期だなあと思うことは多いけれど、だから、基本的にはすごく楽観的にいろんなことを考えてます。


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